恋愛童話


 愛らしい少女は、公園の木陰にあるベンチに座って本を読んでいた。
 風邪が吹くたび柔らかく揺れる金の髪も、物語を追って期待に輝く翡翠の瞳も、見ている者を引き付けてやまない愛らしさだった。
 その少女が、ふと何かに気付いたように、読んでいた本から顔を上げた。
 そして視線の先に待ち人の姿を認めると共に、笑顔をという花が咲きほころぶ。
「ルヴァ様」
 小走りに、少女は地の守護聖のもとへ走ってゆく。
「あー、アンジェリーク。お待たせしてしまいましたかー?」
「いいえ、私が約束の時間より早く来ていたんです。この間ルヴァ様に薦めていただいた本を読んでいたんです。まだ途中なんですけど、すっごくおもしろいですね! 他にもいい本があったら教えてくださいね」
「そうですかー? そう言って頂けると私も嬉しいですねー」
 ルヴァは少し照れたように笑って、アンジェリークに腕を差し伸べる。
「それじゃあ今日は何処へ行きましょうか? 何処か行きたい処はありますか?」
「私、森の湖に行きたいです!」
 アンジェリークは無邪気にルヴァの腕に自分の腕を絡める。その行動にも言葉にも、ルヴァはどきどきしてしまう。
「あー、アンジェリーク。貴方はあの湖がなんと呼ばれているか、知っていますか?」
「『恋人達の湖』、でしょう」
 あっさりと言われて、ルヴァは内心溜息をつく。二人きりで森の湖に行こうと誘う意味を、この少女は分かっているのだろうか。……いや、分かっていないだろう。だからこそ、こうして無邪気にルヴァを誘うのだろう。
「……駄目ですか?」
 腕を絡めたまま、上目遣いに、少しだけ首を傾げたその可愛らしい仕草で尋ねられて、断れる訳もない。
「いいえ。それじゃあ行きましょうか」
「はい!」
 満円の笑みを向けられて、ルヴァはこの笑顔が見れるならそれでもいいか、と思った。



 女王候補としてこの地に招かれた金の髪と翡翠の瞳の少女は、その愛らしさと純粋さで、飛空都市にいる全ての人々に愛されていた。
 もちろん守護聖達も例外ではない。
 誰にでも優しく誰とでも仲良くなる夢の守護聖、水の守護聖、緑の守護聖、風の守護聖などはもちろん光の守護聖ですら彼女には甘く、この間の休日には、一番の腹心である炎の守護聖にすら乗せたことのない秘蔵の愛馬に乗せてやったという。人を寄せ付けない闇の守護聖も、彼女が来たときのために執務室に甘いお菓子を用意しているというし、あまり他人に態度がいいとはいえない鋼の守護聖も、アンジェリークのために機械仕掛けの人形を作ってあげたりしていた。
 中でも、炎の守護聖が金の髪の女王候補アンジェリークにひとかたならない想いを抱いていることは、飛空都市の皆が知る処であった。なにしろあのオスカーが他の女性には目もくれず、金の髪の女王候補のみを追いかけているのだから。
 けれど、当の本人アンジェリークは、地の守護聖ルヴァに一番なついていた。
『なついている』という表現は、誰が言いだしたという訳でもないが、地の守護聖の持つ雰囲気のせいか金の髪の少女の雰囲気のせいか、誰がどう見ても恋人同士のようには見えず、『なついている』という表現になってしまうのであった。
 それはそれでアンジェリークと一番親しいことには変わりはないので、ルヴァを羨ましがる人間もたくさんいたが、ルヴァ本人としては、何だか少しだけ寂しい気がするのであった。



