寓話。



 だってここは、おとぎの国だから。



「そのお菓子はみいんな俺様のものだーーーー!!!」
 大きな声で叫んで、コナンは乗っている機械を操縦して、広場に用意されていたみんなのお菓子を次々奪ってゆく。機械から伸びたマジックハンドが、お菓子を奪うついでに、そこに設置されていたお祭りのための設備を無常にも壊してゆく。
「うわあーーーー!」
「やめてえーーー!! バイキンマンーーー!!!」
 そこここから悲鳴が上がり、大人も子供もただ逃げ惑う。善良な住人達は、『悪』に対抗する術も持たずに、ただオロオロと、お菓子が奪われるのを見ていることしかできない。
(愚かで、可哀想な、生き物達)
 コナンは眼下で蟻のように動いている彼らを見て、どこか冷めた感情でそう思った。
 彼らはそういう生き物なのだ。そういうふうに造られている。
 誰にでも優しく、親切で、他者を害することなんてないように。そういうふうに造られた、夢の国の世界の、理想的な住人。
 コナンは次々と奪ったお菓子を大きなマジックハンドの中へ溜め込んでゆく。マジックハンドには、もう抱えきれないほどのお菓子がある。そのうちのいくつかは、持ちきれずにポロポロと落としてしまう。
 本当は、コナンにも分かっているのだ。
 優しいこの世界の住人たちは、ひとことコナンがお菓子が欲しいといえば、快くくれるだろう。対価なんて要求しない。そういう概念さえない。だから、本当は、こんなふうにお菓子を奪う必要なんてない。コナンが欲しがれば欲しがっただけ、笑顔で与えてくれるだろう。
 いや、そもそもお菓子が欲しかったわけではないのだ。
 こんなことをする目的は、お菓子ではないのだ。
(きっと、もうすぐ、彼が)


「こらーーーーー!! バイキンマーーーーーーーン!!!」


「あっ! アンパンマン!!」
「来てくれたのね!!」
 空から現われた彼の姿に、あちこちから安堵に似た歓声が上がる。不安と恐怖にばかりに満ちていた顔に、次々笑顔が戻ってくる。
 同じようにコナンも、現われた彼の姿に、笑顔を浮かべた。それは挑戦的な笑みではなく、嘲笑するようなものでもなく、本当に嬉しそうな、しあわせそうな笑顔を。それはすぐに隠されて、他の誰にも見えなかったけれど。
「遅かったなアンパンマン。お菓子はもう俺様が全部いただいたぞ!」
「そんなことはさせないぞ! ええい!」
 新一は、コナンに向かって拳を振り上げてくる。『正義の味方』が、『悪者』を、退治するために。
(うん。それでいいんだよ)
 コナンは向かってくる新一に応戦する。簡単にはやられたりしないように。でも、彼にひどい怪我などは負わせないように。気をつけながら。
 本当は、素手の新一と、いろいろな装備を搭載したマシンに乗るコナンと、力の差など歴然なのだ。でもそんなことには、誰にも気付かれないように。
「アーーンパーーーンチ!!!」
「うわーーーーー!!!!」
 彼の必殺の一撃を、避けずに正面から受け止める。これで彼は勝つ。決まり事のようなものだった。
「覚えてろよーーーー!!!」
 お約束の捨て台詞を吐いて、コナンは壊れて煙を出す機械で逃げてゆく。その様子に、街の住人達から歓声が上がった。
 全部、シナリオどおり。今日もうまくいった。
 街から遠ざかりながら、コナンは後ろを振り向いた。
「ありがとうアンパンマン」
「アンパンマンのおかげよ」
 街の住人に囲まれて、嬉しそうに笑っている彼の姿が見えた。
 住人にお礼を言われて、新一はすこし照れたように、けれど嬉しそうに笑っていた。
(よかった)
 つられるように、コナンも微笑む。笑った拍子に怪我をした身体が痛んだけれど、そんなことは気にならなかった。
 また、彼が笑ってくれた。
 だから、いいんだ。
 それだけで。



