妄想劇場 <ポッキー>


 今日も一日の部活を終え、皆が着替えを終えて、おのおの家路に着いていた。
 普通は、やはり体育会系の掟で、2・3年生が部室で着替えたあと、グラウンド整備を終えた1年生が部室を使うことになっていた。狭い部室に3学年あわせて50人近い人間が入りきらないという理由もある。
 しかし、レギュラー陣(+乾)は自主練をしたり、部運営に関する所用があったりで、1年生より更に遅い時間に部室を使うことが常だった。
「あ〜。疲れたっすね〜〜」
「乾、レギュラーだけあんなに練習量増やすなんてひどいにゃ〜」
「何言ってるんだこれくらいで。全国を目指すには、まだまだ練習量をふやそうと思っているのに」
「鬼コーチ〜〜!!」
 他の部員はすでに帰り、部室にはレギュラー(+乾)しかいない。
 同じレギュラー同士、いくつもの強敵を共に戦ってきた連帯感もあいまって、和やかな雰囲気が部室を満たしている。さいわいなことに青学において、かつての不動峰のような卑劣な上下関係はなかった。時には荒井のような、多少横柄な上級生もいるが、それも本当に荒れているところに比べれば可愛いものだし、このレギュラー内においてはそのようなことは皆無に等しかった。
 それどころか、この上級生達は、唯一の1年生レギュラーを、ことのほか溺愛していた。愛情の種類に違いはあれど、小生意気で負けず嫌いの下級生が、皆可愛くて可愛くて仕方がないのだ。
「…………おなかすいた」
 だから、着替えをしていたリョーマがそうポツリともらしたのも、聞き逃すことはなかった。
「おっ越前! じゃあ帰りにハンバーガーでも食ってくか?」
「あ〜桃、俺も俺も! おチビちゃんおごったげるよ〜。桃は自分で払えな!」
「菊丸先輩ひで〜!」
 早速近くにいた桃城と菊丸が反応をする。二人とも、リョーマが弟のように可愛くて仕方がないのだ。
「越前。牛乳とバナナがいいぞ。炭水化物とカルシウムで、栄養価も高く、疲労時の吸収も……」
 乾は何処からともなく牛乳とバナナを取り出す。バナナはともかく牛乳に、リョーマはいやそうに眉をすくめる。
「よかったら、うちに寄っていくかい? お寿司ご馳走するよ」
「お昼のとき買ったパンだったらあるけど食べるかい?」
 河村と大石が面倒見のよさ人の良さを発揮する。
「………リンゴ食うか?」
 無口な海堂も、ごそごそと漆塗りの弁当箱をさぐる。今日の昼の弁当に、デザートとして別の小箱に入れられていた果物類は、まだ残っていたはずだった。
「こら越前。あまり間食をすると夕飯が食べられなくなるだろう。いいか。丈夫な体を作るためにはバランスのいい食事を3食しっかりと取ることが大切なんだぞ」
 小言を言う部長は、さすが教師に間違えられるほどの老け顔だけあって、立場ははっきりいってお父さんである。だが、差し出されるパンやバナナをとめないあたりが甘いのだろう。
 こうして部の面々がリョーマにかまおうとするところに、おもむろに声がかかった。
「リョーマ君。リョーマ君」
 誰と問うまでもない。残るレギュラーのひとりである、不二周助だ。
 優しげな容貌にはいつも笑みがたたえられているが、閉じられたその瞳は決して笑ってはいない。青学テニス部における影の実力者、もとい支配者とも言える存在だった。命が惜しければこいつだけは怒らすな、というのが、不二の本性を知る者の統一見解であった。
 だが、部員に恐れられる魔王も、ただひとり越前リョーマには無茶苦茶に甘いのであった。
「ポッキーあるよ。食べる?」
 不二はポッキーの箱をかざして見せる。
「食べる」
 素直にうなずいて、リョーマは不二のほうへとてこてこ歩いてゆく。
 リョーマにとってみれば、ハンバーガーも寿司も魅力的だが、空腹の今、すぐに食べられるもののほうがよかったし、パンと果物とポッキーなら、自分の好物であるポッキーがいちばん食べたかったというだけのことだ。
 近づいて、ちょうだい、と大きな瞳で不二を見上げる。身長差のため見上げることになるのだが、それはもはや『必殺おねだり上目遣い』でしかない。
 そんなリョーマに不二も相好を崩す。
「はい。どうぞ」
 そう言って、不二がポッキーを差し出しす姿に、残りの部員は固まった。
 なぜなら、不二はわざわざ封を切ってポッキーを一本取り出して、その端を咥えてもう片方の端をリョーマに差し出したからだ。
 寒さや鳥肌を覚える良識人もいれば、ああーうらやましい抜け駆けされたと心の中で地団駄を踏む者もあれば、うちの子に何すんの的怒りを覚える者など、内心の状態はともかくとして、誰もが皆その光景に動きを止めてしまった。
「…………」
「ん?」
 同じように見上げたまま動きが止まっているリョーマに、不二はポッキーを咥えた笑顔のまますこし首を突き出してみせる。食べないの?というところだ。
「…………………………………やだ」
 しばらくの沈黙ののちに、リョーマがちいさく言った。
 可愛い可愛いリョーマに拒否されたことに、不二もさすがにショックを受けているようで、流麗なその眉がひそめられていた。
((((偉いぞ越前!!))))
 誰も声に出しては言わなかったが、残りのメンバーの心はひとつだった。不二が怖くてその状態を誰も止めることが出来ずにいたが、リョーマははっきりと断った。あの魔王に逆らえるのなど、世界広しといえど、この1年生ルーキーだけだろう。
 だがそんな心は、次の瞬間すぐに破られてしまった。

「ポッキーこっち側じゃやだ。チョコついてるほうがいい」

「「「「………………………………………は?」」」」

 今まで無言でいたメンバー達は、思わず声を出してしまった。言われた不二本人はポッキーを口にくわえたままであるため声を出すことが出来ずにいたが、同じように何を言われたのか一瞬分からなかったようで、いつもは閉じられたその瞳が丸く見開かれていた。
「だから、チョコついてるほう!」
 動かない不二に焦れたように、リョーマがもう一度駄々をこねる子供のように繰り返す。
 それでやっと言いたいことを理解した不二は、途端に笑顔になった。
「はいはい。これでいい?」
 そう言って、咥えていたポッキーをいったん口から離すとくるりと半回転させて、今までとは逆のほうを咥えた。
 ポッキーは、手で持って食べるために、片側の端にはチョコがついていない。不二は袋から取り出してそのまま咥えたため、今まではそのチョコのついていないほうがリョーマに向けられていたのだ。チョコのついていない部分などわずかだが、チョコ好きのリョーマとしては、それが許せなかったらしい。
 こうしてチョコのついていないほうを不二が咥えて、端までチョコにくるまれたほうが差し出されれば、文句はない。
「ありがと。不二先輩」
 可愛らしく微笑むと、今度はためらうこともなく、リョーマはポッキーにかじりついた。もちろんその片端は不二が咥えたままである。
((((うわわわわわわ〜〜〜〜!!!!!))))
 これまた内情は様々だがそのとき部室にいた者達は心の中で悲鳴をあげた。声にならなかったのは、あまりの事態に声も出なかったのだ。
 そんな部員など目に入らないかのようにリョーマはぽりぽりとポッキーを食べ進んでゆく。その先には、固まる部員を横目で見ながら、至極楽しげにポッキーを咥えたままの不二周助。
 そして。

「ごちそーさま」

 それはいろんな意味で、みんなの台詞。(一部除く)



 END