神様のいる場所


 ティムカにとって、この宇宙の女王と守護聖は、ずっと神のような存在だと思っていた。いや、ティムカだけでなく、この宇宙に生きる人々のほとんどはそう思っていただろう。一般の普通の人間では関わることもできないような、至高の存在。
 そんな中で、彼は新宇宙とはいえ女王候補の品性の教官という名誉な職を与えられ、聖地に来るという夢のような栄誉まで与えられた。ティムカは本当に天にも昇るような気持ちだった。あの、崇拝し続けた女王や守護聖に会えるだけでなく、その傍で暮らすことができるというのだから。
 そして実際に来た聖地で、ティムカは女王や守護聖に間近で会うことになった。
 玉座に立つ、少女ともいえる女性。想像以上の美しさと、気品と、輝きに満ちあふれた、至高の存在。この宇宙を統べる、ただひとりのひと……。
 この宇宙に生きる者のひとりとして、彼女に加護され愛されているのだと思うと、ティムカは胸が熱くなるほどの感動を覚えた。彼女に間接的にでも仕えられることが、何よりの誇りだった。
 ティムカにとって、女王は間違いなく神だった。
 至高の、誰にも侵すことのできない、聖なる女神だった。
 ……そう、思っていた。
 けれど彼女は、この聖地も宇宙も、そこに生きるすべての者も捨てて、何処かへ去っていった。
 ただひとりの男と、共に生きるために。
 宇宙が崩壊するという、代償と引き換えに。