「バカじゃないの?」
 壊れた機械と怪我をした身体を引きずって帰ってみれば、お帰りの言葉もなく、そう言われた。
 たったひとりの、自分と同族の少女が、呆れたように見つめている。
 言われた言葉は、自分でもまったく否定できないもので、苦笑するしかない。
「いいんだよ。俺はこれで」
 哀はコナンの手当てをしてくれる気もないようで、コナンは自分で薬箱を持ってきて、手当てをはじめる。哀はコナンの手当てをしてくれないけれど、いつだって薬箱の薬が切れたことはない。
 黙々と怪我の手当てをするコナンに、哀はちいさく溜息をつく。
「あなた、『泣いた赤鬼』って話、知ってる?」
「なんだそれ?」
「子供向けの昔話よ。村人と仲良くなりたがっている赤鬼のために、親友の青鬼が悪者の振りをして村を襲うの。赤鬼が青鬼を退治して、村人は赤鬼に感謝して、仲良くなるの」
「ふうん。いい話じゃないか」
「もうすこし続きがあるのよ。赤鬼は村人と仲良くなったけど、青鬼と親友だってばれたらまずいでしょう? 青鬼は村を襲った悪者だと思われているんだから。だから青鬼は、赤鬼に別れの手紙だけ残して何処かへ去ってしまうの。それを見て赤鬼は泣きました。っていう話なのよ」
「──」
「この話の青鬼があなたより利口なところは、村を襲うのは赤鬼のためだって、ちゃんと赤鬼に伝えているところよね」
 哀はちいさく肩をすくめる。
「赤鬼にまでただの悪者と思われてるんじゃ、どうしようもないわ。たとえ赤鬼のために去っても、いなくなって清々したって思われるだけで、泣いてももらえないわ」
「──俺には、青鬼のほうがバカだと思うけどな」
 すこし大きな音を立てて、コナンは薬箱の蓋を閉める。
 傷はそんなに深くないものの、細い腕や足に、白い包帯やバンソウコウが当てられ痛々しい。こんな姿を、彼は知らない。それでいいのだ。
「おまえのために、なんてわざわざ言って恩着せたり、そんなことすりゃ泣くだろうって分かってて、わざわざ手紙残して去ったり。青鬼、バカじゃねーの? 赤鬼のためにっていうなら、赤鬼泣かすんじゃねーよ」
 もしもあなたが、私のために泣いてくれるなら。その誘惑は、分からなくもない。
 でも、コナンは、彼に笑っていて欲しいと思う。一度たりと、涙を流して欲しくなんかない。
 だから彼は、何も知らなくていい。何も気付かなくていい。
「あなたはそれでいいのね?」
「──なんのことだ? ただのおとぎ話だろ?」
 コナンの言葉に、哀はまた呆れたように肩をすくめて溜息を吐いた。
「バイキンマン。私、明日、イチゴのジャムをつけたスコーンが食べたいわ。取ってきて」
 そういえば、明日は皆でイチゴ狩りに行くと、街の子供達が話していた。
 ちょうどいいかもしれない。イチゴ狩りを邪魔しに行こう。皆が摘んだイチゴを全部奪って、イチゴ畑を滅茶苦茶にして。
 そうしたら、また、彼が来るに違いない。『悪者』を、やっつけるために。
 この少女は、こうして時々、コナンに『理由』をくれる。街へ悪いことをしに行く理由。それは、少女のわがままを叶えるためなのだと。
「わかった。取ってくるよ」
 コナンの返事など待たずに、少女は身を翻して自室へ去ってゆく。
 それを見送って、コナンは怪我をした身体で、明日また街へ行くために、壊れた機械の修理をはじめた。



