天使は時折愛を試す


 金の髪の女王候補アンジェリークが新しい女王補佐官となり、ついでに炎の守護聖オスカーと結婚することになったのは、ほんの数ヵ月前のことである。
 オスカーが結婚することに涙にくれる女性の数よりも、愛らしい少女を射止めたことに対する嫉妬と羨望で燃える人の方が男女ともにかなりの数上回っていたということは本人達は知らないことである。
 それはともかく、オスカーは幸せで充実した日々を送っていた。
 前回の女王試験から日が経っていないにもかかわらず、新しい女王試験が行なわれることになったが、別に不都合もなく申し分のない日々であった。
 しかも、いつもは館付きの料理人達に料理は任されているのだが、今日の夕食はアンジェリークがオスカーのために自ら作ってくれるという。
「あんまりうまくできなかったんだけど、貴方のために一生懸命作ったのよ」
 照れたようにそう言いながら料理を並べる妻の姿を見て、幸せ度数が上昇しない筈もない。
「君の愛情がたっぷり入った料理を食べられるなんて、俺は宇宙一の幸せ者だな」
 オスカーは喜々としながら料理を口に運んだ。
 ………………だが。
 それを一口食べたオスカーは、実際に苦虫を噛みつぶしたほうがよっぽどましだろうと思われるような顔をして、それでもできるかぎりそれを悟られないようにと必死になったため、いつもの男前の顔はちょっと処ではなく崩れていた。
「……どうかしましたか?」
 アンジェリークは少し首を傾げて、大きな翡翠の瞳でそんなオスカーをのぞきこむ。柔らかな金の髪が傾けた頬にそって柔らかく落ちかかって大変可愛らしい。
 可愛らしいが、今の状況とそれとは別だ。
 今口の中に含んだ料理。ひとくち噛んだ途端に広がった苦い味。これは。
(…………………グリンピースだ………………)
 オスカーが、どうしても苦手とするものである。まずくてまずくてまずくて、口から吐き出してしまいたいが、この料理を作ってくれた少女を目の前にして、そんなことができる筈もない。
 なるべく味を感じないよう、できるかぎり噛まずに一気にその塊を飲み込む。一緒に差し出されたお茶を一気に飲み干す。それでも口の中に残る嫌な味は完全には消えてくれなかった。
「……お嬢ちゃん、これは」
 彼がグリンピースにどれほど動揺しているかは、結婚してからは使わなくなった『お嬢ちゃん』という呼び掛けを使ってしまうあたりからもはっきり読み取れる。
 外見的にはグリンピースなどかけらも見えない。それなのに、どう隠されているのか、確かにグリンピースが入っている。
「一生懸命作ったんですよ、オスカー様のために」
 愛しい妻に満開の笑みでこんなことを言われて嬉しくない訳がない。それに彼女は隠そうとしているが、その白く細い指に絆創膏が張られていることにも気付いている。
「……………」
 それでも口の端が引き攣ってしまうのは、ひとえにグリンピースのせいだ。
「お嬢ちゃん。お嬢ちゃんの気持ちは嬉しいんだが……」
 まだ引き攣る唇で、それでも必死に笑いながらにこやかに料理を辞退しようとした途端。
 花のような笑顔が消え、少女の翡翠の瞳に真珠のような涙が溜まって、しおれかけた花のような哀しげな顔になる。
「やっぱりお口に合わなかったんですね……。ごめんなさい、下手な私が無理して作るよりも、やっぱり料理人の方々に任せておいたほうが良かったんですよね」
 言って、料理を下げようとする。
 もちろん、ここで止めない奴はいない。
「いや、何を言うんだ。君の料理はとってもうまいさ。第一、最愛の妻が俺のために心を込めて作ってくれたものを、無下になんてできる訳ないだろう」
 オスカーは料理を下げようとするアンジェリークの腕を掴んで引き止めた。
 それでもまだ不安そうに、アンジェリークは見つめてくる。
「……本当に?」
「もちろんさ!」
 オスカーはランディ顔負けの爽やかな笑顔とともに、言い放った。
 また、アンジェリークの顔に笑顔が戻ってくる。
「良かった。まだたくさんあるのよ。いっぱい食べてね」
 アンジェリークの笑顔に酔うような幸せを感じながら、それでも再び差し出された料理を目の前にして、オスカーは口の端が引き攣るのは止められない。
 アンジェリークの方を見ると、彼女は期待に満ちた目で、オスカーが料理を食べるのを待っている。この状況で食べない訳にはいかない。
(…………、…………、……………!!)
 オスカーは、もしそこに清水の舞台があったなら、そこから飛び降りるほうを選ぶだろうというような覚悟で料理を再び口に入れた。
 本人は気付いていないが、グリンピースの味と大格闘しながら、それでも必死に平気な振りをしようとしているため、その顔は崩れに崩れまくっていた。もしそれを見たなら、オスカーに想いを寄せる女性の数は半数以下まで減るのではないかと思われるほどだ。
 けれどアンジェリークはそんなオスカーを、満足げな幸せな顔で眺めている。
 いくらまだ二人が結婚して新婚さんと呼ばれるくらいの時間しか経っていないとしても、妻であるアンジェリークがオスカーの大の苦手なものを知らない筈はないのだが……。
 にっこりと、誰よりも愛らしく微笑む彼の天使は、本当に何も知らないのだろうか?



