風化風葬 (11)


「おい待てよ服部」
「工藤、こっちや」
 人波にはぐれそうになって、新一は必死で平次の姿を追う。新一よりも体躯の大きな平次は人波に流されるようなことはないらしく、平然と、強い力で新一の肩を抱き寄せた。
 人前でやるには少々大胆なその行為に、新一は軽く恋人を睨んでみるが、相手はそれさえも楽しむかのように笑い返しただけだった。
 休日の街には、人があふれている。どこもかしこも人だらけで、こんなにいたのでは、個人の識別などできないだろう。
「気をつけな。こんなとこではぐれたらあかんやろ?」
「人混みって、苦手なんだよ。こんなとこくるの久しぶりだし」
 すこし拗ねたように、新一は可愛らしく唇を尖らせる。
 つい最近まで『事件に巻き込まれて怪我をした』新一は、志保から絶対安静を言い渡されて、ずっと部屋に閉じ込められていた。平次は差し入れをもって何度も会いに来てくれたけれど、新一はずっと退屈で退屈でしょうがなかったのだ。
 そうして、怪我もよくなり、志保からの外出許可が出て、久しぶりに平次と出かけたのだが、それがこんな人波にもまれることになるとは思わなかった。
「なんでこんなとこ連れて来るんだよ。もっと人のいないところにしろよな」
「そやかて、めっちゃ美味い店見つけたんやで〜。工藤も絶対気に入るて。それに、一緒に見たい映画もあったしな。ほら、工藤も言っとったやろ、雑誌見て面白そうやて」
「全部おまえのおごりだろうな」
「もちろんやで〜。あ、ほら工藤。青んなったで」
 信号が青になり、歩道の端で止まっていた人の塊が動き出す。新一と平次も人波とともに横断歩道を渡り始める。
 向こう側からも、同じように人波が渡ってくる。たくさんの人間が、行き過ぎる。

(…………)

 ふと、新一は人波を振り返った。
「なんや、工藤?」
 横断歩道の真ん中で、急に立ち止まった新一に、不思議そうに平次が振り返る。
「あ、いや……」
 今すれ違った、知らない誰か。
 ……知っているような、気がした。
 何処かで逢ったことがあるような。
 人は多すぎて、人波にまぎれて、すれ違った相手がどんなひとだったかなんて分からない。振り返っても、それが誰だったか、見つけることはできない。
 ただなんとなく、そんな気がしただけだ。
(…………)
 けれどどんなに記憶を探っても、新一はなにひとつ思い出せない。すれ違った知らない誰かが、誰であるのか。いやそもそも、知り合いだったのだろうか。ただの勘違いかもしれない。なんとなく、そんな気がしただけで。
「工藤〜。信号赤んなるで」
「えっ。あっ」
 平次の声に振り返れば、すでに信号は点滅をはじめていた。
 新一は急いで横断歩道を渡る。背を向けたそのひとのことは、もう意識の外に消えていた。



 平次は、こちらへ向かってくる新一の向こう、背を向けて遠くなるその人影を見つめる。
 平次は気付いていた。すれ違ったのが、新一が振り向いたのが、誰か。
 多分きっと、これが、彼の最後の挨拶。
 彼から、新一への最後の挨拶。
 これくらいは、許してやろう。同じように新一を想う気持ちは変わらない。恋敵であることは変わらないけれど。
「なんだよ。向こうに別れた彼女でもいたか?」
 新一が傍に来たにもかかわらず、歩道の向こうへ目をやっている平次に、新一はまたすこし拗ねたように言う。
「そんなんおらんわ。俺は工藤一筋やで!」
「バーロ! こんなところでそんなこと言うんじゃねえ!」
 新一は自慢の右足で平次の拗ねを蹴り上げると、痛みに動けなくなる平次を置いて、さっさと歩いていってしまう。けれど、その後姿は、耳まで赤く染まっている。
「工藤待ってや〜」
 平次は痛む足をさすりながら、新一の姿を追う。あんな照れ隠しの行動など、ふたりにとってはいつものことだ。
 そうしてふたりの姿は人波にまぎれていった。



 通りの向こう、すれ違った快斗は、けれど振り向かない。
 振り向いては、いけない。

 新一は、思い出さない。
 もう、永久に。

 そして、何処か遠くで、笑っていて。しあわせでいて。

 本当に。本当に。
 あなたがしあわせであるなら。
 笑っていてくれるのなら。
 大丈夫。
 それだけで生きていける。

 大丈夫。
 君はもう、俺を忘れるから。
 大丈夫。
 俺はもう、君を忘れるから。忘れるから。忘れるから。
 ……忘れるから。
 大丈夫。



 あなたはもう、私を、忘れるから。



 END.