あの扉の向こうに(15)


「女王陛下、万歳!!」
「女王陛下────!!」
 人々の熱狂的な声が、窓の向こうから響いてくる。その熱気と沸き返る歓声が、宮殿を揺らしそうなほどだ。
 今日即位したばかりの女王は、宮殿の3階のテラスに立って、その神聖なる姿を詰めかけた人々の前に現わし、優雅な微笑みと共に、手を振ってみせる。
 その姿に、また人々は沸き返り、いっそう大きな歓声と拍手が巻き起こった。
 上から見下ろすと、まるで人の絨毯が地平線まで続いているように見えた。それほどのひとが集まっていた。
 その人々の、畏怖と敬愛を込めた視線と歓声は、すべて彼女ひとりに注がれていた。
 ────────藍色の髪の、新女王に。



「すごい熱気ですね」
 宮殿の中から、窓の外を眺めて、アンジェリークは呟いた。それはまるでひとごとのようだ。
「こういう式典のときでもなければ、一般の人が女王の姿を見ることはできませんからね〜」
 ルヴァもその隣から外を眺めて、熱気に圧倒されたようにつぶやく。
「ルヴァ様も行って、手を振ってあげたらどうです?」
「いえいえ、とんでもありませんよ〜。テラスになんて出たら、倒れてしまいそうですよ」
 地の守護聖は、とんでもない、というように首を振ってみせる。
 女王に付き添うことを義務と考えるジュリアスや、お祭り好きのランディやマルセルなどは、女王と共にテラスに出て民衆に手を振ったりしているが、彼はとてもではないが、外に出る気にはなれなかった。
 宇宙移転が行なわれた、ということは、一般には知らされていない。もう大丈夫とはいえ、宇宙がいっとき崩壊の危機にさらされていたなどとは、知られてはならないことだからだ。
 けれど、もしそれが人々に知られたとして、その偉業を成し遂げたのは、ここにいる幼い少女なのだと言って、どれほどの人がそれを信じるだろう? 彼女が本当の女王だと言って、どれほどの人がそれを信じるだろう?
 結局、アンジェリークは本来の女王のサクリアを取り戻したが、女王にはロザリアがついた。
 いまだ10歳の姿のアンジェリークを女王として奉りあげることは、人々の不安をあおりかねなかったからだ。実際に彼女が本当の女王なのだから、と、無理に玉座につけることもできなくはなかったが、アンジェリーク自身の望みもあり、表向き、ロザリアが女王ということになった。
 実際にこれから宇宙に力を注ぎ続けるのはアンジェリークだが、玉座に立ち、それ以外の責務をこなすのはロザリアの仕事だ。
 そう決まるまでに、何も波乱がなかったとは言えない。
 アンジェリークが眠りから目覚め、女王の力を取り戻すにつれ、すべての事情が、守護聖とロザリアに話された。次期女王は最初からアンジェリークであったこと。この試験が、仕組まれたものであったこと……。
 当然のごとく、一番ショックを受けたのはロザリアだった。
 女王になるために頑張って真剣に試験に望んでいたのに、それはすべて茶番だったというのだから。
 彼女は、怒りもした。泣きもした。
 でも、アンジェリークの哀しみも分かってくれた。
 そして、偽の女王役を引き受けてくれた。
 それはロザリアにとってどれほどプライドを傷つける仕事だろう。飾り物の権力などを、彼女は欲しがらない。彼女は自分に自信と誇りをもって、自分の力で頂点に昇ることを望む人間だ。
 それでも、アンジェリークの代わりに玉座についてくれた。
『あなたは私の友達なんだから、あなたを助けるために何かしたいと思うのは当然でしょう?』
 何処か高飛車に、でもそれには照れ隠しも混ざっていると分かる口調で、ロザリアはアンジェリークに言った。アンジェリークは嬉しくて、泣きながらロザリアに抱き付いていた。
 きっと、彼女はかけがえのない大切な大切な親友になるだろう。……いや、もうすでに、アンジェリークにとってロザリアはかけがえのないひとだ。
 彼女のためにも、共に頑張っていこうと思う気持ちが生まれる。