「オスカーも頑張ってるみたいだけど、あんたもよくやるよねえ」
 きらびやかな夢の守護聖は、テーブルに頬杖をついて、そのしなやかな足があらわになるように組んだまま、向かい側に座る少女に呆れたように言った。
 心地良い風の入るテラスで、オリヴィエはアンジェリークと午後のお茶を楽しみながら、昨日の夕飯の顛末を聞いた処だった。
 光の守護聖とともに食事をするときでさえ手を付けなかった大嫌いなグリンピースの料理を、あのオスカーが顔をぼろぼろにしながら食べたという。それは是非とも見てみたい光景だが、笑顔でそんなことを強要する少女も少女である。
「あんまりいじめると、かわいそうだよ?」
「だって……」
 ちょっとすねたように上目遣いになってお茶をすする少女は、補佐官となった今でも、女王候補の頃と変わらず大変可愛らしい。こんな姿を見せられると、オスカーが多少の無理をしてしまうのも分かるだけに、オリヴィエとしては苦笑いするしかない。
「だって、オスカー様って信じられないんだもん」
 永遠を誓った夫に対してひどい言い草である。第一、オスカーがアンジェリークにめろめろなのは、傍から見たら誰でも分かるほどなのに、少女としてはそれでは足りないらしい。
「女の人皆に優しいし……」
「あんたにはその三千倍優しいと思うけど」
「もてるし……」
「いくらもてたって、オスカー本人は、今はもうあんたしか相手にしてないんだからいいじゃない」
 ちなみに、もててる割合は男女共にオスカーよりアンジェリークの方が上回っているのだが、オリヴィエはそれには触れなかった。
「女王候補さん達とも仲いいし……」
「試験なんだから、仕方ないでしょ」
「だけど、育成や妨害を頼みに行くよりも、話をしに行くほうが多いみたいだし……」
「あの二人がオスカーに恋愛感情持ってるとは思えないけど」
 確かに二人ともよくオスカーの処に話をしに行くが、それは話をするというよりも、どちらかというとオスカーののろけ話を聞きに行っているという感が強い。オリヴィエなどはそんなもの延々と聞かされるなんてごめんだが、恋に恋するような年頃の少女達にはそんなものが楽しいらしい。
「でもお〜」
 それでもまだ夫に対して不満があるらしく、少女は可愛らしく口を尖らせる。
「……ところでアンジェリーク?」
 そんな少女を緩やかにさえぎって、夢の守護聖はちらと横に視線を投げる。
「な〜んかさっきから、向こうの方から激しい視線を感じるんだけど?」
 きれいに整えられた爪が指したほうには、大きな幹の太い木があり、そこに隠れているつもりなのか、そのつもりはないのか定かではないが、幹からはみだした巨体と遠目でもはっきり分かる赤い髪がのぞいている。それが誰かは一目瞭然である。
「……実は今日、オスカー様に午後のお茶に誘われていたんですけど、オリヴィエ様と約束があるからって、断わったんです」
 ぺろっと舌を出して可愛らしく少女は笑うが、オリヴィエとしては頭を抱えてしまう。
 今日オリヴィエはアンジェリークと約束なんかしていなかった。ちょうどお茶の時間に彼女が現われ、一緒に午後のお茶をと誘われたのだ。オリヴィエがそれを断わる筈もなく、こうして一緒にお茶を楽しんでいたのだが。
「まったく。天使の顔した小悪魔だね」
 けれど、そんな処さえ可愛くて、そんな風に試されるほど想われているオスカーが羨ましくなるほどだ。
「もうそろそろ向こうの方に行ってあげたら? アタシももっとアンジェリークとお茶していたいけど、あんまり引き止めて、後でオスカーに八当たりされるのもやだからね」
「そうしますね、オリヴィエ様」
 少女は席を立つと、軽く一礼して、オスカーの方へと走って行く。
 途中までアンジェリークを目で追っていたオリヴィエだったが、彼女がオスカーのもとに辿り着いたら展開されるであろうあま甘々な場面を見せつけられる前に、あらぬ方向へと目を逸らした。
「まったく、あの二人は」
 そうつぶやいて一口飲んだノンシュガーの紅茶は、いつもの三倍甘い気がした。



 オスカーは自分の館にある三人掛けのソファに座って、その腕の中に自分の妻を抱き込んで、その頬や髪にくちづけを繰り返していた。
「愛しているよ、アンジェリーク。俺の天使」
 繰り返し、耳元で囁く。そうすると、アンジェリークは嬉しそうに、彼の胸元へ頬をすり寄せてくる。
 オスカーだって馬鹿ではない。自分がアンジェリークに試されていることくらい知っている。
 彼女は時折、いたずらのように彼の愛を試す。
 これが、以前遊びで付き合っていた女性達なら鬱陶しくてごめんだが、アンジェリークの場合はそんなことさえ愛しくて愛しくてしょうがない。
 それどころか、こうして時々はやきもちを焼いて欲しくて、わざといつもより少しだけ他の女性達や女王候補に優しくしてみたりする。
 その度にグリンピース攻撃やらマヨネーズ攻撃やら、あるいは逆にわざとアンジェリークが他の男性(主に守護聖)と仲良くしたりと、彼にとってはつらい試練が待ち受けているのだが、それさえ心の底では嬉しくて愛しいのだから、もうどうしようもない。
「愛しているよ、アンジェリーク」
 繰り返し、何度も何度も囁く。それでも時折、それだけでは足りないというように、彼の天使は彼の愛を試す。
 だけどいいのだ。そんなことさえ愛しくて幸せなのだから。



 天使は時折愛を試す。
 言葉だけじゃ足りないというように。
 無邪気な瞳で、可愛らしい仕草で。
 天使は時折愛を試す。
 それさえも愛しくて幸せな日々。


 END