 女王試験も着々と進み、二人の女王候補の建物も、大陸のなかばを少し越えた頃の火の曜日のことだった。
 ルヴァの執務室がノックされた。
「はい、どうぞ」
 ルヴァは当然女王候補のどちらかだと思っていたが、入ってきたのは以外にも、炎の守護聖だった。
「おやー、オスカー。貴方が来るなんて珍しいですねー。何かあったんですか?」
 とりあえずお茶でも入れようとするルヴァを引き止めて、オスカーははっきりと切り出した。
「ルヴァは、アンジェリークのことを、どう思っているんだ?」
 オスカーのその突然の質問に、ルヴァは訳もなく慌てふためいてしまう。
 そんなルヴァを無視して、オスカーはきっぱりと言い切る。
「俺は、彼女のことが好きだ」
 オスカーの瞳は、その身に宿すサクリアの通り、燃えているようだった。彼の本気が伝わってくる。今まで彼が相手にしてきた遊びの恋などとは違う、本気でアンジェリークを愛しているのだということが、その目を見ただけで伝わってきた。
 思わずオスカーから視線を外しながら、ルヴァはまるで言い訳のように答えていた。
「あ〜、彼女はですねえ、女王候補としてこの地に招かれたんであって、女王となるためにここにいるんですよ。ですから、そんな、好きだとかそういうことはですねえ」
「じゃあルヴァは、アンジェリークのことをなんとも思ってないんだな」
 自分よりも長身のオスカーに詰め寄るように尋ねられて、訳もなくルヴァは小さくなってしまう。
「なんとも思ってない訳じゃありませんよー。ただそれはですね、女王候補としての彼女をとても好ましく思っているというだけで、もちろん一人の女性としても、彼女はとても素晴らしい人だとは思いますが」
「ともかく、彼女を愛してる訳じゃないんだな?」
 確認するように尋ねられて、ルヴァは顔を赤くしながら首を振る。
「そんな、愛してるだなんて」
「そうか、それを聞いて安心した。失礼したな、地の守護聖殿」
 その答えを聞いて満足したように微笑むと、オスカーは軽やかな足取りで執務室を出ていく。
 再び執務室で一人になったルヴァは、何だか自分がとんでもない間違いををしでかしてしまったような気持ちになったが、何度思い返しても間違いがなんなのか分からなかった。



 水の曜日、ルヴァは調べもののために王立図書館へ行き、数冊の本を手に自分の執務室へと帰る途中だった。別に公園を通らなくてもよかったのだが、天気がよかったので、散歩がてら公園を通っていくことにした。
 のんびりと歩いていたルヴァは、前方に見知った影を見つけた。光に輝く金の髪。アンジェリークだ。
 ルヴァは声をかけようとして、けれどその声はのどの奥に貼り付いたように止まった。
 アンジェリークはオスカーと共に歩いていた。
 オスカーの腕はまるで自然にアンジェリークの肩を抱き、二人は体が触れ合うほど密着して歩いている。時折オスカーがアンジェリークに何かを話しかけ、そして二人で微笑み合う。
 二人はどう見てもお似合いの恋人同士で、彼こそがアンジェリークの隣を歩くに相応しいように思えた。長身で均整の取れた身体。整った精悍な顔だち。オスカーは、同性のルヴァから見ても飛び抜けて優れた容姿をしていた。
 ルヴァはふと、自分の姿をかえりみてしまった。いつもは、容姿ばかりが人を決める訳ではないと思って、そんなに気にもしないことなのに。
「ははは……何をやっているんでしょうね、私は」
 ひとり自嘲ぎみにつぶやいて、ルヴァは公園を足早に出ていった。



