星の生まれる日。


 街をさまよっていた快斗の視界に、ふと彼に似た影がよぎって、快斗は足を止めて振り返った。
 見知らぬ人が、横切るように、足早に通り過ぎていく。
(……違った)
 振り返った先にいたのは、探している彼とは別人だった。
 諦めたような溜息がもれてしまう。こんなにこんなに探しているのに、彼はまだ見つからなくて。もしかしたら彼はもう……、という想いがわきあがってしまう。
 あれから、10年が経った。
『江戸川コナン』と名乗っていたちいさな少年が、姿を消してから。
 彼が消えて、かといって代わりに『工藤新一』が戻ってきたわけでもなかった。
 彼──あるいは彼らは、同時にいなくなってしまった。連絡も、途絶えてしまった。
 親しかった者達には、もっともらしい説明がされた。『江戸川コナン』は両親の元へ帰ったと。『工藤新一』は、もっと難しい事件にかかりきりになって、連絡さえできないほど忙しいと。一部の者は不満をもらしたり不審がりもしたけれど、それだけだった。その理由を、納得した。
 けれど真実は違った。
 彼──あるいは彼らは、消えたのだ。
 黒の組織に、体が小さくなっていることが突き止められ、再び追っ手がかかり、周りの者達を巻き込まないために、自ら姿を消したのだ。
 彼と一緒に、『灰原哀』と名乗っていた少女も消えた。彼女の立場を考えれば当然だろう。彼女も表向きは転校したということになっている。
 皆の前から消えた彼らがどうなったのか、快斗には知る術が何もなかった。
 うまく逃げ切り、元の体にでも戻ったのか。それとも逃げ切れず、組織に捕まり、殺されてしまったのか。何も、分からない。
 それでも、それから快斗はずっと探し続けていた。彼を。工藤新一を、あるいは江戸川コナンを。
 世界中の見知らぬ街をさまよい歩いては、人込みの中に、彼に似た姿を見つけて振り返る。そんな10年を過ごしてきた。
 多くの者に言われた。そんなことをして何になるのかと。彼が見つかったとしても、快斗に何ができるというわけでもない。何にもならないと、快斗にだって分かっていた。自分のいるべき場所はここではないとも、分かっていた。
(でも、俺はただ……)
 彼を見つけてどうする、というのではない。多分自分は、もう一度彼の姿を見たいだけなのだ、きっと。さよならも言わずに離れてしまったから。突然の別れだったから。
 彼が今しあわせか、泣いていないか、何処でどんな暮らしをしているか、確かめたいだけなのだ。それだけなのだ。

(新一……)

 そうして、快斗は今日も、見知らぬ街をさまよい歩いていた。あてもなく。漂うように。
 と、突然。
「おとーさーん!」
 元気な声と共に、子供がぼふっと快斗に抱き付いてきた。
「え?」
 もちろん快斗に子供などいない。驚いて下を見る。快斗の腰くらいしか身長のない小さな子供が足に抱き付いていた。
「あれ?」
 子供は抱き付き心地に違和感でも感じたのか、不思議そうに快斗を見上げてきた。
 その顔を見て、快斗は息が止まりそうになった。

(────コナン!?)

 その子供は、驚くほどコナンに似ていた。理知的な大きな瞳も、まろやかな頬の形も、通った鼻筋も。
(いや……違う。この子は、コナンじゃない)
 見た瞬間は、コナンと見間違えるほどだったが、落ち着いてゆっくり見てみれば、コナンでないことはすぐに分かった。よく見れば、似てはいるが微妙に違う。
 何より違うのは、髪と瞳の色だ。新一、あるいはコナンは、肌は透けるように白かったが、その髪と瞳は黒曜石のように黒かった。目の前の子供は、赤みがかった茶色の髪に、色素の薄い茶色の瞳をしていた。
 それに、もし彼が本当にコナンだったとしても、あれから10年経っている。もっと大きくなっているだろう。
 この子は、新一でも、コナンでもない。
 快斗はゆっくりと、驚いて詰まっていた息を吐いた。
「ごめんなさい。おとうさんに似ていたから、間違えちゃった」
 小さな子供は、抱き付いていた快斗から離れて、ぺこんとおじぎをした。
 その可愛らしい仕草に、思わず笑みがこぼれる。
「そうか。気を付けろよ」
 快斗はその赤茶の髪をくしゃくしゃと撫でる。子供はくすぐったそうに首をすくめる。子供らしい仕草だ。
 コナンは、外見は子供でも中身は違ったから、演技で子供ぶることはあっても、こんなふうに自然に子供らしい仕草をすることなどなかった。やはり、この子はどんなに似ていても彼ではないのだと思い知らされる。
 頭を撫でられながら、子供は、食いいるように快斗の顔を見つめていた。身長差のために、子供は後ろに倒れそうなほど、顎を上げていた。
 快斗は膝を折って、子供と同じ目の高さになってやる。
「なんだ? 俺の顔に、何か付いてるか?」
「おじさん、ほんとにおとうさんに似てるね! 双子みたいだよ! 僕じゃなくても、きっと皆間違えるよ!」
 子供はおもしろいものでも見つけたように、はしゃいで言った。
『双子みたいだね』
 軽い既視感を感じる。昔は、よく同じようなことを言われていた。自分と彼とを、両方知る人達は、皆そう言って、血の繋がりもないのにそっくりな顔をしていることに驚いていた。
(それは、もしかして……)
 この子供の父親は、自分と双子のように似ているというその人物とは……もしかして……。
「君の──君の、おとうさんの名前は、もしかして……」
 そう、快斗が言いかけたとき。

