君に逢いたい午後(2)


 一週間とはこんなに長いものだったか。チャーリーはじりじりと週末を待った。
 そしてやっとやってきた週末、久々に店に現われた彼女の金の髪には、当然のごとく感性の教官に売った髪留めが留まっていた。そして胸元で美しく輝いているのは、炎の守護聖が買ったピンブローチ。
(やっぱりや〜〜〜〜!!!)
 心の中で、声にならない絶叫を上げる。この分だと、彼女の机の上には某研究員の買った羽ペンがあり、部屋の壁には某守護聖の買ったミニタペストリーがかかっていることだろう。
(やっぱり〜〜、俺敵に塩送っとったんや〜〜〜〜! 俺の馬鹿〜〜〜!! でも一応商売やから売らんわけにもいかんし〜〜あ〜俺どないすればいいんや〜〜〜〜!!!)
 心の中で頭を抱えて悶える。根っからの商売人として、心情など表には出さないけれど、思わず口の端がひきつるくらいには顔に出てしまった。
「どうかしたの、商人さん?」
「い、いや、なんでもないんや」
 敵に塩を送っていたことに落胆するチャーリーだが、とりあえず持ち前の明るさですぐに復活した。
 そう、落ち込んでる暇などないのである。ライバル達に遅れをとったなら、取り返さねばならない。
「いや〜、あんさんが来てくれるのず〜っと待っとったんや。来てくれて嬉しいわ〜」
「ほんとに商人さんは商売上手ね」
 金の髪の少女は可愛らしく、くすくす笑う。
 チャーリーはいたって本気なのだが、キャラクター的にどうもうまく伝わらない。
 とりあえず、ただの商売人とお客の関係から一歩前進しなくてはならないので、ナンパの第一段階、名前を聞くことにする。
「なあなあ、あんさんの名前教えてくれん?」
「えと……」
 少女は困ったようにうつむく。
 その様子を見てチャーリーは慌ててしまう。
「あ、もちろん、名前聞いて家まで押し売りに行こうとか、そういうんやないで。ただ、純粋に名前知りたいなあと思うて」
 必死に弁解してみるのだが、ただ名前を知りたいというのはナンパ以外のなにものでもなく、彼の見た目と軽さもあいまって何だか十分怪しそうである。
(俺が女でもこんな奴に名前教えたくないかも……ちゅーことは、彼女はもっと教えたがらんてことやん!)
 ふとそんなことを思ってしまい、更に必死に弁解し、どつぼにはまってゆくチャーリーである。
 もちろんそんな心の中の葛藤を、目の前の金の髪の少女が知るよしもない。
「ごめんなさい、名前、教えられないの」
 本人にその気はなくとも、これはチャーリーにとってカウンターパンチである。
(俺が怪しい奴だからか〜!? 俺怪しいか〜〜そんなに怪しいか〜〜!? ……いや十分怪しいよな……って、納得してどうする〜〜〜!!)
 そのときの彼の心の葛藤は、十分顔に出ていた。よっぽど情けない顔をしていたのだろう、少女もそれを見て急いで付け加える。
「もちろん商人さんを疑ってるわけじゃないのよ。でも、ちょっと事情があって」
「事情? 事情か〜。そうか〜それじゃあしゃーないな〜」
 しつこく迫って、ストーカー男として嫌われるなんてもっての他だから、とりあえず物分かりのいい振りをして、名前を聞くのは一旦諦める。
 しかし、転んでもいいが、ただで起きてはいけない、というのがウォン家の信条だった。
「そっか、それじゃ〜しゃーないな。そんかわり」
 チャーリーは立てた人指し指を少女の目の前に突き付けた。
「今日は俺と一緒に森の湖に行こうや。なっ!」
「えっ。だって、商人さんお仕事あるでしょう?」
「えーんやえーんや。今日はもう閉店や。な、えーやろ? ……それとも都合悪いか?」
 大の男が様子を伺うように怖々と聞いてくるその姿が、こう言ってはナンだが可愛くて、金の髪の少女は思わず微笑んでしまう。
「もう、商人さんたら。いいわ、今日は森の湖でデートしましょう」
(で、ででででで、で〜と!?)
 自分から誘っておきながら、少女にデートという単語を使われて、照れて慌てふためいてしまう。
(そ、そやな、デートだよな。デート……なんてええ響きなんや〜〜)
 完全に初恋に胸をときめかせる少女状態である。
「じゃ、行きましょう、商人さん」
 言って、少女は無邪気にその細い腕をチャーリーの腕に絡ませた。
 今までどんなことがあっても店を休んだことなどないチャーリーが、店をほっぽりだして森の湖に向かうその足取りは、重力に逆らわず地面についていることが不思議なくらい浮足立っていたことは言うまでもない。
 ちなみに右手と右足が同時に出ていたりもしたが、そんな瑣末時は今は関係のないことであった。
 チャーリーにとってその日の森の湖がいつもの5倍輝いて見えて、周りを囲うピンクの花々の幻が見えていたことに、間違いはない。



