誰もいない楽園


 ふわり、と時空移動をしてきた鋼の守護聖と風の守護聖は音もなく地に降り立った。
「ここか。……話には聞いていたけど、ほんとに寂れた処だな。ほとんどサクリアを感じねえ」
 ゼフェルが周りを見渡しながら言った。
 ふたりの年若い守護聖が降り立ったのは、宇宙の果て近くにあるサクリアの恩恵をほとんど受けない寂れた惑星だった。
 見渡すかぎり荒野が広がり、どう見ても豊かな実りは期待できそうになかった。
「そうだね。でも、だからこそ、ここにいたアンジェリークのサクリアを今まで感知できなかったんだ」
 ランディが眉をひそめながら答えた。
「ふたりがいた家ってのは向こうだったよな。行こうぜ」
 ゼフェルはさっさと歩きだした。ランディも黙ってそれについていく。
 今ランディとゼフェルに課せられている使命は、逃亡中の女王陛下アンジェリークと『元』炎の守護聖オスカーの捜索だった。
 アンジェリークが女王となった後も密やかに続けられていたふたりの関係は、オスカーがサクリアを失い聖地を出ることによって打ち切られることになるはずだった。
 けれどふたりはそれを受け入れなかった。
 そして、オスカーとアンジェリークは手を取り合って聖地から逃げた。共にあるために。
 聖地では必死にふたりの行方を追っている。
 ふたりの行方を追う手掛かりは、アンジェリークのサクリアだった。女王であるアンジェリークがひとつの処にいれば、その地は当然サクリアの影響を受ける。それを探してそのサクリアを辿れば、そこにアンジェリークが、そして共にいるオスカーが見つかるはずだった。
 けれど向こうもそれを分かっているから、ひとつの処に長くいることはなく、なかなか居場所を特定することが出来なかった。
 今日訪れたこの惑星で女王のサクリアが確認されたのは、ふたりがしばらくの間ここで暮らしていたからだった。聖地からサクリアのほとんど届かないこの地では、ここにあるサクリアも聖地では察知しにくい。だからこそ、しばらくの間ここに留まることもできたのだ。
「あれだ」
 ゼフェルが、前方に見えた家を指差した。
 集落からも離れた処にあるそれは、小さな家だった。粗末といっても差しつかえないほどの、小さな木造の家。
 ランディはその家の前に立って、しばらくその家を眺めていた。
 もうその家に誰もいないことは、この惑星に向かう前から分かっていた。もう既にサクリアを失ってしまったオスカーはともかく、アンジェリークがいればそのサクリアで存在を感知できる。
 聖地でも察知できるほどサクリアがこの地に影響を出し始めたことを感じて、ふたりは一足早く逃げていったのだろう。
 ゼフェルとランディはその確認と追跡のためにこの地へ来たのだ。
「とりあえず、中に入ってみよーぜ」
 ゼフェルに促されて、ランディは木の扉に手をかけた。鍵のかかっていない扉は難なく開いた。
 追っ手が来る前にと、取るものもとりあえず急いで逃げたのだろう。まるで、今までそこに誰かいたかのように、生活用品はそのまま置かれていた。
 きれいに整えられた部屋の中に、家具は少なかった。ひとつしかない小さなベッドにかけられた洗いざらしのシーツは木綿で、端が少しほつれていた。きれいに磨かれた食器もそのひとつひとつを手に取ると、それほど質のよくないものだと知れた。
 決して裕福とはいえなかっただろう暮らしぶりがうかがえる。
 もしあのままオスカーが大人しくひとりで下界に降りていたなら、たとえ働かなくても楽に暮らしていけるだけの生活が保証されていた。アンジェリークだって、女王の座にいれば、退位したあとだってこんな粗末な暮らしをすることなど一生なかったはずだ。
 けれどふたりは、それらすべてを捨てて共にあることを選んだ。