「快斗!」

 人込みから呼ぶ声が聞こえて、弾かれたように、快斗と子供は同時に顔を上げた。声の出所を探して、首を巡らせる。
 そこに見えたのは──。




「あ、おとうさんとおかあさんだー!」
 子供が人込みに向かって大きく手を振る。両親の元へと駆けだして行く。
 今度こそ間違いなく、子供は父親に抱き付く。
「何処行ってたんだよ」
「もう、迷子になったのかと思うじゃない」
 父親と、その隣にいる母親に言われて、子供は首をすくめる。
「ごめんなさーい」
 あんまり反省していない返事に、けれどその愛らしさと子供が見つかった安堵に、両親の顔に笑みが浮かぶ。
「何してたんだ、こんなところで」
「あのね、向こうにおとうさんにそっくりな人がいて、間違えちゃった」
 子供は、なにか大発見でもしたかのような顔で、父親を見上げて言った。
「俺に……そっくりな、奴?」
 父親は、その言葉に、あるひとの姿を思い出す。以前、自分に似ていると、よくそう言われていた人がいた。
「うん、あそこにね……」
 子供は振り向いて、さっきまで自分と彼がいた場所を指差す。けれどそこには誰もいない。何もない。
 ほんの一瞬前まで、彼は確かにそこにいたのに、もうそこには誰もいなかった。彼はまるで幻だったかのように消えていた。
「あれ……いなくなっちゃった」
 子供は少し前へ走り出して、人込みを見回して、さっきまでいた彼の姿を探す。けれど、何処にも彼の姿を見つけることはできなかった。
「何処いっちゃったんだろう。ほんとにおとうさんにそっくりだったから、おとうさんに会わせたかったのにー」
 残念そうに、子供は肩を落とす。
「そうか、そんなに俺に似ていたのか?」
「うん! ほんとにそっくりだったよ! おとうさんと双子みたいだった!」
 子供の言葉に、両親も既視感を感じる。昔、そう言われる人物がいた。もう、ずっと昔のことだけれど。
「貴方に似てる人って、まさかね……でも……」
 夫によく似た人を、彼女は知っていた。夫に似ているような人物など、早々いるはずもない。いるとすれば……彼くらいのものだ。
 けれど、彼のはずがない……彼のはずがない。
 だって彼は……撃たれて、死んだのだから。もう10年も前に。自分達が、彼や皆の前から姿を消した直後のことだった。
 判断に困って、彼女が夫に視線を向ける。
 誰もいないその空間をじっと見つめていた彼は、妻の視線に気付いて、しばらく何かを考えるように口許を引き結んだあと、ふわりと微笑んだ。
「さあ。どうなんだろうな。でも、いいじゃないか、そんなこと」
 それが本当に彼らの考えている人物だったとしても、そうでなかったとしても。真実はもうわからない。それで構わない気がした。
「さ、快斗。帰ろうか」
「うん!」
 父親は子供を抱き上げる。抱き上げられたことが嬉しいのか、子供は首に抱き付く。その背を、愛しげに撫でてやる。
 微笑みで妻を促して、そこから歩きだす。その場所に背を向けて、歩きだす。

(…………新一…………)

 人込みから、名を呼ばれたような気がして、ふと振り返る。
 けれど、そこに彼の姿はなく、行き交う人々の姿があるだけだった。


 END