angel song


「ねえ灰原さん。クリスマスの日、歩美のうちでクリスマスパーティやるの。灰原さんも来るよね!」
 放課後、チャイムが鳴ると同時に、歩美が哀の席までかけてきて、勢い込んでそう言った。頬を上気させて、もう今から、心はクリスマスの楽しい行事へと飛んでいるのだろう。
 季節柄もあり、言われるだろう用件はもう分かっていた哀は、それに戸惑うこともなく淡々と返事を返した。
「ごめんなさい。その日はもう予定が入っていて」
「えー灰原さん来られないの? 残念ー!」
 大好きな友達がひとりパーティに来られないということで、少女はかわいらしくすねたように頬を膨らませて落胆する。けれど歩美も、相手の都合も考えずにどうしても来てくれなくては嫌だと駄々をこねるほどは子供ではないらしい。がっかりした顔をしながらも、哀がパーティに来られないことを納得したらしい。
「ねえ、コナン君は来てくれるよね!」
 すぐに気を取り直した歩美はくるりとコナンを振り返った。非常な期待を込めた輝く瞳で見つめられて、コナンはほんのすこしたじろいでしまう。こういうお願いのされ方に弱いのだ。
 今のところ、コナンにクリスマスの予定は特にない。
 両親からのアメリカで一緒にクリスマスを過ごそうという提案は慎んでお断りしておいた。あのおまつり好きのふたりのことだ。どんなクリスマスパーティになるのか、考えただけでも怖い。きっと、子供用サンタの衣装を着せられるのは必至で、3メートルくらいの電飾満載のツリーが待っているだろう。そんな馬鹿騒ぎにつきあう気にはなれなかった。
 某大阪在住の友人は、学校の補習だか部活だかの関係でどうしても24日に東京には行けず、一緒にクリスマスを過ごせないと、電話で嘆きながら謝っていた。別に約束していたわけでもないし、大体なんでおまえとクリスマスを過ごさなくちゃいけないんだと言ったら、『やっぱりクリスマスは恋人と過ごすもんやろう!』とほざいたので電話を叩き切ってやった。
 居候させてもらっている毛利探偵事務所では、蘭は園子主催のパーティに行くと言っていた。小五郎はクリスマスに何処かの飲み屋で飲み明かそうとでも考えているらしいが、実はどうにかして英理と過ごさせようと、有能な一人娘が画策していたから、きっとそうなるだろう。
 そんなときにコナンがひとりで家にいるとなれば、さすがに蘭も小五郎も気を使ってしまう。それでせっかくの計画が崩れては申し訳ない。歩美のうちのクリスマスパーティに行って、そのあと阿笠博士の所に泊まることにでもしておけば、ちょうどよいだろう。
「うん。ありがとう歩美ちゃん。僕、参加させてもらうよ」
 コナンは歩美に笑顔で答える。途端に歩美の顔が笑顔に輝く。
「わーい。じゃあね、プレゼント交換するから、なにかプレゼント持ってきてね!」
 そう告げると、歩美は今度は光彦と元太のほうへと駆けていった。あの2人も誘うためだろう。誘われるのを心待ちにして、ずっとソワソワとこちらを伺っていた2人は、歩美に喜んで返事を返していた。きっと、いつものメンバーでのパーティになるのだろう。
 そんな光景を横目に、コナンは帰り支度を淡々としている哀に耳打ちした。
「おい灰原。おまえほんとに来ないのか」
「ええ。私は博士とふたりで家でゆっくり過ごすわ」
「ふーん」
 まあ、家族同然の博士と2人で、ささやかなパーティをするというのも、それはそれでいいだろう。むしろ、子供に混じって子供のふりをしながら子供だましのパーティをするよりは、そうやってささやかに過ごすほうが実は賢いかもしれない。
「うーん。俺も、おまえと博士んとこにお邪魔させてもらおうかな」
「何言ってるの。もう歩美ちゃんに返事したでしょう。今更断るつもり? いいじゃない。あなたは皆と一緒にクリスマスを過ごしなさいよ」
 ちらりと視線を向ければ、少年探偵団の面々は、ケーキは何がいいだの、七面鳥は欠かせないだの、もうパーティーの計画を練り始めていた。あんなふうにはしゃいでいる姿を見ると、もう今更断れない。それに、童心に返ってパーティするのも悪くないだろう。
「じゃあね、江戸川君」
「あ、待てよ灰原。途中まで一緒に帰ろうぜ」
 すたすたと教室を出て行こうとする哀を、コナンは急いで追った。