 楽園とうたわれていた聖地は、今は何処かすさんだ空気に満たされていた。
 そこにいる人々の顔に明るい笑顔はなく、疲れた顔や諦めた顔、恐怖におののく顔ばかりが目についた。だがそれも仕方のないことだろう。
 この宇宙は今、新宇宙の女王候補だった少女が新女王となり治めているとはいえ、力が足りないのか他の要因か、徐々に崩壊を始めていた。
 先々代225代目の女王のときも崩壊の危機ではあったが、あのときは移転する宇宙も決まっていたし、次の女王も決まっていて、そんなには危機感はなかった。
 だが今度は違う。たとえ移転先の宇宙があったとしても移転させるだけの力がないし、その後を支える力もない。
 今の女王は、この宇宙の正式な女王ではなく、本来なら新宇宙の女王になるはずだった者だ。本来のこの宇宙の女王が見つからず、仕方なく、代わりに彼女を女王に据えたようなものなのだ。やはり、彼女では無理だったのかもしれない。
 この情報は聖地の中でもほとんど漏らされていないが、はっきりと知らされなくても、皆不穏な空気に気づいている。自然と、暗くなってしまうのも仕方なかった。
 半狂乱になる者も少なくなかった。世界を包む崩壊の足音と、それを実証するかのようなデータ。聖地である程度重要な職についている者は、自然、それらを目にする。そして、その恐怖に耐えられなくなってしまうのだ。そして、そんな哀れな人々の存在が、周りにさらなる影を落とす。
 ルヴァはそんな中、そんな現実から目をそらすように、宮殿へ向かう道を足早に歩いていた。その姿はこの聖地には何処か似つかわしくないものだった。暖かい陽気だというのに厚いコートを着ていたし、昼間だというのにその手にはランプを握っている。見る者が見れば、それは地下牢からの帰りだとすぐに分かっただろう。
 そんなとき、遠くから彼を呼ぶ声がした。
「ルヴァ様!!」
 呼ばれたルヴァは足をとめて振り返る。少し離れたところに、女王試験の品性の教官としてこの地に招かれていた少年の姿があった。
「ティムカ……」
 走り寄ってくるその少年の姿に、ルヴァは一瞬目を見張る。実年齢以上に知的で大人びていた常の彼からは考えられないくらいやつれ、いつもやわらかで物静かな微笑みが浮かんでいた顔は、今は恐怖と不安で歪んでいた。
「ルヴァ様…………」
 すぐ傍まで来た彼は、すがるようにルヴァの腕をつかんだ。その手が震えている。
「ルヴァ様。教えてください。これから、僕たちはどうなるんですか。僕たちは、この宇宙は……」
 ティムカは言い知れぬ不安を隠しきれなかった。自分が半狂乱にならずにいることのほうが不思議なくらいだった。
 彼は女王試験の教官だったため、この一連の事件を真近で見ることになった。だから、聖地にいる他の者達よりも、詳しく現状を知っている。女王がこの聖地から消えてしまったことも、その正式な後継者がいないことも。その意味するところも、ちゃんと分かっていた。
 この宇宙が崩壊してしまうかもしれないのだ。そうしたら、皆死んでしまう。たとえ何処へ逃げても助からない。
 すべてが失われる。言葉どおり、すべてが。
 彼女が、ここからいなくなってしまったから。ただ、それだけの理由で。
「陛下は……、どうして女王陛下は僕らを見捨てたんですか!? どうして陛下は……っ!!」
 いなくなってしまった彼女を想う。玉座でいつも微笑んでいた、敬愛して崇拝してやまなかったかの人。
 どうして彼女は自分達を見捨てたのか。どうして去っていってしまったのか。
 彼女がここにいてくれるだけで、世界は救われるのに。
 彼女がここにいないだけで、世界は滅びるのに。
 どうして彼女は行ってしまったのか。世界が滅びると分かっていて。
 どうして自分達を見捨てて、行ってしまったのか。
 どうして!
 そう、自分が何をしたというのだろう。
 人を殺したこともなければむやみに傷つけたこともない。他人への礼儀や思いやりを欠いたこともないし、将来の王として民のしあわせをちゃんと考えていた。言ってしまえば、常に正しいことだけをしてきた。
 それなのに、何故見捨てられねばならないのだ!?
 罪人が見捨てられるなら分かる。女王への信仰心もない者達が見捨てられるなら分かる。
 でも、何故、善良な信仰者まで見捨てられねばならない!?
 何故、自分が見捨てられねばならない!?
「…………ティムカ」
 地の守護聖の、穏やかな声が、なだめるように名を呼ぶ。その声に顔を上げると、憐れんだ顔をした地の守護聖と目があった。
「ティムカ。貴方は、このあいだまで品性を教えていた女王候補達を、どう思いましたか?」
「どう、とは……」
「普通の女の子、だったでしょう?」
 ルヴァの言葉に、ティムカは無意識ながらうなずく。
 そう、彼女らはまるで普通の少女だった。今、彼女らが仮にも玉座についていることが信じられないくらい、ただの少女だった。試験そっちのけで感性の教官にのめり込み、彼と寝たとか寝ないとかで試験を中断するほどの騒ぎまで起こした。ティムカの敬愛する金の髪の女王陛下とは似ても似つかない、神聖性もないただの少女達。彼女らになど、宇宙を支えられるはずもない。
