柩の中の約束(1)


 風の強い日だった。
 ヴィクトールは花束を持って、舗装のされた細い道をひとり歩いていた。その足取りはひどく重い。
 花を捧げる相手が恋慕う美女だというなら足取りも軽くなるだろうが、そんなことではなかった。
 この道をもう少し進むとやがて拓けた場所に出る。そこにぽつんと建つ石碑。
 それは戦死した者達の墓碑だった。
 ヴィクトールは、いつも戦から帰るたびそこを訪れた。そこには彼の戦友や部下だった者達の名も刻まれていた。彼の代わりに、あるいは彼のために死んでいった者達。ヴィクトールが戦に出てそして帰ってくるたび、連なる名前の数は増えていく。
 彼らを忘れることがないように、今自分が生きているのは彼らの犠牲の上に成り立っていることだと忘れないように、そして、今自分を生かさせていてくれる彼らに追悼の意を表すため、ヴィクトールはいつもそこを訪れた。
 細い道の先に、ぽつんと小さく石碑が見えはじめる。それを見て、ヴィクトールは眉をしかめた。墓碑が嫌な記憶を思い出させたからではない。遠目からでも分かる、色彩の少ないその場所に、場違いなほどに鮮やかな色……そこに添えられた花を見つけたからだ。
(また、だ)
 ヴィクトールは心の中でつぶやく。
 墓碑にはすでに花が捧げられていた。花のしおれ具合から、おそらくは2・3日前に来たのだと思われる。
 いつからだろう、いつもいつもヴィクトールがここを訪れると、必ず先に花が添えられていた。
 ここにあるのは墓碑といってもただ名前が刻まれているだけで、それ以外何もない。遺体も実際ここに埋まっているわけではなかった。大抵は戦場から遺体を持ち帰れないか、持ち帰れてもそれは遺族に渡され、それぞれの墓に埋葬される。
 これは形ばかりの追悼を表わしたただの石碑。だからこの墓碑を訪れるものは少ない。
 一体誰がこの花を供えているのだろう。
 戦死し、ここに名を刻まれたものの関係者だろうか。家族か恋人か友人か……。
 ヴィクトールは、まだこの花を捧げる人物に会ったことはなかった。だから、それが誰か分からない。
 でも、一度、この花を添えている人物に会ってみたい……と思っていた。
 会って、関係者であろうその人に謝りたいのか、共に話をしたいのか、それともただ会いたいだけなのか、分からなかったが、それでもずっと会ってみたいと思っていた。
(でも……もう、無理だな)
 ヴィクトールは自分の持ってきた花を墓碑に供えながら心の中で呟いた。
 極秘裏に彼の元へ聖地への召喚命令が来ていた。なんでも女王試験の教官の任について欲しいということだった。
 自分が女王試験の教官になるなど、相応しくないどころかおこがましいとも思うが、それが上からの命令ならそれに従うだけだ。
 聖地へ行ったらしばらくは下界には降りられないだろう。そして聖地は下界と時間の流れが違う。次にこの地を訪れたとき、こちらではどれほどの時間が経っているか計りしれない。
 花を添えている人物と会うなど、きっともう、無理なことだろう。
(いや……これでよかったのかもしれないな)
 ヴィクトールは自分に言い聞かせる。
 もし花を添えているのが、戦死した者の遺族なら、その死に責任があるともいえるヴィクトールになど会いたくないだろう。だから、きっとこれでよかったのだ。
 ヴィクトールは自分が持ってきた花を、すでに添えられていた花の隣にそっと置いた。それから、しばらくのあいだ目を閉じて黙祷を捧げる。
 目を開いて、石碑を見つめた。並ぶ名前。その中には、親友と呼べるほど親しかった者の名や、部下として可愛がっていた者、上司として慕っていた人の名も見つかる。
 彼らに語りかけるようにヴィクトールは話した。
「これからしばらく、ここには来られなくなりそうなんだ。ちょっと、思いもかけないほど遠い場所へ派遣されることが決まってね。でも、任務が終ったらまた来るよ。それに俺は、たとえどれほど遠い場所へ行っても、お前達のこと、忘れたりしないから……」
 答える者は誰もいない。そんな当たり前のことがひどく寂しい。
「じゃあな、また」
 ヴィクトールは墓碑に背を向けて、来た道を振り返らずに歩いていった。
 取り残されたような墓碑の前で、添えられた花だけが風に小さく揺れていた。


 To be continued.