 次の週末、チャーリーはぼんやりと物思いにふけっていた。
 店先では二人の女王候補達がそんなチャーリーを無視して、並べられた品物を見ながら話をしていた。
「あ、この髪飾り可愛い〜」
「ほんとだ。いいね、これ」
「う〜ん、でも、私の茶色の髪だとちょっと色が合わないかなあ。レイチェルみたいな金髪にだったらすごく映えそうじゃない?」
「でもなんかいまいち私のイメージに合わないなあ。こういうのはあんたみたいな色白の方が似合うよ、きっと」
 そこまで話していて、女王候補達の脳裏にふと、一人の少女の姿が思い浮かんだ。
「色白で金髪……」
 この髪飾りが誰よりも似合いそうな、色白で金髪の少女を、女王候補達は一人だけ知っていた。彼女なら、この髪飾りが誰よりも似合うだろう。
 しかし、あのひとがこんな処に来るわけはないという先入観、あるいは常識的な考えにより、その意見は別段口に出されることもなかった。
 いつもは売り込みをするチャーリーは、今日は客には目もくれずぼんやりと並べられた商品を見つめていた。
(あのこ、今日は来ないんかな〜。せっかく今日も喜びそうな品物ぎょうさん仕入れてきたのにな〜)
 店先で楽しげに商品を選んでいる女王候補達にちらりと視線を送る。彼女達にならどんな軽口も叩けるのに、あの金の髪と翡翠の瞳の少女の前では、なんというていたらくだろう。
 ふう、とひとつ溜息をつく。
 先週、一緒に森の湖に行ったことを思い出すと、今でも胸が苦しくなるくらいだ。
 陽差しを弾いて輝く金の髪、森の緑より鮮やかな翡翠の瞳、水しぶきにさらされたしなやかな足など、思い出すだけでもう……。
(……俺、完全に恋する乙女状態やな……)
 多少の自覚はあるらしい。それを自覚していてもなお、どんなにみっともなくても間抜けでも、彼女に惹かれてならない。
 しかし、こんなにこんなにこんなに惹かれているのに、チャーリーは彼女のことをほとんど何も知らないのだ。
(そういやあのこ、女王候補さん達と同い年くらいやな。もしかして、知り合いってことないかな)
 狭くもないが広くもない聖地、同い年くらいの女の子だったら、女王候補達と友達になっているかもしれない。
 もしかしたら、彼女のことについて何か分かるかもしれない。
(そや、ダメモトで聞いてみよ)
 チャーリーは思い立って、店先にいる茶の髪の女王候補に声をかけた。
「な〜、アンジェリーク」

「「はい?」」

 一瞬、皆顔を見合わせた。今、確かに声が二つ重なった。
 ひとつは茶の髪の女王候補のものだった。ではもう片方は、誰の声?
 皆の視線は、丁度店に入りかけていた、金の髪の少女に注がれた。金の髪の少女はしまったというように、くちもとを手で覆っていた。
 女王候補二人は、その少女に見覚えがあった。
 けれど、その人がこの場にいることが信じられず、一瞬思考が止まる。そして次の瞬間二人同時に叫んでいた。
「「へっ、陛下!?」」
 話について行けていないチャーリーは、女王候補達の言った言葉を瞬時には理解できなかった。
「へいか? 平価? 塀か? ……陛下?」
(陛下って……、陛下って……!?)
「え、ええええ、ええええええぇぇぇ〜〜〜〜!!???」
 チャーリーの驚きによる絶叫が庭園に響き渡った。



