蒼い硝子のメリーゴーラウンド


 ショーウインドウの向こうに飾ってあった、蒼い硝子のメリーゴーラウンド。
 照明を乱反射して輝きながら、オルゴールに合わせて回っていた。
 それはとても綺麗で綺麗で……ショーウインドウに顔を押しつけるようにしていつまでも眺めていた。
 今ならそんなに無理しなくても買える値段のものだけれど、当時子供だった自分はただ見つめていることしか出来なかった。
 でも、見つめているだけでも満足だった。見ていられるだけで幸せだった。
 やがてそれは誰かに買われたのだろう、ショーウインドウから姿を消して、もう二度と見ることすら叶わなくなった。
 見ているだけでは手に入れることは出来ないと知った。そして、手に入れられなかったものは、いつか誰かに取られてしまう。失ってしまう。
 悔しくて、哀しくて、あの蒼い硝子のメリーゴーラウンドを手に入れるだけの力のなかった自分が嫌で、ずっと泣き続けた。


「……だから、僕はそのとき決めたんだ。もしも次に蒼い硝子のメリーゴーラウンドを見つけたときには、たとえどんなことをしてでも手に入れようってね」
 セイランはベッドにうつ伏せに寝ころんで頬杖をついたまま、ぽつりぽつりと話をした。
「ふうん」
 隣に寝そべったままの金の髪の少女、アンジェリーク・リモージュは興味深げに話を聞いていた。
「蒼い硝子のメリーゴーラウンド……、本当に綺麗そうね。聖地に出入りしてるあの商人さんに頼んでみたら? あの人だったら、何とか見つけて取り寄せてくれそうじゃない」
「別に頼む気はないよ」
「どうしてえ? 欲しいんでしょう、それ」
 ちょっと頬を膨らませて言う少女は、何処から見ても、この宇宙の女王陛下には見えない。今セイランが感性を教えている女王候補達の方が、よっぽど大人っぽいかもしれない。
 けれどそんな処もセイランのお気に入りのひとつで、腕を伸ばすと金の髪の少女を自分の方へ抱き寄せた。何も身に付けていない肌がぴたりと触れ合う。教官のために用意された部屋にあるベッドは当然のごとくシングルで、ふたりで並んで寝るには少し狭い。
「もうちゃんと、手に入れたからさ。こうしてね」
 言って、少女のまぶたに軽くキスをする。
「……私は、ショーウインドウに飾られたお人形さん?」
 アンジェリークは少しすねたように翡翠の瞳でセイランを見上げる。
「こんな綺麗な人形を作れる職人がいるなら、その人にこそ天才芸術家の称号をあげたいね」
 翡翠の瞳も金の髪も雪白の肌も、今までセイランが見たどんなものより綺麗だった。
 初めて玉座に立つこの少女を見たとき、あの蒼い硝子のメリーゴーラウンドを思い出した。厚いショーウインドウに阻まれて、ただ見つめ、失うことしか出来なかった、あの心を捕らえて離さなかった綺麗な玩具。
 何かに執着することもなかったから忘れかけていたあの決心が、ふつふつと心の中に沸き起こった。
 ただ見つめ、いつか失ってしまうなんて、もう嫌だった。
 だからセイランは、この少女を手に入れるための努力を惜しんだことはないつもりだ。そしてその結果、こうして金の髪の少女を抱きしめている。ショーウインドウはセイランが思った以上に厚くて、本当に苦労を強いられた。玉座というショーウインドウも厚かったが、特に同じように彼女を想う守護聖達の妨害はすさまじいものだった。けれどその報酬は十分すぎるものだ。
「ねえ、セイラン」
 アンジェリークは甘えた鼻声を出して、大きな翡翠の瞳で上目遣いにセイランを見上げる。キスをねだるときの、いつもの仕草だ。これが他の女だったら吐き気がするほど嫌悪を感じるが、彼女だと両手を挙げて降参したくなるほど可愛らしく感じるから不思議だ。
 セイランはわざとくちびるを避けて、髪に額に頬に鼻にキスを落とす。
「もう。セイランは意地悪なんだから」
 くすぐったそうに首をすくめながら、少女はくすくす笑う。
「ロザリアが言ってたわ。女王候補さん達が、貴方が冷たいって泣き付いてきて困るって。で、ロザリアが貴方に直接注意しても、全然聞いてくれないって」
「僕は優しくする価値のある人間にしか、優しくしないよ。たとえば君とかね」
「私には優しいの?」
「優しいだろう、こんなに」
 笑いながらアンジェリークを引き寄せて、くちびるにキスを落とす。
「んっ…………」
 触れ合っている肌が、お互い少しずつ高くなっていくのを感じる。
 すっと伸ばされた腕がセイランの首を抱き寄せて、さらに深くくちづける。
「アンジェリーク……」
「ん……もっと呼んで……名前……何度でも……」
 宇宙の女王という地位にあるこの少女を、名前で呼ぶ人間はほとんどいない。特に同じ名を持つ茶の髪の女王候補が来てからは、混乱を防ぐため、皆この金の髪の少女を名前で呼ばなくなった。
 だから、アンジェリークはこういうとき、何度でも名前を呼ばれたがる。セイランはそれに応えて何度も名を呼ぶ。
「アンジェリーク……アンジェ……アンジェリーク」
 繰り返される言葉がやがて吐息だけに変わって、吐息の熱さに眩暈がする。
 音楽を奏でるように、長い指先が肌を辿って心の在りかを探す。
「あ……セイラン……」
 辿り着いた果て、切なげに揺れる幻のような現実。
 金の髪の少女を抱きしめて、セイランはやっと、自分の居場所を見つける。


 蒼い硝子のメリーゴーラウンド。
 ぐるぐるまわる。きらきらひかる。
 僕の腕の中で、いつまでも。


 END