 ふたりは並んで帰り道を歩いた。
 クリスマスまでまだ間があるというのに、街はもうクリスマスムード一色だ。街路樹や街頭にも電飾が飾られ、どの店先もクリスマスを意識したディスプレイになっている。そのほとんどが、若者、特にカップル向けのものだ。
 電気屋の店先のテレビでは、恋人へのクリスマスプレゼントの金額の統計を出したり、今からでも予約できるホテルの情報を垂れ流している。
 この日本において、クリスマスはもはや恋人達のためのイベントの日になってしまっている。あるいは、おまつりとして騒ぐ口実だろうか。クリスマスを『聖誕祭』として意識している者は、この日本に一体何人いるだろう。
「なんか日本のクリスマスって、冷静に見ると、バカらしいよな……」
 ぼそりとコナンは呟いた。
 コナンはクリスマスをアメリカで過ごしたこともあり、教会へ行っておごそかに過ごすような人たちも知っているだけに、この日本のクリスマスの有様には多少あきれるところがある。もちろんそれが悪いとも思わないし、自分だって十分楽しんでいるのだが。
「……私は、アメリカのクリスマスより、日本のクリスマスのほうが好きだわ」
「え?」
 意外な哀の答えに、コナンは目を丸くして彼女の横顔を見つめた。哀は、こんな日本のバカ騒ぎのほうが嫌いかと思っていた。
 哀はすこしうつむいて、地面を見つめたまま言葉を続ける。
「むこうのクリスマスって、もちろんおまつりムードもあるけど、でもほとんどがキリスト教徒だから、純粋に祈りを捧げる日でもあるでしょう。皆教会に行って祈って、みんなのしあわせを願って。……そういうの見ていると、苦しくなる」
 純粋に神に祈る人々を見ていると、苦しくなる。神を信じているわけではないけれど、もし、そう呼ばれる者がいるのなら、この血で汚れた身体は、それに祈ることすら許されないだろう。そして、人を殺す薬を作っていたような自分が、誰かのそして自分のしあわせを祈るなんて滑稽だ。
 だから、アメリカにいたとき、クリスマスの日は苦しかった。祈ることすら許されないような自分が。祈るみんなに混じれずに、ひとり取り残されたようなあの気持ちが。
 けれど日本のクリスマスは、ただのお祭りだ。
 おいしいものを食べて、プレゼントをもらって、酒を飲んで騒ぐだけの日。
 そのほうが、気が楽だった。
「でもまあ、家族とか、恋人とか、誰かと一緒に過ごすっていうのはどっちも一緒だからな」
 暗くなってしまった雰囲気をどうにか消そうとするように、コナンはことさら明るくそう話した。
「……そうね」
「ま、おまえも博士とのパーティ楽しめよな!」
「そうするわ」
 そのとき哀があんまり普通に笑うので、コナンは気付けずにいた。彼女の嘘を。



