雪はすべての上に


 ふわりと、白いカケラが落ちてきた。
「雪……」
 アンジェリークは思わず足を止めて、空を見上げた。灰色の空から、白いカケラが無数に落ちてくる。
 手のひらを差し出すと、その上に落ちて、次の瞬間には溶けて消えてしまう。まるで儚い幻のように。
 雪はやむ気配はない。この分なら、明日の朝には夢のような美しい一面の銀世界が広がっているだろう。
 周りを見渡せば、子供達は無邪気にはしゃぎ、恋人達は雪にみとれながら寄り添っている。
(皮肉なものね)
 少女は心の中で苦笑する。
 女王のサクリアに守られたこの地は常春で、本来季節などない。雨でさえ、植物の成長と人々の生活に困らない程度に、定期的に降るだけだ。
 それなのに、今、この飛空都市に雪が降っている。
 その意味に、皆気付かない。気付かずに、ただその美しさに酔いしれている。
(私も、気付きたくなんかなかった)
 この雪の意味を知らずにいたなら、彼女もこの雪に胸を踊らせただろう。この美しい景色を共に見ようと、愛しい人のもとに駆けだしていただろう。
 でも。
 女王のサクリアの衰え。宇宙の崩壊の危機。このままでは、世界がどうなってしまうのか。
 アンジェリークはそれを、誰よりも強く肌で感じていた。
 それを感じることが出来るのは、彼女が女王となる資質を持っているからだ。そしてその資質は、この試験の最中に急速に育っていた。今では、もう一人の藍色の髪の女王候補よりも、女王としての資質を持つ程に。
 世界は新しい女王を必要としている。新しい女王が誕生しなければ、この世界は滅びてしまう。
 アンジェリークが女王になったなら、世界は救われるだろう。そして、このまま行けば、彼女が女王になる日は遠くない。
(だけど私は……)
「アンジェリーク」
 彼女の思考をさえぎるように、名を呼ばれた。それが誰かは、振り向かなくても分かった。誰よりも愛しい人の声。
「こんにちわ。お会いしたかったんです!」
 アンジェリークは振り向いて、極上の笑顔を恋人に向けた。そしてその人のもとへ走り寄る。
 愛しい人の腕に抱きしめられながら、アンジェリークは思う。
(私、女王にはなれない。この人が好き。この想いを捨てて、女王になんてなれない。そのせいで、世界が壊れるとしても)
 瞳を閉じたアンジェリークの耳に、聞こえる筈のない、世界の壊れる音がする。
 けれどそれは幻聴ではない。今この時も、世界は崩壊へと向かっている。
(世界を壊すかもしれないこの想いは、きっと罪ね)
 それでも、想いを止めることは出来ない。誰に責められたとしても、どんな罰を受けるとしても。
「アンジェリーク?」
 胸に顔を埋めたまま動かずにいるアンジェリークに、その人は優しく語りかける。アンジェリークは軽く首を振って、何でもないと告げる。
 髪に積もる雪を払うように、その人の温かな手が髪を撫でる。
 アンジェリークは顔を上げた。自分を見つめる恋人と目が合う。その向こうから、堕ちてくる白いカケラ達。
 雪は、堕ちた天使の、白い羽根のカケラなのかもしれない。それなら、羽根を失くした天使は、何処へ行くのだろう。何処へ行けばいいのだろう。アンジェリークには分からなかった。
 分かるのは、この手を離せはしないということ。この人を失くせはしないということ。 たとえ堕ちたとしても。羽根を失くしたとしても。……この世界が壊れたとしても。
(このまま、雪が降り続けばいい。この雪が、私の罪を、すべてを、覆い隠してくれればいい)
 祈るように、少女は目を閉じた。その頬に、まぶたに、冷たいカケラが触れては消えてゆく。まるで少女を責めるように、あるいは慰めるように。
 雪は降り続く。罪人の上にも、恋人達の上にも。
 雪は降り積もる。世界も罪も、すべてを覆い隠すように。
 雪は降る。この壊れかけた世界の、すべての上に。


 END