 何だか、胸の辺りがもやもやしていた。
 自分の執務室に帰ってきてからも、気がつけばルヴァの頭の中で、オスカーとアンジェリークが共に歩いていたあのシーンが反芻されていた。そのことばかり考えて、仕事もろくに手に付かない。
(なんと言うか……本当に、お似合いですよねえ)
 金の髪の愛らしい少女と、赤い髪の精悍な青年。二人が共に歩く姿は、誰が見ても羨ましがり、そして溜息をついて見惚れてしまうような情景だ。
 もちろん見た目だけのことではない。確かにアンジェリークは女王候補としてこの地に招かれ、そのためにここにいるのだが、女王になること、それだけが一番の幸せではないことはちゃんと知っている。だからアンジェリークが一番幸せになるなら、女王にならなくても、そう思っている。
 今まで私生活、特に女性関係については、あまりよいとはいえなかったオスカーだが、アンジェリークが来てからはそれも改められている。オスカーが本当にアンジェリークを愛しているのなら、彼はきっと、彼女を誰より幸せにするだろう。
 アンジェリークの幸せを誰より願うルヴァにとっても、それは喜ばしいことの筈なのに、やっぱり何故か、胸のあたりが重い。
 そんな時、ルヴァの執務室がノックされた。
「こんにちわ、ルヴァ様」
 笑顔と共に入ってきたのはアンジェリークで、ルヴァは少なからず驚く。けれどそれを悟られないよう、精一杯平静を装う。
「あ、アンジェリーク。よく来てくれましたね」
 オスカーはどうしたんですか、という台詞をかろうじて飲み込む。それは、ルヴァの立ち入る領域ではない。
「今日はお話しに来ました」
「あー、それじゃあ何の話をしましょうか」
 けれどルヴァは、全くアンジェリークの話を聞いていなかった。こんな処にいるよりも、オスカーといたほうが楽しいのではないかとか、そんな思いばかりが沸き上がってきて、ろくに話に集中できないのだった。
 何を言ってもうわのそらで相づちばかり打つルヴァを、アンジェリークが不審に思わない訳がない。
「どうかしたんですか。ルヴァ様」
 大きな翡翠の瞳が、心配そうに自分の顔をのぞき込む。鼻先が触れそうなほど顔を寄せられて、思わずルヴァは避けるように身体を引いていた。
 思いがけない反応に、アンジェリークは目を丸くする。これくらいのスキンシップはいつものことで、顔を近付けたくらいでルヴァが身を引くなんてことはなかった。今のは、明らかに避けられたのだ。
「あ、あー、アンジェリーク、い、今のはですねー」
 ルヴァも今のはあからさまに不自然だったと思い、うまい言い訳を考えるが、何も思い付かない。
 ルヴァが言い訳を考えて戸惑っているうちに、アンジェリークがすっと立ち上がった。
「ルヴァ樣。私、今日はもう帰りますね」
「あーそうですか。じゃあ寮まで送りましょう」
「いえ、大丈夫です。ひとりで帰れます」
 言って、アンジェリークは飛び出すように執務室を出ていってしまった。
 ルヴァは追いかけようと思ったのだが、どうして追いかけるのか、追いかけてそれからどうするのか分からなくて、結局追いかけるのをやめてしまった。
 こんな時、オスカーだったらきっとうまく立ち回れるんだろう、などと考えてしまって、ルヴァはまた一人乾いた笑いをもらすのだった。



