真昼の満月(2)


 週の明けた平日、ロザリアは育成の依頼に、夢の守護聖の執務室を訪れた。
「オリヴィエ様、フェリシアに夢のサクリアを少し送ってください」
「わかった。ちゃんと送っておくよ」
 オリヴィエは、ウインクと共に答えた。それから、手元の現在の大陸についての資料に目を落とす。
「大陸、順調に発展してるみたいだね。さっきディアに会ったんだけど、あんたたちのこと褒めてたよ」
「まあ、本当ですか」
 ロザリアはかすかに頬を染めて喜んだ。ディアは、女王陛下と並んでロザリアの憧れのひとだった。その彼女に褒められるというのは、とても嬉しい。
「建物も、かなり中央の島に近づいてきたし……」
 資料の中の、大陸の地図を指で辿る。建物が建った処は色分けされていて、一目で発展数が分かるようになっていた。
「このままだと、あんたが女王に決まる日も近いね」
 オリヴィエが、地図から目を上げて、ロザリアを見て言った。
「……どういうことですか?」
 ロザリアはいぶかしげに夢の守護聖を見つめた。
 今の処、育成の数は、二人ともほぼ同じだ。まだ女王が決定されるような段階ではなかった。
 第一、このさとい夢の守護聖だ。ロザリア自身と同じように、ロザリアよりもアンジェリークのほうが女王にふさわしいと気づいているはずだ。だから、アンジェリークが女王に決まると言うのなら納得もできるが、何故、自分が女王などと言いだすのか。
 オリヴィエはその視線に、首をすくめて茶化すように答える。
「育成の数じゃなくてさ。アンジェとオスカー、かなりいい雰囲気じゃない。このままだったら、そのうちあの子試験放棄するんじゃないかな、オスカーのために。そしたらあんたが女王だよ」
「アンジェリークと、オスカー様が?」
 何を言われているのか、最初分からなかった。恋愛のために試験放棄、などという図式が、すぐには考え付けなかった。そんなこと、ロザリアは考えたこともなかったから。
「育成に夢中で気づいてなかった? あのふたりのこと」
 確かに、アンジェリークはオスカーと仲がいいとは思っていた。オスカーがよくアンジェリークを誘いに来ていたことも知っている。けれど、他の守護聖より親しいのだろうという程度の認識でしかなかった。ふたりがそこまで親密になっているなんて、考えもしなかった。
「本当に……アンジェリークは試験放棄するつもりなんでしょうか。そこまでオスカー様と親しいんですか」
「この前の土の曜日、アンジェリーク、寮に帰った?」
「!」
 その言葉の意味が分からないほど、ロザリアも世間知らずではない。
 そうだ、定期審査の後、アンジェリークと別れて、そのあと日の曜日の夕方まで、彼女の姿を見ていない……。ロザリアが帰ってきたときにはアンジェリークはまだ帰っていなくて、次の日の朝出かけようとしたときもいなかった。夜遅くに帰ってきて、朝早くに出かけたのだと思い込んでいたが、そうではなくて、彼女は帰らなかったのだろうか。それなら何処にいたのか。何処で何をしていたのか。
「…………」
 眩暈がしてきそうだった。アンジェリークとオスカーがすでに関係を持っているかもしれないからではなくて、アンジェリークが試験放棄するかもしれないという事実に、打ちのめされそうだった。
「……あのこが試験放棄して、だから、私が女王?」
 事実を確信するように、呆然としながら、口から言葉がもれていた。
 自分で言葉に出して、それを認識すると、眩暈が一瞬にして怒りに変わる。
 ひどい屈辱だった。
