ハンバーグ


 工藤邸において、料理はもっぱら服部平次の仕事であった。
 新一もだてに一人暮らしをしていたわけではなく、一応料理も一通りできるのだが、なにぶん作ろうという意識が極端に低かった。昔本当に一人暮らしだった頃は、事件やおもしろい小説に夢中になれば、簡単に一日や二日食事を抜くし、作るのがめんどくさくければいっそ食べないという、ひどい食生活を送っていた。
 その食生活を改善させるためには、誰かが料理を作ってあげるということが必要で、その役が平次に回ってきたのだった。正確には、役が回ってきたというよりは、嬉々として引き受けたというほうが正しいのだが。
 その日も、平次は冷蔵庫の中をのぞき込みながら、リビングにいる新一に声をかけた。
「工藤。今日の夕飯、何食べたい?」
 尋かれた新一は、暇つぶしにみていたつまらないテレビから顔をあげて、少し首を傾げて考える。
 しばらく間があいたあと、答が返ってきた。
「志保のハンバーグ」
「はあ?」
 ただのハンバーグではなく、『志保の』と限定されているあたりが曲者である。
 平次が何か言い返すよりも先に、新一は携帯を取り出して電話をかけていた。相手はもちろん、すぐ隣の阿笠邸に住む宮野志保である。
『もしもし、工藤君?』
 数コールのあと、相手はすぐ電話にでた。着信表示で、相手が誰であるかは最初から分かっていたらしい。
「志保か。あのな、俺、夕飯におまえの作ったハンバーグ食いたいんだけど」
『──────』
 挨拶もなしに、いきなりこれである。思わず無言になる。慣れてはいるが、ためいきがでる。
「前に、おまえ作ってくれたじゃん。あれすっげーうまくてさ、また食べたいんだ。どうせ博士は旅行で、おまえ一人なんだろ? 作ってくれよ。一緒に食おーぜ」
 志保のためいきになど気づかずに、はしゃぐ子供のように、新一は電話口でまくしたてる。その口調は、まるでコナンのときのようだ。嬉しそうな顔が、電話越しでも目に浮かぶ。
 わがままで傍若無人だとは思うが、結局、誰もが皆、それに負けてしまう。新一の、笑顔ひとつや喜んだ顔ひとつと引き替えに。
 もう一度、志保はためいきをついた。今度は、新一にではなく、彼を甘やかしてしまう自分にあきれて。
『わかったわ。それで、材料はあるの?』
「あ、わかんね。おい服部ー。材料ってあるのかー?」
「ハンバーグの材料やろ? 玉ねぎくらいはあるけど、肉とか買うてこんとな。今から買うてくるわ」
 後ろで電話を聞いていた平次が、事情を察して答える。
「材料は今から服部が買ってくるって。じゃ、作りにきてくれよな」
『しばらくしたら行くわ。じゃあ、あとでね』
 そうして電話は切れた。
 新一はハンバーグハンバーグ、などと言って子供のように浮かれている。
 それを見ながら平次は買い物に行くためにコートを着込んだ。



「やっぱり志保のハンバーグはうまいな。他のとはひと味違うぜ」
 まるでコナンのころのように、新一はうれしそうな顔でハンバーグを食べている。
 テーブルの上には志保の作ったハンバーグが並び、何故か乱入した快斗を含めて4人で囲む食卓は常になくにぎやかだ。
「ありがと」
 志保も自分の作ったハンバーグを口に運ぶ。
 新一にはうまいうまいと言われるが、実際それがどれほどなのか、志保にはわからない。特別な隠し味を使っているわけでもない、ただのハンバーグだ。同じものを西の探偵が作った場合と、どんな差があるというのだろう。
 分からないが、それでも、新一がおいしいと言ってくれ、食べたいと言ってくれるだけで、志保は嬉しかった。
「よくハンバーグって家庭の味っていうじゃん。それぞれの家で少しづつ味が違うとかさ。でも俺、子供のころってレストランのハンバーグしか食べたことなかったんだよな」
「おふくろさん、作ってくれなかったんか?」
「なんか、嫌な思い出があるとか言ってて、ハンバーグだけは作らなかったんだよ」
 実は、工藤夫妻がまだ結婚する前、つきあい始めたばかりのころ、あまり料理のうまくない有希子が優作にハンバーグを作ってあげたことがあった。そのとき、いったいどうしたらそんなまずいものが出来るんだという物体ができあがったのだ。しかし、恋人の作った料理をまずいと言って食べないわけにもいかず、優作は苦労しながらなんとかその物体を胃袋に納めた。……その後、工藤優作氏は3日間寝込むことになった。
 という経緯があって、工藤家では手作りハンバーグがご法度になっていたのだが、新一はその事実をまだ知らなかった。
「だから俺、志保のハンバーグ食ったとき、すっげー感動したんだぜ。あー、これが皆の言ってた『おふくろの味』ってやつか。確かにレストランのと違ってすげーうめーって」
 そのときの感動を表そうと、新一はフォークを持った手をふりまわす。多少行儀悪いが、誰もそれを咎めない。

「俺に子供できたら、そいつにも志保のハンバーグ食わせてやりたいよな。これが『おふくろの味』だぞって」

 ぴたりと、新一をのぞく3人の動きが止まった。
(なんやそれって……)
(まるっきりプロポーズなんですけど……)
 心の中で、平次と快斗は同じことを思った。
 新一のその言い方では、自分の子供を産んでくれと言っているも同じである。
 しかし、つきあいの深い彼らにはちゃんと分かっていた。事件の推理以外ではひとの感情を汲み取るということが極端にできていない新一に、そんなふうにプロポーズする芸当が出来るはずもないことを。
 新一は、ただ純粋に思ったこと述べただけで、まるっきり他意はないのだ。もちろんプロポーズのプの字も頭に浮かんでいないだろう。
 そして、他人がその言葉を聞いてどう思ってしまうかなんて、わかりもしないのだ。
 言ってしまえば、天然無自覚の、天性のタラシだ。
 ちらりと、平次と快斗は、志保に視線を向けた。彼女がその言葉をどう受けとめたか気になったからだ。
 しかし、幸か不幸か、志保も新一の性格をよく分かっていた。その言葉に深い意味などないことくらい、ちゃんと分かっていた。
「ありがとう。そこまで褒められると、私も嬉しいわ」
 志保はさらりと受け流した。
 その態度に、平次と快斗は少し肩をすくめて、また視線を新一に戻し、食事をすすめた。
(分かってるわ。彼に、そんな気ないことくらい)
 自分に視線を向けてきた、男2人の態度に、志保は心の中で呟く。
 彼女の想い人は、他人の想いに鈍くて鈍くて、彼女が想っているのだということさえ気づかない。気づかないまま、心をかきみだす発言や行動をしてくれる。そんなことにも、もう慣れた。
(だけどもしも)
 空想に浸るくらいは、自分の自由だ。誰にも咎められない。
 そして、目の前には想い人がいて、自分の作ったハンバーグをおいしそうに食べている。自分の近くに、いてくれる。
 それだけで、志保はしあわせなのだ。満足なのだ。
 にぎやかな食卓とか。新一の無邪気な笑顔とか。
 そんなささいなことが、今の志保のすべて。彼女を満たす素。
「またハンバーグ食べたくなったら、いつでも言えばいいわ。いくらでも作ってあげるから」
「おう。頼むな、志保」
 新一は、嬉しそうなしあわせそうな笑顔を志保に向ける。
 そうしてまたひとつ、ちいさくて無限大の幸福を、志保は手にいれるのだ。


 END