 数日後、ルヴァはゼフェルを探して聖殿の中を歩いていた。急ぎの用ではないが、次回の謁見に関する連絡事項があったからだ。ゼフェルは執務室にいなかった。けれどそれもいつものこと。彼のいそうな心当りへ向かう処だった。
 廊下の前方に銀色の見慣れた影を見つけて、ルヴァは声をかける。
「あ〜、ゼフェル。今度の謁見のことなんですけどね」
 ルヴァの声に、ゼフェルが振り向く。ゼフェルの向こう側にいたため、ルヴァには死角になって見えなかったが、その隣には、金の髪の少女アンジェリークがいた。
 ルヴァの姿に気付くと、アンジェリークはゼフェルに急いで一礼して駆け去ってしまった。
 ゼフェルはいったん引き止めようとしたが、伸ばしかけた腕を引っ込めて、ルヴァの方を振り向いて眉をしかめた。
「ルヴァ、おめーよー、俺に説教たれる前に、アンジェリーク泣かすんじゃねーよ」
「彼女泣いていたんですか? どうして……」
 あの明るく誰より笑顔の似合う少女は、思いのほかしっかりして、すぐに訳もなく泣くようなことはしない。その彼女が泣くなんてよっぽどのことがあったのだろうか。
「どうしてって、おめーのせいだろーが」
「えっ、私ですか? 何でしょう、知らないうちに彼女を傷つけてしまっていたんでしょうか?」
 自分自身としてはまったく自覚のないルヴァは、ただ慌てて戸惑ってしまう。
「おめー最近、アンジェリークのこと避けてんだって?」
「ち、違いますよー。避けてる訳じゃなくて、ただ……」
「ただ?」
「アンジェリークは、私なんかといるよりも、その、たとえばオスカーなんかと一緒にいたほうがいいのではないかと思いましてー」
 その答えに、ゼフェルは呆れて溜息をつく。
「ルヴァはアンジェリークのことどう思ってんだ?」
 つい先日のオスカーと同じ質問に、ルヴァは慌ててしまう。
「え、えーと、その質問って、もしかしてゼフェル、貴方もアンジェリークのことを好きなんですか?」
「……俺『も』? ってことは、ルヴァ、おめー」
「あ、違いますよー、オスカーですよ。先日彼にも同じ質問をされたのでー」
「オスカー?」
 それを聞いて、鋼の守護聖は大体の事情を理解した。
 つまり、オスカーがルヴァに牽制をかけて、そのせいでルヴァはアンジェリークを避け、避けられたアンジェリークがルヴァに親しい自分に泣き付いてきた訳だ。
 ゼフェルは自分の師匠格の青年を見る。純情と言えば聞こえはいいが、ここまで来ればただの間抜けである。
「何処の世界にも莫迦っているよな……。頭の出来の善し悪し以前の問題だもんな、これは。で、そのこいつが知恵を司る地の守護聖だってんだから、世も末だよ」
「どういうことですかー。ゼフェル」
「俺から見りゃ、どーもこーもねーよ」
 まったくアンジェリークも、こんなのの何処がいいんだか、というゼフェルの呟きは、ルヴァには届かなかった。
「……ルヴァ、おめーもういっぺん、自分がアンジェリークのことどう思ってるかじっくり考えろ。他の奴のこととか、立場のこととかなんにも考えないで、ただそれだけ考えろ。俺に言えるのはそれだけだ」
 疲れたように、いや実際ルヴァと会話をしていて疲れてしまったゼフェルは、多分アンジェリークを追いかけて慰めるために、彼女が走っていった方向へと去っていった。
 いつもとは逆にゼフェルに説教されてしまったルヴァは、何となく茫然としながら是フェルの言葉を小さく反芻していた。
「私の……アンジェリークに対する、気持ち……」
 その日からルヴァは、仕事も食事も睡眠もそっちのけで、思い悩むことになるのだった。
 そして結局、ルヴァが考えに考えを重ねて自分の気持ちに思い至るまでに、それから数日を費やすことになるのだった。



 週の明けた月の曜日。ルヴァはオスカーの執務室を訪ねた。
「あー、オスカー、ちょっといいですかー?」
「何だ、ルヴァ?」
 ルヴァの姿に、何処となくオスカーは不機嫌なようだったが、ルヴァはそれに気付かなかった。
「この間のことなんですけど、ほら、アンジェリークのことをどう思っているかと聞かれたことなんですけどね」
 アンジェリーク、と言われてオスカーの眉がぴくりと動いたことに、やはりルヴァは気付かない。
「良く考えたんですが、あのー、やっぱり私は、アンジェリークのことを、女王候補として好ましく思う以上に、一人の女性としてとても素晴らしい人だと思うんですよ。いえ、もちろん女王候補として彼女が劣っているという訳などではなくー」
 放っておいたら、本題に入れないまま延々と続きそうなその言葉を、オスカーがさえぎる。
「それで? つまりはなんなんだ?」
 オスカーは怒りにか、頬をひきつらせていた。
 促されて、ルヴァは少女のように顔を真っ赤に染めて、照れたように言った。
「その、つまりですねー。……私はどうやら、アンジェリークのことを愛しているようなんですねー」
 ルヴァの告白に、一拍置いて、オスカーは叫んだ。
「それを俺に言ってどうするんだよ!」
「いやー、でもこの間尋ねられたでしょう。それに貴方もアンジェリークのことを本当に好きなようでしたから、ちゃんと言っておいたほうがいいのではないかと思ったんですがねー」
 オスカーは無言で椅子から立ち上がると大股でルヴァに歩み寄り、その肩を掴むと、まるで放り出すように廊下へ押し出した。そして、怒ったように、そして何処か呆れたように言った。
「いいかルヴァ、お前が分からないなら俺が教えてやる。今お前がすべきことは、俺につまらない言い訳なんかすることじゃない。アンジェリークを見つけて、今俺に言ったことをそのまま彼女に伝えるんだ。いいな?」
 それだけいうと、ルヴァの目の前で大きな音を立てて扉が閉められた。