 アンジェリークは女王を辞退するかもしれないというのだ。彼女は誰よりも女王の資質を持っているというのに! そして、女王になれなくても、せめて最後まで精一杯育成を続けようと思うロザリアのなけなしのプライドまで踏みにじろうというのだ!
 確かにロザリアは女王になりたかった。でも、それは自分が立派な女王になれるだろうという自信のもとでの望みだった。自分より女王に相応しい者がいると知りながら、そのひとから女王位を譲られたのでは意味がない。どんな方法ででも女王になれれば嬉しいと思うほど落ちぶれていない!
 許せない許せない許せない! そんなことは絶対に許せない!
 アンジェリークが、自分よりも女王の資質に長けた者が、試験を放棄して、だから自分が女王なるなど! 誇りにかけても絶対に許せない!!
「……ロザリア?」
 様子のおかしい女王候補に、オリヴィエは不審げに声をかける。
「……いいえ、なんでもありませんわ。オリヴィエ様」
 言いおいて、挨拶もそこそこに、夢の守護聖の執務室を飛び出した。
(許さない。許さない、試験を放棄するなんて、女王を辞退するなんて。そんなこと許さない! そんなことさせない!!)
 いちばん最初、試験の開始のときにも、アンジェリークとロザリアは握手をしながら励まし合った。お互い正々堂々、最後までがんばりましょうね、と。そのとき自分は、もちろん勝つ気でいたけれど、その言葉には微塵の嘘も侮蔑もなかった。
 それなのに、そんな記憶も、粉々に砕かれるようだ。そんなことは、決してさせはしない。
 どうすればいいのか考える。このままでは、アンジェリークが試験放棄を言いだすのは時間の問題だ。どうすればそれを止められるのか。
 いちばんいいのは、アンジェリークとオスカーの仲を裂くことだ。たとえばオスカーに他の女性をけしかけてアンジェリークと別れさせたり、あるいはアンジェリークのほうがオスカーに愛想をつかすようにすればいい。
(けれど、どうやって?)
 女王候補として育ってきたロザリアにとって、同じ年頃の少女達が経験するような恋愛沙汰には、ほとんど関わったことがなかった。女王には恋愛感情など不必要だという考えがあったし、自分の誇りがそういう感情を抑えていたようにも思う。想いを寄せてくる人間が少なからずいなかったわけではないが、そのすべてを拒否していた。
 そんなロザリアに、恋仲のふたりの仲を裂く、有効的なよい方法など、浮かぶはずもなかった。また、稚拙な方法でそれを試してみたところで、恋愛ごとに長けたオスカーや、まっすぐな心を持ったアンジェリークには通用しないだろう。
 それに万が一うまくいったとして、オスカーと別れ傷ついたアンジェリークが、やっぱり下界におりるとも言い出しかねない。
(どうすれば、いいの…………?)
 アンジェリークに、試験放棄をさせずに、彼女を女王にする方法…………。
(…………)
 その方法を、ひとつ、ロザリアは思いついた。
 けれどそれは、最後まで正々堂々と戦おうと決めた自分の意志や誇りに反することだ。 とても卑怯でもある。
 それでも。
 アンジェリークから女王位を譲られ自分が女王になるという屈辱よりは、すべてがマシに思えた。
 自分が、自分にふさわしくない王冠を掲げて玉座に座る姿など、決して許せなかった。 第一、宇宙のためにもならないだろう。
(あの方なら、きっと、協力してくれる……)
 ロザリアの脳裏に、守護聖首座である、光の守護聖の姿が浮かんだ。おそらくは、考え方などが自分にいちばん近しい人物。彼なら、この身勝手な考えにも、賛同してくれるだろう。
 ロザリアはすぐに、光の守護聖の執務室に向かった。