(あなたにはこれから、たくさんの大切なものができるわ。たくさんの大切なひとに出会えるわ。そして、そのひと達を守る力があることを、誇りに思えるようになるといいわね)

 いつかの、母親の言葉が胸によみがえる。その意味が、今なら分かる。
 彼女を死なせた力を許すことができなくても、けれど、それと同時にその力を誇りに思えるようになれればいいと、思う。
 ふと視線を感じて隣に顔を向けると、こっちを見ていたオスカーと目が合った。
 目が合うと、彼はふわりと微笑んだ。
 アンジェリークも、微笑み返す。そしてそちらに足を向けた。



「ねえルヴァ、ひとつ尋きたいんだけど」
「? なんですか、オリヴィエ」
 派手好きな夢の守護聖は、真っ先にテラスに出るかと思われたが、意外にも、彼も宮殿の中に残っていた。
 ひとりになった地の守護聖に、他には聞こえないよう、小声で話しかける。もっとも、わざわざ小声にしなくても、外から聞こえる歓声に、声はかき消されてしまいそうだった。
「あのこは……アンジェリークは、いつ、もとの年齢に戻るの?」
 オリヴィエの視線の先には、オスカーとアンジェリークがいる。ふたりは楽しそうに、何か話している。
 彼女が実際は17歳であるということは聞いたが、それでも、彼女の外見は10歳のままだ。
 オスカーの隣に立つその姿は、何処か不釣り合いだ。
「さあ……?」
 オリヴィエの質問に、ルヴァは首を傾げる。
「さあって、アンタね」
「いくら女王のサクリアでも、一日や二日で10年の時を飛び越えることはできませんよ。明日起きたら、彼女が17歳の身体になっていた、……なんてことは、ありえないでしょうね」
「……じゃあ、どうなるの?」
「分かりません。ただ、彼女の時は再び動きだしました。研究院の検査でも、アンジェリークに再び身体的成長が見られていると報告がありました。普通の人間より、少し早い成長速度だそうです」
 止まっていた歯車が、またゆっくりと回りはじめるように。動きだした、彼女の時間。 すこしずつ、すこしずつ。砂時計が落ちるように、ゆっくりと。
 それでいいじゃないかと、ルヴァは思う。
「彼女の身体が本当の年齢に追い付くまで、何年かかるのかは分かりません。でも、いいじゃないですか。ゆっくり成長しながら、いろいろなものを見て、いろいろなものに出会って、そして、本当に意味で成長していけばいいんです。そうでしょう?」
 ルヴァも、視線をアンジェリークの方へ映す。
 笑っている。ちいさな少女は、しあわせそうに笑っている。あんな姿を見るのは……7年ぶりだ。彼女の母親が死んでからずっと、あんな笑顔は見たことがなかった。
 ああやって、すこしずつ、すこしずつ、止めていた7年の月日を埋めていけば、いいと思う。
「そうだね……ま、オスカーも、それくらいは覚悟してるでしょうよ。それまで我慢できるかはわかんないけどね」
 オリヴィエは、からかうように笑った。でもその笑顔も、見守るように穏やかだ。
 外から響く歓声が一層大きくなった。
 出不精な闇の守護聖が、水の守護聖に引っ張られてテラスに出たからだ。女王と同じように崇める守護聖の姿に、人々の熱気が上がる。
「さ、ルヴァ。じゃあアタシ達もテラスに行こうか?」
「え。わ、私は遠慮しますよ〜。私はここでゆっくり……」
「何言ってんの。ここにいたってお邪魔虫なだけでしょう。ホラ行くよ」
 オリヴィエはルヴァを連れてテラスに出る。
 炎の守護聖をのぞいてすべて集まった守護聖達の姿に、人々の歓声と拍手と熱気が、一段と大きくなった。
「女王陛下、万歳ー!!」
「守護聖様、万歳ー!!」
 歓声が、澄んだ青い空にいつまでもいつまでも響いて、いた────。


 END