 夜が更けても、コナンはひとりで機械の修理をしていた。一緒に暮らしている少女は、きっともうとっくの昔に寝ただろう。機械を修理する、金属音だけが無意味に響く。
 不意に、金属音に足音が混じった。哀のものではない、もっと大きな人間の足音。コナンは修理をする手をとめて、後ろを振り向いた。
「……あんたか」
「久しぶりだね、バイキンマン」
 白いひげをたくわえた、太った老人がいた。街の住人達からは『ジャムおじさん』と呼ばれ慕われている人物だ。
「何しに来たんだよ」
「怪我は大丈夫かい? 今日はいつもよりひどくやられたようだったから」
「俺の心配して来てくれたってのか? だったらなおさら来るな。あんたがここに来てるなんて知られてみろ。そのほうがマズイだろ」
「……すまないね」
「謝るくらいなら最初から造るな。俺もあいつも。他の皆も。こんな街も」
 この温和だけがとりえのような老人が、この世界の創造主だと、一体どれだけの者が知っているだろう。それを街の住人にばらしたら、一体どれだけの者が信じるだろう。
 この街は──この世界は、造られた世界だ。
 この老人と、その助手をしている科学者の手によって造られた、おとぎの国。彼らの夢。
 コナンだってすべてを知っているわけではないが、昔、彼らは大切な人を亡くしたのだという。そして、世界に満ちる不条理や汚さを憎んだ。
 だから彼らは、自分達の持っていた科学力や技術力で、ちいさな街を作った。他の誰もここへ来られないほど遠い場所に、ちいさな夢の国を作ったのだ。
 そして街にはおとぎの国の住人達を。善良で、親切で、優しくて。他者を害することなんて知らない、そうプログラムされた住人達を。
 そうして、彼らの夢の国は出来上がった。夢見たままのおとぎの国。
 街を造り終えた彼らは、街の住人とは別に、『彼』を造った。
 昔亡くしてしまった大切な人を模した『彼』。元の彼がそうだったように、『彼』も、正義を愛するようプログラムされた。
 夢の国に、大切な『彼』。彼らが望んだままの、夢の国。おとぎの国。
 老人と科学者の夢は叶ったように見えた。けれどひとつ、盲点があったのだ。
 この街は、平和すぎた。正義を愛し、悪と戦うようプログラムされた『彼』には、この街は平和すぎたのだ。正義の味方である『彼』の存在意義のない世界。自分はどうしてここにいるのかと、ここにいる意味があるのかと悩んだ彼は、そのうち笑顔をなくしてしまった。
 だから老人と科学者は、彼の存在意義を造り出したのだ。大切な人を模した、大切な『彼』のために。彼の存在意義を。
 すなわち──コナンという『悪者』を。
「……君には、本当にすまないと思っているよ」
「謝らなくていいって言ってるだろ。それに今の俺は、あんたのプログラムだけでこんなことやってるわけでもないし。それに仲間も造ってくれたしな」
 はじめはただプログラムどおりに動いているだけだったけれど、今は違うと断言できる。コナンも新一の笑顔が見たいから、だから『悪者』でいるのだ。
 それに、『悪者』として街の住人達から疎外されるコナンのために、彼らは同族の少女を造ってくれた。
 だからいいのだ。
 コナンは、彼の笑顔を守るためにここにいる。彼の笑顔を守り続ける。それだけだ。
「あんたは、俺をどうこう心配する前に、あいつの心配してろ。あいつに絶対、俺のこととか、ばれないように」
 もしも彼がコナンの存在理由を知ったら、悪さをする本当の理由を知ったら、彼は哀しむだろう。誰よりも優しくて、誰よりもまっすぐな彼だから。
 そんなことはないように。彼が哀しんで泣いたりすることがないように。
「……ああ。分かっているよ」
「分かってんならさっさと帰れ」
「……おやすみ、バイキンマン。ワシが言うことではないかもしれんが……あまり無茶をするんじゃないぞ」
「ホントに、あんたの言うことじゃないな」
 コナンは老人に背をむけて、また機械の修理をはじめる。
 老人はその背中をしばらく見つめたあと、ゆっくりと帰っていった。



 明け方近くになって、やっと機械の修理が終わって、コナンは試運転のために外に出る。
 急いで修理したにもかかわらず、調子はなかなかいい。これならちゃんと、イチゴ狩りの邪魔ができそうだ。
(そうしたら、きっとまた彼が来て)
 正義の味方は悪者をやっつけて、皆に感謝される。
 彼は自分の使命を果たした満足感と、皆から感謝される喜びに、満面の笑みをたたえるだろう。
 その笑顔を、遠くからでも見られるなら。
 その笑顔を、守れるなら。
 それだけで、いいから。それが、コナンの存在意義だから。



 昔話の赤鬼は泣きました。
 でも彼は、涙など知らずに。何も知らずに。
 どうか、そのままで。笑顔のままで。



 だってここは、おとぎの国だから。
 誰かが見ている、しあわせな夢だから。



 END