 それからの騒ぎはすごかった。
 チャーリーの絶叫に何事かと皆が駆け付けて、もちろんその中には守護聖も混じっていて、そこにいるはずのない女王陛下の姿を見てさらに大騒ぎになった。
 ごちゃごちゃのぐちゃぐちゃになりながらも事態がなんとか一旦収集したのは、夕暮れ間近になるころだった。
 騒ぎもやっと納まり、陽の傾きかけ、人もまばらになった庭園で、チャーリーは金の髪の少女と並んで噴水の縁に座っていた。
「まっさか、あんたが女王陛下だったとはな〜、さすがの俺も考えつかんかったわ」
「ごめんなさい、内緒にしてて」
「ま、そういう事情なら、そりゃしゃーないわな」
 彼女が自分に名前を教えなかったのも、女王だからなのだ。嫌われていたとか、怪しまれていたわけではないと知って嬉しくなる。
 だがしかし、よく考えると、某守護聖やら某教官やらは、女王に近いその立場を利用して彼女にアタックしているのだ。週末にしか会えない、しかも毎週会えるとも限らないチャーリーは断然不利である。
(そや、こりゃーおちおちしてられへん! 直球勝負や!!)
 チャーリーはアンジェリークに向き直ると、その細い肩を両手で掴んだ。まっすぐにその翡翠の瞳を正面から見つめる。
「アンジェリーク。女王やめて、俺と幸せにならへん?」
 突然そんなことを言われ、アンジェリークは目を丸くする。それから、くすくすと笑いだした。
 確かにそんな笑い顔も可愛いのだが、一世一代の告白、しかもプロポーズもどきを、そんなふうに笑われてしまっては、チャーリーだって立つ背がない。
「そないに笑わんでも……俺がこんなこと言うのおかしいか?」
「そうじゃないのよ。そうじゃなくてね」
 少女は笑いを収めて、代わりにとろけそうなほど可愛らしい微笑みをチャーリーに向ける。
「商人さん、気は長い方?」
 アンジェリークは金の髪を揺らしながら、可愛らしく首を傾げる。
「へっ? 気? そりゃ、短気ちゅーわけでもないと自分じゃ思うてるけど……」
「実は、他のある方からも、私が女王を辞めるまで待つって言われているの」
「なっ、なんやと〜!?」
 そんなことを言いそうな奴を思い浮かべてみる。守護聖のあいつとあいつ、教官のあいつに、研究員のあいつも……。数え上げたらきりがない。
「……そう言っとる奴って、ひとりか?」
 嫌な予感を覚えながらも、おそるおそる尋ねてみる。
 その質問に、少女はにっこり微笑むことで答えを返す。
(あかん。絶対ひとりちゃうわ〜〜)
 ライバルは一体何人いるんだか、見当もつかない。しかも手強そうな奴ばかりだ。
 だからといってもちろん諦める気もさらさらないが。
「よっしゃ、俺も負けてられへん! やったるで〜!」
 一発奮起して、チャーリーはガッツポーズを取った。
「頑張ってね、商人さん」
 そして次の瞬間、アンジェリークのくちびるはチャーリーの頬に軽く押しつけられた。
 まるで羽毛で触れたようなキスの後、なんにもなかったようにアンジェリークは立ち上がった。
「それじゃあ商人さん、またね」
 軽く手を振って、さっさと帰っていってしまう。
 一方チャーリーは事態が把握できずに固まったままだった。
(あれ、今なんや柔らか〜いもんがほっぺた当たって、あれはアンジェのくちびるで……ってことは……ってことは!!!)
 事態を把握した瞬間、彼はユデタコよりも真っ赤になり、頭に血が昇り過ぎて倒れてしまった。
(く〜〜〜!! 待っててや、女王さん!! 絶対俺のもんにしたるで〜〜!!)
 それからしばらくの間、地面に転がったまま真っ赤になって悶える彼の姿は、通行人に十分気味悪がられた。
 ちなみにこの「ほっぺにちゅ」の場面は通りかかった某守護聖に目撃されていて、すぐに噂は広まり、チャーリーはかなりのやっかみといやがらせを受けることになるのだが、代償としては安いものだった。



 そして彼は今日も庭園に店を出す。
(今日は来てくれるかな〜、先週は来なかったもんなあ。女王ってのはやっぱ忙しいんやな〜)
 店先には彼女のために仕入れられた可愛らしい雑貨が並んでいる。
(今日アンジェが来たら、散歩でも誘ってみようかな〜。あ、でも女王さんを連れ歩くんはまずいかな? 第一、絶対他の奴らが邪魔しに来るやろうしな。じゃあ、またふたりでこっそり森の湖でもどうやろかなあ〜)
 庭園の向こうからいつあの金の髪が見えるか、チャーリーはわくわくしながら待つ。
 今日も天気がいい。
 風は気持ちいいし、空は澄み渡っている。
 聖地は今日も平和。
 君に逢いたい午後。


 END