 ひとつの処に長くいれば、サクリアを持つアンジェリークはすぐに居場所が分かってしまう。安息の地を得ることもない、捕まるか、死ぬまで続く逃亡生活。捕まったなら、引き離されるだけではすまない。
 すべて分かっていながら、それでもふたりは逃げた。共にあるために。
「ここで……ふたりは幸せに暮らしてたんだろうな」
 ゼフェルが部屋の中を調べるように歩きながら言った。
 とりあえず生活に必要なものだけを並べたような、殺風景な部屋。
 その中でひとつだけ彩りを持つものとして、テーブルの上に花が生けられていた。人の手で栽培されたのではない、小さな野の花。
 ランディはテーブルの花を一輪手に取った。
 ここで暮らしていたふたりの幻が見えるような気がした。粗末で小さいながらもこの家で幸せに暮らしていたふたり。この荒れ果て寂れた地で、貧しくともふたりきりで。誰にも邪魔されることない、ひとときの安息の地。
 それを破ったのはランディ自身だ。いや、正確にはランディを含めた捜索部隊だが。
『どうして私に女王のサクリアがあるの? どうしてオスカーと一緒にいられないの?』
 ずっと泣いていたアンジェリークを知っている。宇宙の移転にはどうしてもアンジェリークの力が必要で、彼女が女王になるしかなかった。
『愛しているんだ、アンジェリークを。たとえ、何と引き換えにしても……』
 炎のサクリアを失くす前、オスカーが呟いた言葉。あんなに真剣なオスカーを見たことなどなかった。
「このまま……ふたりをそっとしておくことは出来ないのかな」
 ランディが小さく呟いた。
 それをゼフェルが聞き咎める。
「馬鹿野郎。アンジェはこの宇宙の女王なんだ。あいつがこのまま聖地にいなければ、この宇宙は崩壊するんだぞ」
「分かってるさ! 分かってる、でも……!」
「ランディ!!」
 激しいゼフェルの声がランディを止める。
「俺だって思うよ。あいつらが幸せになれる方法があるなら、どんなことだって協力してやりてーよ。でも、このままじゃ宇宙が崩壊するんだ。他の何の罪もねー奴らが全部死んじまうんだ。そいつらの幸せは、どうなるんだ?」
 両脇で握り締められたゼフェルの拳が震えていた。
 アンジェリークとオスカーがどれほど愛し合っているか知ってる。幸せになって欲しいとは思う。でも、だからといって、それを許すことはできないのだ。
 あのふたりが一緒に生きていくためには、この宇宙を犠牲にしなくてはいけない。いくらなんでも、犠牲が大きすぎる。
 ランディは何も言い返せずにうつむいた。手にした花が小さく揺れる。
「……行こう。もうここにはふたりはいない。早く後を追わないと」
 ゼフェルは身を翻して扉に向かった。
「…………ああ」
 ランディは花をまた元のように戻すと、ゼフェルの後を追った。
 道をしばらく進んだ処で、ランディはふと立ち止って、振り返った。それに気付いてゼフェルも足を止める。
 遠くに見える、粗末な小さな家。
 人々が楽園と呼ぶ地を逃げ出したふたり。辿り着く果てなど持たず、追われ続け、たださまようだけ。
 けれど、あの家は、間違いなくふたりの楽園だっただろう。
 小さくて粗末な、けれどひとときの安らぎと安息をもたらした、ふたりだけの楽園。
「……行くぞ、ランディ」
「……ああ」



 キィィ……

 きちんと閉められなかった扉がきしんで開いた。
 風が入り込んで、テーブルに飾られた野の花を揺らす。
 主を失った粗末な小さな家は、やがて朽ち果てるだろう。
 そこにいたふたりの、束の間の安息と幸せな記憶を抱いたまま。

 キィィ……

 扉が揺れて、泣き声にも似た寂しげな音が荒野に響く。

 そこは、今はもう、誰もいない楽園。


 END