 閉ざされた扉の向こうで、炎の守護聖オスカーは、扉に背を預けて大きく息をついた。
『ごめんなさい、オスカー樣。私、ルヴァ様が好きなんです』
 耳によみがえるのは、前の日の曜日、森の湖で少女に想いを告げたときの答え。
 多分そう言われるだろうことは分かっていた。けれど悔しくて、諦めきれなくて、意地悪を言ってみた。
『でもルヴァは、君のことなんてなんとも思ってないって言っていたぜ』
 なのに。
『オスカー様は、私がオスカー様のことが好きだから、私を好きになったんですか? 違うでしょう。私もそうです。ルヴァ様が私のことをなんとも思っていなくても、たとえ他の人を好きでも、それでも、私はルヴァ様が好きなんです』
 少女はその翡翠の瞳で、オスカーの薄氷色の瞳をまっすぐにみつめて、あでやかに微笑んだ。
 ……本当は、無理矢理にでも手に入れてしまおうと思っていた。それほど好きだった。それほど愛していた。
 けれど、あの微笑みを見せつけられて、それを実行できる者はこの世にはいないだろう。
 今まで、どんな美女も、口説かなくても向こうから寄ってきた。口説いたなら、断る者などいなかった。望まなくても何でも手に入ったから、何かを欲しいと思うこともなかった。本気になることなどなかった。
 けれどあの金の髪の少女に出会って、初めて恋をした。初めて愛した人だった。どうしても手に入れたくて、大切に守りたくて、自分にこんな感情があったのかと笑ってしまうほど、本気になった。
 けれどあの翡翠の瞳は、オスカーを映してはくれない。それを知ったときの絶望と哀しみ、そして、渦巻く黒い感情。なのに、それさえも消してしまうほどの美しくあでやかな笑み。
 あの微笑みを消してしまうことなどオスカーには出来なかった。
「いいさ、君が幸せなら、それで」
 オスカーは、まるで自分に言い聞かせるように、小さく呟いた。



 オスカーの執務室を追い出されたルヴァは、アンジェリークの姿を探して歩いていた。
 確かにオスカーの言う通りだった。今彼がすべきことは一つだ。
 アンジェリークは聖殿の中にはいなかった。公園だろうか、それとも占いの館だろうか、そんなことを考えながら歩いていて、ルヴァはふと思い当たった。
 彼女がいる場所はきっと……。
 そこで祈ると、想い人が訪れるという伝説のある場所。ふとそこを思い付いたのは、もしかしたら、そこで祈る彼女に呼ばれたのかもしれない。
 もし彼女がいなかったなら、自分が滝に祈ればいい、彼女が来るようにと。
 そう思い、ルヴァは、彼にしてはめずらしく小走りでその場所を目指した。
 森に入り、小道を抜ける。少し進んだ拓けた場所に湖がある。
 遠目にも、そこにいる人影が見えた。湖を背景に、金の柔らかくうねる髪が日差しを受けて輝いていた。  走ってくる足音に、アンジェリークがゆっくりと振り返る。翡翠の瞳がルヴァを捕える。なめらかな頬が桜色に染まる。笑顔が咲きほころぶ。
「ルヴァ様、お会いしたかったんです!」
 少女が微笑む。ルヴァもつられるように微笑みながら、少女の小さな身体を抱きしめていた。
「ルヴァ様?」
「アンジェリーク、私も、貴方に会いたかったんですよ。貴方に、伝えたいことがあるんです……」
 滝の落ちる水音が、美しい調べのように響く。水滴が光を乱反射して、宝石よりも美しく輝く。
 ここは、恋人達の湖。
 そしてまたひとつ、新しい伝説が生まれる。


 END