天国の大罪


「女王に……なりたいのか?」
 耳元に唇を寄せられて、低い声で囁かれる。
 答えられないのは、体中を走る甘いしびれに支配されて、声を出すことすらできないから。
「女王になりたいなら、なればいい。俺が、女王にさせてやる」
 肌を滑る指はとまらない。もう片方の手で、金の巻き毛に指を絡める。
「だけど、それでもおまえは、俺のものだ……」
 吐息と共に送り込まれる囁き。甘い鎖。逃げられはしない。

 世界で一番重くて、一番甘い罪。



 新しい宇宙の女王が決まった。名はアンジェリーク・リモージュ。金の髪と翡翠の瞳の少女。宮殿の外からは、新女王誕生を祝う声がここまで響いてくる。
 聖地にある宮殿の大広間。少女は玉座に座り、その即位式が行なわれていた。
 次々と守護聖達が順番に前へ進み出て、その祝いの辞を述べてゆく。
 新しい女王となった少女にひざまづいて、青年は忠誠の言葉を誓う。
「即位おめでとうございます。この炎の守護聖オスカー、陛下の剣となり盾となり仕えることを誓います」
 その凛々しい姿に、女性達だけでなくその場にいた男性達からも思わす感嘆の声が漏れる。
(……うそつき)
 うやうやしく下げられたその深紅の髪を見ながら、アンジェリークは心の中でつぶやく。
 玉座に立つ少女の、美しく飾り立てられたドレスの下には、無数に散らばる紅い跡。
 今祝辞を述べるその唇で、この即位式のほんの数時間前まで、少女を組み敷いて所有の印を刻んでいたのは一体何処の誰だというのか。今うやうやしくひざまづくその身体で、少女の全身全霊を呪縛し、その最奥に触れたのは一体何処の誰だというのか。
 そこまで考えて、少女はその時のことを思い出して、思わずうつむいてしまう。頬が熱い。
 すべてを見透かしたように、青年の上げられた顔が、笑いの形になる。
 それは二人だけの、誰も知らない秘密。



 女王の私邸、そして私室に忍び込むことなど、彼にとっては訳もないこと。
 警備を任されている彼自身が侵入者だとは、誰も気付かない。
 オスカーは勝手知ったるとばかりに部屋に入り込むと、後ろ手に鍵をかけた。
「アンジェリーク?」
 明かりを消した部屋の中ではすでに寝巻きに着替えたアンジェリークが、ベッドの端に腰掛けてすねた子供のように足を揺らしていた。
「女王陛下はご機嫌斜めだな。どうした?」
 その姿に微かに笑いながらアンジェリークの隣に腰掛け、金の髪を一房すくう。
「……わかってるくせに」
 睨んでくる少女の視線を楽しげに受けとめて、オスカーは少女の瞼にキスをする。
「式典の準備で着替えるとき、私がどれほど苦労したか、分かる?」
 身体中にちりばめられた、紅い跡。着替えを手伝うために控えていた侍女達に、もちろんそんなものを見られる訳にはいかない。彼女が自分で着替えるといっても、ドレスは豪華すぎて一人で着替えるには大変すぎたし、侍女に手伝ってもらうにしても、いつその跡を見つけられるかとひやひやしていた。
 この目の前で楽しげに笑う青年が、その事態を予想していなかったとは思えない。
「いや、この女王陛下は俺のものだとさりげない自己主張でもしておきたくてな」
 オスカーは平然というが、もしばれたなら、一体どうなっていたことか。
「私を手に入れたいなら、女王になんかしなければよかったじゃない」
 試験の結果はロザリアと僅差だった。そこでアンジェリークが勝てたのは、オスカーが力を送ってくれたからに他ならない。もちろんそのことに感謝はしている。でも、彼の真意が分からない。
 ロザリアを女王にし、アンジェリークの方が補佐官になるという道もあった。むしろ、そうであった方がよかったのではないだろうか。それなら、こんなふうに人目を忍ばなければいけないこともないのに。
「でもおまえは、女王になりたかったんだろう」
 髪にくちづけながら、オスカーは薄く笑う。
 アンジェリークはそれを否定できない。女王になんかならずとも、とは言いきれなかった。女王候補あるいは女王という地位を失って、自分にどれほどの価値が残るのか自信がなかったから。いてもいなくてもいい女王補佐官という立場にすがる気にはなれなかった。
 髪に触れていた手がするりと滑って、首元を掴む。そのまま強引に自分の方へ顔を向かせる。
「それでおまえが俺から離れるというなら、おまえの願いなんか握りつぶして、身体も心も目茶苦茶にして、あらゆる意味で俺だけのものにするけど」
 く、と一瞬腕に力がこもる。嘘も冗談も、そんなものは何一つない。あるのは本気の、狂気にも似た愛。
「そうでないなら、おまえの願いはみんな叶えてやる」
 燃える髪と氷の瞳。見つめられて、囁かれて、囚われない者はいない。
 それが罪でも、甘い罠でも。
「……ずるい」
 言葉に反応するように、ベッドがきしりと軋む。
 返事の代わりに骨ばった指が少女の頬をなぞってゆく。
「ずるい男は嫌いか?」
 こういう質問をするからずるいのだ。分かっているくせに、言葉で態度で、試そうとする。
「………………すき」
 つぶやく言葉ごと飲み込むように、唇が重ねられる。
 衣擦れの音とともに、肌を滑り落ちる服。まるで眩暈を感じたかのように、後ろへ引き倒される。
 心の温度も身体の温度も、否応なく上がってゆく。
「ばれたら、どうなるかな?」
 少女の耳朶を甘噛みしながら、オスカーはつぶやく。
 女王であるうち、守護聖であるうちは処分を受けることはなくても、そのサクリアが尽きたとき、どんな罰を受けることになるのか。
 少女の翡翠の瞳が、脅えたようにオスカーを見つめる。罰を受ける恐怖ではなく、罰を恐れ彼が離れていってしまうことを脅えている。
 それを満足げに見つめて、青年は笑う。
 もしもアンジェリークがその罰を恐れて彼から離れるような素振りでも見せたなら、彼は本当に身体も心も目茶苦茶にしてやるだろう。
「何があっても、手放す気はないけどな」
 そうしてまた、楽しげに雪白の肌に唇を寄せて、所有の印を刻んでゆく。
 彼の手によって、この宇宙すべてを司る少女は操られるように快感の波の中に飲み込まれてゆく。もう、彼のこと以外考えられない。言葉を失って、吐息だけになる。

 この世で一番重くて、一番甘い罪。


 END