「失礼します、ジュリアス様」
「ロザリアか。育成か?」
「いいえ。今日は、お話しに来ました」
「ほお」
 めずらしい、というように、光の守護聖は女王候補に視線を向けた。
 もうひとりの女王候補アンジェリークは、よく話をしにきたりする。けれど、ロザリアが平日に話をしに来たのなどはじめてだった。育成に手一杯でそんな余裕がないのと、無用なおしゃべりをする暇があったら育成をするロザリアの姿勢のためだ。
 アンジェリークに向けるような好意とはまた違うが、品格があり礼儀正しいこの女王候補も、ジュリアスは嫌いではなかった。
「それで、どんな話をすればいいのだ?」
「アンジェリークのことなのですが」
 そう、ひとつ言いおいた。その瞬間に、少し光の守護聖の表情が変化したことを、ロザリアはめざとく見つけていた。
「ジュリアス様は、アンジェリークとオスカー様がとても親しいこと、ご存じですか?」
「よく共にいる処を見かけるな」
 やはり、さっきまでの自分同様に、彼にもその程度の認識しかないらしい。守護聖首座という立場の彼も、恋愛と女王を天秤にかけることなど思いつきもしないのだろう。
 ロザリアは声を潜め、光の守護聖に耳打ちした。
「……土の曜日、アンジェリークは寮に帰ってきませんでした」
「…………それは、…………」
 うといジュリアスでも、その意味は分かったようだった。眉がひそめられ、みるみるけわしい表情になってゆく。
 おそらくは、そのことを夢の守護聖に聞いたときの自分と同じような考えが、光の守護聖の頭の中を駆けめぐっているのだろう。女王に心酔する彼にとって、女王にふさわしい力を持つアンジェリークが女王を辞退するなど、決して許されることではないだろう。
 だからきっと、彼なら。
「ジュリアス様。私に、お力を貸してはくださいませんか?」
 ジュリアスは、ロザリアを見つめた。その藍色の瞳に、暗い光が宿っているのを、はっきりと見つけた。
(どう、するつもりなのだ?)
 彼女が何をするつもりなのかは分かっている。アンジェリークが試験放棄したり女王を辞退しないようにするのだ。それは、しなければならないこととして、自分も思う。けれど、その方法は、どうするというのか。そんな暗い瞳で、何を考えているのか。
 分かっていた。その誘いは撥ね除けるべきなのだと。それはもう引き返すことの出来ない下り坂の入り口なのだと。
 ……分かっていた。
 でも、あるいは、だからこそ。
「……よかろう。私は、何をすればよいのだ?」
 ジュリアスはそう答えていた。
 その答に、ロザリアのくちびるが、笑みの形を作る。瞳には暗い光を宿したままで。
「力を送ってください。たくさん。出来るだけたくさん。…………アンジェリークの大陸エリューシオンに」
「……フェリシアにではなく、エリューシオンに?」
「ええ」
 ロザリアは深くうなずいた。
 ジュリアスは、ロザリアが何をするつもりなのか悟った。そして、それがどういう結果を招くかも。
 彼女が試験放棄を言いだす前に、無理にでも彼女を玉座に上らせるつもりなのだ。大量のサクリアを法外に送ることによって、エリューシオンの民を、無理矢理中央の島まで連れてゆくつもりなのだ。
 どういう形であれ、民が中央の島にたどりついたなら、その者が女王となる。その者に、現女王が持っているサクリアと地位とが譲られる。それは、どうあがいても拒否できない。……アンジェリークが、女王になる。
 一瞬、金の髪の少女の姿が脳裏をよぎった気がした。愛らしい笑顔。ひたむきな姿。誰からも愛される天使。
 彼女はそんなふうに玉座に上ることを喜ばないだろう。オスカーと結ばれたがっているのならなおさら。その結果に哀しみ、涙を流すだろう。
 また、そんなことをした自分を、多くの者が責め蔑むだろう。守護聖首座という立場にありながら、そんなことをしたと、責め蔑むだろう。
 それでも。
「わかった。エリューシオンに、私のサクリアを送ろう」
 そう、答えた。



 突然大量に送られた光のサクリアに、大陸は多少バランスを崩しながらも、エリューシオンは急速に発展した。
 その異常事態に皆が気付くよりも前に、光の柱が中央の島に立った。立ってしまった。

 ……新女王アンジェリークの誕生だった。


 To be continued.