Sacrifice
〜孤独の槍は女神に抱かれて〜
annex-epilogue |
「……どこかの森の、ハリネズミとアカイウサギのお話でした」
そう言って、母親は物語を締めくくった。
話は終わったというのに、布団の中の子供はまだ起きていた。
「おかあさん。そのあと、アカイウサギはどうなっちゃったの?」
寝物語にと話し始めたのに、逆に目を冴えさせてしまったようだ。いつもなら話の途中で寝てしまうのに、今夜は話に引き込まれたようで、最後まで起きていた。
「アカイウサギ、森の動物達にいじめられたの? もうユキウサギじゃないからって意地悪されたの? だから森を出ていっちゃったの?」
眠たい様子も見せずに、子供はしきりにアカイウサギのことを尋いてくる。余程気になるらしい。
眠りを促すために話し始めたのに、これでは逆効果だったと、母親は少し苦笑しながら、それでも優しく答える。
「森の動物達は、皆優しいから、アカイウサギをいじめたりなんかしないわ。アカイウサギを慰めて、ずっとここにいればいいと言ってくれたわ。でも……アカイウサギもハリネズミが大好きだったから、ハリネズミのいない森は寂しくて、そこにいられなかったのよ」
「じゃあ、ウサギはそのあとどうしたの? しあわせになれたの?」
「さあ……どうなのかしらね。貴方はどう思う? アカイウサギは、しあわせになれたと思う?」
母親に逆に問い返されて、子供は必死に考え込む。
それから、透き通るように蒼い瞳で、母親を見上げた。
「……しあわせになれたよね? アカイウサギも、しあわせになれたよね?」
そうであって欲しいと必死に願うその様子に、だから、母親もうなずいてみせる。
「貴方がそう思うなら、きっとそうよ。アカイウサギも、きっと、しあわせに暮らしたわ」
母親の答えに満足したように、子供は微笑む。それを、母親はまぶしそうに見つめる。
「さ、もうお話しはおしまい。寝る時間よ」
母親に促されて、子供は仕方無しに、布団を少し鼻先に引っ張りあげる。
アカイウサギの結末にも納得して、やっと眠気が襲ってきたようだ。ちいさなあくびがもれる。
「おかあさん、おやすみなさい。それから、天国のおとうさん、おやすみなさい……」
いつものおやすみの挨拶をして、子供はそっと瞳を閉じる。
子供が眠って、小さな寝息が聞こえてきたことを確認すると、布団をそっと掛け直してやって、母親は子供部屋を後にする。
部屋を出ようと扉を開け、電気を消した処で、ふと子供を振り返る。
「そのあとアカイウサギは…………」
彼女は、ちいさくつぶやく。
廊下から入る灯りと、窓から入る月の光に照らされて、眠る子供の顔ははっきり見えた。なつかしい、愛しい面影を宿す寝顔。
だから。
「………………私は、しあわせよ………………」
アカイウサギがそのあとどうなったか、誰も知りません。
でも、何処かでしあわせに暮らしているかもしれません。
貴方がそう信じてくれるなら。
この世界の何処かで。きっと。
END