「メリークリスマス!」
「メリークリスマス!!」
 声とともに数個のクラッカーが弾けて、細い色とりどりの紙テープを飛ばす。
 歩美の家でのクリスマスパーティはなかなかに華やかだった。
 プラスティックの作り物とはいえ、ちいさなツリーが綺麗に飾られ部屋の隅で光っている。おそらくは歩美が作ったのだろう色紙の輪をつなげた飾りが、壁に飾られている。歩美の母の手料理もテーブルに所狭しと並べられ、その真ん中ではおおきなクリスマスケーキがロウソクの炎を揺らめかせている。
「さー食うぞーー!!」
「あ、元太君ダメですよ。ケーキはちゃんと切ってから食べないと!」
「歩美、このサンタさんの飾りのところがいいー」
 子供達は楽しげにはしゃいでいる。
 コナンはそれを見ながら子供用の甘いシャンパンを飲んでいた。まあこんなパーティも、これはこれで楽しい。
「コナン君は、このチョコの家と、ツリーのところと、どっちがいい?」
「あ、僕別にケーキの飾りはいらないや……」
「えー? いらないのー?」
 そのとき、胸元に入れておいたイヤリング型の携帯電話が震えた。
「ごめん。僕ちょっとトイレ」
 トイレの個室に入って携帯電話を取り出す。イヤリング型携帯電話の欠点は、表示画面がないから、着信相手が誰かわからないということだ。この電話番号を知っている者はごくわずかだから、大体の見当はつくが、それでも不便なことには違いなかった。
 また服部か?と思いながら電話に出る。
「はいもしもし」
『おお新一君。わしじゃよ。阿笠じゃ』
 聞きなれた関西弁が聞こえてくるかと思っていたら、予想は外れ、よく知った明るい老人の声だった。
「博士? どうしたんだよ」
『いや一応な、哀くんをひとりで残してきてしまったから心配でな。パーティ楽しんでいるか聞きたくてな』
「え?」
 その言葉に、コナンは相手が見えるわけでもないのに電話を見つめてしまった。
 博士は今、なんと言った?
「博士、灰原と一緒じゃないのかよ」
『いいや。ワシは、今、長野なんじゃよ』
「長野お?」
 考えもしなかった地名に、思わず声が裏返る。
「なんでまたそんなところにいるんだよ」
『いや実はな……』
 博士の発明したマシン、といっても、要はちょっと複雑なからくり人形のようなものなのだが、それが、どういういきさつでか、長野のある大手老舗ホテルがクリスマスの催し物として使いたいと言ってきたのだそうだ。
 博士はもちろんふたつ返事で承諾したのだが、このマシンは仕掛けが複雑で、作った博士本人でないとまともに動かせないようなシロモノだったのだ。そこで、そのホテルは、クリスマスに博士本人にもきてもらって、その催し物で博士にマシンの操作をしてもらうことになったというのだ。
 そんなわけで、博士は今長野の老舗ホテルにおり、催し物の合間にこうして電話をかけてきたという。
『ワシは、哀くんにも一緒に来ないかといったんだが、歩美くんのうちのパーティに出る約束をしているし、なんだったらその日は歩美くんのうちに泊めてもらうと言っていたから、ワシはてっきり……』
「あの莫迦!」
 コナンは舌打ちをしたいような気分で言葉を吐き捨てた。
 そんな老舗ホテルのクリスマスという一大イベントの催し物が、ここ数日で急に決まるわけもない。おそらくは博士がクリスマスに長野に行くことは、ずいぶんと前から決まっていたのだろう。少なくとも、歩美にパーティに誘われたときにはもう分かっていたはずだ。
 それなのに、哀は。
『新一。じゃあ哀くんは……』
「博士は仕事なんだろ。俺にまかせとけ。じゃあな」
 コナンは一方的に電話を切ると、急いでリビングでパーティをしている歩美たちのもとへと戻った。そしてすまなそうに謝る。
「歩美ちゃんごめん。なんかね僕のパパとママが、急に日本に帰ってきたんだって。今博士から連絡があって。だから僕帰らなくちゃいけないんだ」
「えーコナン君帰っちゃうのー?」
 歩美は不満そうな声を漏らす。他のふたりも同様だ。
 けれど、コナンの両親は外国にいると聞いている。それがせっかくクリスマスに帰ってきたとなれば、無理に引き止めるわけにも行かない。それくらいは子供なりに感じるらしい。残念だけれどしかたないという感じで、引いてくれる。
「うん。ごめんね、せっかく誘ってもらったのに。でも楽しかったよ」
「気をつけて帰ってね」
「じゃあなコナン」
「お父さんとお母さんと、楽しく過ごしてくださいね」
「うん。じゃあな」
 コナンは、クリスマスに彩られたあたたかな歩美の家を、駆け足で後にした。
 外に出た途端、冷たい冷気が頬を指す。空は重そうに灰色によどんでいる。
 街中クリスマスのネオンが輝いているけれど、それは何処かむなしく見える。その理由にコナンは気付いていた。街のネオンは不特定の『誰か』のものでしかないからだ。歩美の家にあった、クリスマスツリーのネオンとは違う。
(莫迦だな)
 人のあふれた街を駆け足で通り抜けながら、コナンは心の中で呟いた。それは嘘をついた彼女に向けたものか、あるいは気付けなかった自分に向けたものか。
 不意に、コナンの目の前を、白いカケラが通り過ぎた。
「あ……」
 思わず足をとめて空を振り仰ぐ。
 雪が、落ちてくる。
 世界を優しい白で埋め尽くして、穢れた世界を救おうとするかのように。