 そう思うティムカの表情を読み取ったのか、ふっと、地の守護聖は溜息をつくようにかすかに微笑んだ。
「陛下も……同じでした。普通の女の子でしたよ。ころころと表情の変わる、元気な、優しい子でした。公園のテラスでおしゃべりすることが大好きで、そう、おてんばなところもありましたから、よく木登りなんかもしていました」
「嘘だ……」
 ティムカは知らず、つぶやく。そんなことは、信じられなかった。
 陛下は至高の存在。そんな、『普通の女の子』などであるわけがない。
 けれど、ルヴァはそのまま言葉を続ける。
「試験中なのに、女王候補達はセイランに恋をしたでしょう。陛下も同じです。試験中、炎の守護聖に恋をしました。想いは通じ合い、ふたりは結ばれました。そのため、本当は、試験放棄するつもりでいました。けれどどうしても陛下でなくてはこの世界を支えられなくて……仕方無しに彼女が玉座につきました。そのあとも、ふたりの関係はずっと続いていました」
 もうそれ以上聞きたくなくて、ティムカは耳をふさいでいやいやと首を振る。
 聞きたくない、聞きたくなかった。
 女王陛下は、ただひとりの至高の存在。不可侵の、絶対の女神。
 そんな話、信じられない。信じたくない。
 彼女は『神』だ。ずっとずっとずっと信じ、崇拝し、敬愛してきた。彼女は…………。
「確かに彼女は、特別なサクリアを持っています。だから玉座につきました。でも、それだけです。サクリアを持っているというだけです。ただそれだけの、普通の人間なんです。神ではないんです」
「……違う、違う違う違う!!」
 ティムカは大声を上げて、地の守護聖の言葉をかき消そうとする。否定しようとする。
「違う! 陛下は……、陛下は…………!!」
 何か言おうとして、けれど言葉が続かない。否定する言葉が、何ひとつ、出てこない。
「ティムカ。あなたも、もう本当は、分かっているんでしょう? 彼女は神などではないと」
 言葉が、氷の槍のように体を貫き、心に刺さる。
 えぐられた傷が、侵食するように激しい痛みと共に広がってゆく。
「彼女は……アンジェリークは、ただの人間です。そして自分のしあわせを求めた。…………それだけのことです」
「……………………」
 ティムカは、それを否定したくて、首がもげそうなほど、必死で横に振る。けれど、それも段々弱くなり、ただ、深くうなだれるだけになる。
 そう、本当は分かっていた。彼女は、人間だったと。
 ティムカが盲目的に崇拝し、敬愛し、信仰した彼女は、神ではなかった。
 女王でありこの宇宙を支えてはいたけれど、彼女は自分と同じ、人間だったのだ。
 たとえば、ティムカが自分の国の王になって、国を支えることになっても、『人間』であるのと同じように、彼女もまた、『神』などではなく、『人間』だったのだ。
 心を持ち、泣いたり笑ったりする、ただの人間だったのだ。
 ただ、女王を神格化し崇拝することで、彼女を『神』に仕立上げていただけ。この宇宙を押しつけていただけ。
 そんな考えれば分かる当たり前のはずのことに、それでも、そこから目を逸らしていた。
 信じたかったのだ、彼女は神だと。だから、自分達を決して見捨てないと。必ず救ってくれると。神様はいるのだと、信じたかった。
「それなら…………」
 震える声が、ティムカのくちびるから漏れる。
「彼女が神でないなら……僕らは、どうなるんですか……? ひとりの『人間』の身勝手で、皆死ななければならないんですか……? それを、誰も助けてはくれないんですか……?」
 彼女が神でないというのなら、それなら、助けてくれる本当の神様は何処にいるというのだろう。
 人々が楽園と信じる地に、神様はいなかった。神と信じ崇めていたひとは、神様ではなかった。
 神様は、何処にいるの?
 楽園と信じた地にすら薄汚い身勝手な人間しかいなかったというなら、神様は何処にいるの?
 それとも、神様など、何処にもいないの? 救いなど、何処にもないの?
 この汚れた世界は、救われることなく滅びるだけだというの?
 ひとりの人間のために。自分の命も人生も、その他のすべても飲み込んで。
「答えてください。教えてください。あなたは、知識を司る、地の守護聖なんでしょう? お願いです、答えてください……」
 ティムカはすがるようにルヴァを見た。最後の、かすかな希望を探して。答えてくれるなら、嘘でもよかった。答えてくれるなら。
「彼女が神でないなら……神様は、何処にいるんですか?」
 その問いに、地の守護聖は深く瞳を伏せて、ゆっくりと言った。彼の言葉はいつでも正しくて、だからこそ残酷だった。

「…………私には、何も答えられません…………」

 その瞬間に、パキリと、ティムカの中で、何かが壊れた。
「う……、う、うわあああああああああああ!!!!!」
 獣のように、ティムカはその場に崩折れて泣き叫んだ。血がにじむほど拳で何度も地面を叩いて、爪が割れるほどに地を握りしめて。
 深い深い、絶望の底へ墜ちていった。



 誰か教えて。
 楽園にも、神様はいなかった。
 神様は、何処にいるの?


 ……………………………………誰か教えて。


 END