MORAL KISS


 くちびるが触れ合うその一瞬。
 貴方はいつも少しためらう。
 それが、せつない。



「……以上が、辺境惑星の調査報告です。宇宙移転の影響も、だいぶ落ち着きを見せてきたようです」
 炎の守護聖オスカーが、玉座に座る少女に報告する。その声は心なしか弾んでいた。
 こうして少女の姿を見るのは久しぶりだった。最近はこの辺境惑星の調査に追われて、夜の密会はもちろん、公式の場で姿を見かけることもなかった。
 謁見の間には二人以外誰もいなかった。いつも女王の脇に控えている補佐官ロザリアの姿も、光の守護聖ジュリアスの姿も今日はなかった。
「……陛下。今日は何かおありなのですか? ジュリアス様も補佐官殿も朝から何やら駆け回っていて、こうして謁見の間に陛下おひとりにするとは」
 ふたりきりとはいえ、いつ他人に聞かれるか分からない。だからオスカーは儀礼的な堅苦しい言葉を使ってアンジェリークに尋ねた。
 いつもなら、アンジェリークも女王として言葉を返す。それなのに、今日は違った。
 玉座に座るアンジェリークは、今にも泣き出しそうな顔をしていた。
「オスカー、……キスして」
「……どうしたんだ、アンジェリーク?」
 その言葉にオスカーは、驚くより、何かあったのかと心配になる。
 アンジェリークも自分の立場をよく分かっている。だから人前では全く『女王と守護聖』以外のそぶりも見せないし、たとえ人目がなくとも、こんな処で二人の関係がばれるかもしれない危険をおかしたことなどなかった。
 それなのに、今日に限って何があったのか。
「何かあったのか?」
 侵してはいけない筈の玉座に足を踏み入れる。
 アンジェリークは必死に涙を抑えている。泣いて腫れた目をしていたら、何かあったとすぐに皆に分かってしまう。だから、決して泣けない。
 オスカーにはそれが分かるからこそ、そんなアンジェリークを放っておくことなどできなかった。
「何があった?」
「…………リュミエールのサクリアが尽きるわ。だからロザリアもジュリアスも水の守護聖交代のために走り回っているの」
「!?」
 かすれたその言葉に、オスカーの体もこわばった。
 その言葉だけでオスカーには、アンジェリークの気持ちが、痛いほど分かった。
 かつてアンジェリークは、オスカーのため、女王候補を降りる気でいた。
 けれど、この不安定な世界を支えるには、ロザリアの力では無理だった。
 どうしてもアンジェリークが女王になるしかなかった。
『君が女王になっても、俺の愛は変わらない。ずっと、君だけを愛してる』
 女王となったアンジェリークに、オスカーはそう言ってくれた。
 あの日から、ふたりの秘められた関係は続いている。
 けれど、いつだってふたりには別れの影がつきまとっている。
 二人のサクリアが同時に失われる確率は低い。どちらかが先にサクリアを失うだろう。
 そのときが、別れのとき。
 サクリアを失った者はこの地を去らなければいけない。
 この秘められた、そして許されない恋も、そのとき終わる。
 いつか来るその日に、いつも脅えてる。
 それが、今日か明日か、いつも不安でたまらない。
 そして、オスカーとほぼ同時期に守護聖となったリュミエールのサクリアが尽きる。
 そのことが、次はオスカーかもしれないという不安を駆り立てる。
 決して、一生離れずにいることはできない。この宇宙を犠牲にしなければ。
 分かっている。分かっていて、それでも選んだ恋。
 だけど……。
 わがままだと分かっているけれど、少しだけでいいから、傍に来て慰めて欲しかった。
 オスカーの薄氷色の瞳がアンジェリークを見つめる。
「愛してる、アンジェリーク」
 手をとって、そっと指先にくちづける。
 そのまま引き寄せて、まぶたにくちづける。
 体温の高い大きな両手がアンジェリークの頬を包み込む。
 ふたり間近で見つめ合う。吐息が触れ合う。
「……オスカー」
 くちびるが触れ合うその一瞬。
 オスカーはいつも少しためらって、それから熱くくちづける。
「アンジェリーク……」
 めまいを起こしそうなほど、吐息が絡まり合う。伝わる熱が、心を溶かす。
「ごめんなさい。もう、大丈夫だから」
 言って、オスカーから離れようとするアンジェリークを、オスカーはきつく抱きしめた。
 まるですがりつくようにアンジェリークを抱きしめるオスカーはかすかに震えていた。
「オスカー…………」
 言葉より、行動より、想いが伝わってくる。心に、直に。
 くちびるが触れ合うその一瞬。ためらうのは、オスカーも同じ想いを抱えているから。いつだって、脅えているから。
 それが分かるから、余計せつない。
 アンジェリークは、自分から、強く押しつけるようにくちびるを重ねた。
「……どうして…………」
 それはくちづけを繰り返す、どちらのくちびるから漏れた言葉なのか。あるいはふたりのものなのか。
 どうして、出逢ってしまったんだろう。
 どうして、こんなに愛してしまったんだろう。
 オスカーが守護聖でなければ、アンジェリークに女王のサクリアがなければ、ふたりは出逢うこともなかった。サクリアを持っていたからこそ、出逢った。
 けれど、ふたりがサクリアを持っているからこそ、この想いは決して叶わない。
 ふたりの関係がばれたとき。どちらかのサクリアが尽きたとき。そのどちらでも、ふたりは引き離されるだろう。
 叶わないと分かっているのに、いつか離されると分かっているのに、この想いを消すこともできない。
「……オスカー……いつか、その日が来たら……」
 続く言葉を、ためらいを残すくちびるがふさぐ。その先を聞くことを、恐れるように。
 ためらいながら、それでも何度もくちづける。
 せつなすぎて、胸が痛い。



 くちびるが触れ合うその一瞬。
 貴方はいつも少しためらう。
 それが、せつない。


 END