 他に誰もいない阿笠邸は静かだ。
 哀はいつもと変わらずにひとりでコーヒーを飲みながら、パソコンの前に座っていた。日常と、なにひとつ変わりはしない。
 きっと街では家族や恋人同士が楽しく過ごしているのだろう。けれどそんなことも、彼女にとっては関係のない遠い出来事だった。
 今日は、博士が出かけていていない普通の日。それと、何ら変わりない。……ないはずだ。
 ちらりと、考えないわけではない。博士と一緒に行けばよかったとか、歩美のパーティへ行けばよかったとか。
 けれどそう考えて、苦笑する。神様を信じない自分が、一体、何を祝うのか。
 プレゼントを届けてくれるサンタも、もはや哀にはいない。
 ちいさなころは、哀だってサンタを信じていた。本当の両親が生きていたころは、眠った志保と姉の枕元に、こっそりプレゼントを置いていてくれた。起きて見つけたプレゼントに、サンタは本当にいたんだと、姉と大騒ぎしたものだ。
 サンタはいるのかと問われ、いると答えた新聞記者がいる。実際、ちいさな子供にとっては、間違いなく両親がサンタクロースなのだろう。恋人がサンタだという歌もあった。それが本物かどうかという話ではなくて、伸ばされるあたたかな腕や抱きしめてくれる存在、それが『サンタクロース』なのだろう。
 だから、すくなくとも哀には、神様もサンタクロースもいない。
 だから、それがただのお祭りであろうと、何処かの企業の戦略であろうと、哀がクリスマスを祝う必要も義務も、……おそらくは権利も、ありはしないのだ。
 不意に、静かな邸内に玄関チャイムが鳴り響いた。
 まだ夜遅く、というわけでもないが、こんな時間に誰だろうと哀はいぶかしむ。まして今日はクリスマスだ。一体どんな来客があるというのだろう。
(たとえば、サンタクロースとか)
 考えて、自分の愚かしさに哀はちいさく笑う。
 そんなものが、いるはずも、来るはずもないのだ。
 きっと、こんな日にも勤勉な、郵便配達か宅配便だろう。博士宛に、誰かが何か送ってきたのかもしれない。
「はい」
 哀はインターホンをとった。
『灰原。俺だ。ドア開けてくれ』
「工藤君!?」
 そこから聞こえてきた声に驚く。
 哀は急いで玄関まで走って、扉を開けた。
 いつのまに降り出していたのか、雪まみれになったコナンが、玄関先に荷物を抱えて立っていた。
「あなたこんなところで何してるのよ……吉田さんのところのパーティは?」
「そりゃこっちの台詞だろーが。……そのまえに中いれてくんねえ? 雪も降っちまって寒ーんだ」
 コナンは、抱えていた荷物を、もう持ちきれなくなったというように玄関にどさりと置いた。彼が抱えていたのは、ケンタッキーのパーティバーレルとケーキだった。6歳児の身体では、パーティバーレルのドラムも、1ホールのケーキの箱も、持つのに苦労するほど大きい。それをコナンは雪の中必死で抱えていたのだ。
 コナンは勝手知ったる他人の家と、哀にケーキの箱を渡して、自分はパーティバーレルを抱えてリビングへと移動する。
「これ……」
「急だったからさ、クリスマスっていってもこんなもんしか用意できなくてさ。でもまあいいだろ」
「そうじゃなくて」
 哀は言葉に困る。
「なんでこんなところにいるのよ」
「そりゃ。おまえがここにいるからだろ? それで今日がクリスマスだからだ」
 冬だから雪が降る、とでも言うように、まるであたりまえのことのようにコナンは答えた。
 だから哀は何故だか動けなくなってその場に立ちすくむ。
「ほら、パーティはじめるぞ。用意おまえも手伝え」
 コナンはパーティバーレルのドラムをあけて、それをテーブルに並べてゆく。それとケーキだけしかないテーブルの上はひどく殺風景だ。パーティといっても、飾りもプレゼントもツリーもない。クリスマスというムードでもない。
 今暖房を入れたばかりのリビングは、雪がないだけマシだろうが、外と同じくらいに冷えている。
 それでも。
 哀は、何故今こんなに自分の胸と目頭が熱いのか、分からなかった。




 サンタクロースは、いるのです。
 目には見えなくても、真心や思いやりが目に見えないように。
 見えなくても、サンタクロースはたしかにいるのです。

 ほら。ここに。




 メリークリスマス。
 今宵あなたがしあわせであるように。


 END