If I love you ....
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あなたを憎めたら、よかったのに。
あなたを愛せたら、よかったのに。
そうできれば、もっと楽だったのに。
「じゃあこの問題、解るひとー」
「はーい!」
黒板に書かれた数式を示して、若い女教師が子供達にきくと、そこかしこから元気な声と共に手が上げられる。
数式、といっても、それは小学一年生のもので、ただの二桁の足し算だ。
(バカ、ミタイ)
哀は、心の中で呟く。
それは、周りにいる子供達への言葉ではない。彼らは彼らに見合った知識と学力で、必死に勉強しているのだ。それを馬鹿にする気は毛頭ない。
言葉は、自分へ。
こんなところで、二桁の足し算をやっていなければならない自分へ。
彼女の頭脳は、単純計算どころか、特殊相対性理論だって理解している。それなのに、こんなところで足し算の勉強をしていなければならない。
ちらりと横を向くと、自分と同じようにつまらなそうな顔をした彼の姿が目に入った。 工藤新一。……今の名前は江戸川コナン。
彼も、元は高校生だ。哀とは少し違った意味で頭脳明晰な彼にとっても、こんな小学生の授業はくだらないに決まっている。
(バカ、ミテエ)
彼が心の中でそう思っているだろうことを、哀は感じていた。
同じ境遇にいるからこそ感じる、同じ想い。
哀の視線に気づいたのか、コナンがこちらを見た。目が合う。
すると彼はにやりと笑ってみせた。
(オメーモ、ソウオモウダロ?)
だから哀も皮肉げな微笑みで返す。
(ソノトオリネ)
言葉に出さなくても、通じる。解かりあえる。
こんな瞬間が、哀は好きだった。……あまり、認めたくはなかったけれど。
学校帰り、めずらしく哀とコナンは一緒に帰ることになった。
コナンは何か工藤邸に用があるらしく、その隣の阿笠宅に居候している哀と向かう方向が一緒になったのだ。いつもならコナンにくっついてくる探偵団3人は、掃除当番だとか委員会だとかで、いなかった。
「あ〜あ、小学生ってのも、かったりーよな」
周りには他の通行人もなく、哀しかいないから、コナンは自分を隠すことなく砕けた口調になる。
「ホントね」
哀も元の自分の口調になる。といっても、彼女の場合、あまり変わらないのだが。
「もどかしくて嫌になるわ」
吐き捨てるように、短く言葉が口をついて出た。
(ア、…………)
言ってしまってから、少し、しまったと思う。
今の言葉は、誤解されたかもしれない。周りの、歩美や光彦のような、普通の子供を馬鹿にした言葉だと思われたかもしれない。
もどかしいのは、やっぱり自分。
子供として生活しなければならないことだけでなく、こんな、言葉ひとつ、うまく伝えることもできない自分。
人と話すのは、苦手だった。いつも言葉を省き過ぎて、解かってもらえない、あるいは誤解される。
けれど、その誤解を解こうと弁解することも苦手で、いつのまにか、あきらめというものが身に付いてしまった。
(ワカッテモラエナクテ カマワナイ)
そんな言葉が、心に浮かぶ。
けれど、ちらりとコナンを見ると、彼はまたにやりと笑ってみせた。
(ワカッテルゼ オマエノ イイタイコトハ)
そんな、言葉の代わりに。
「…………」
何故だか嬉しくて、哀はコナンに微笑み返した。いつもの皮肉げな笑いではなく、彼女には珍しい、本当の、笑顔を。
そうだ。彼は分かってくれる。
哀のたどたどしい言葉を。その裏に隠されたココロを。
事件の謎を解くように、その中にあるもの、何ひとつ見落とすことなく。
(────どうして、こんなふうに出会ってしまったんだろう)
それは、哀のなかに渦巻く、答えのない、哀しい疑問。
もっと違うように出会っていたなら。
あの、姉の事件がなかったなら、こんなふうに、彼を憎むことはなかった。
あるいは。
彼が哀のココロも分からないような奴だったなら、こんなふうに、心揺らされることもなかった。
哀はコナンを憎む心を消せない。彼のせいではないと分かっていても、たったひとりの大切な肉親が死んでしまった哀しみは、誰かを憎むことでしか支えられなくて。
でも、憎みきれない。
初めて現われた、肉親以外で自分を分かってくれるひと。
姉のことがなかったなら、……そう、もしかしたら、彼を愛していたかもしれない。
いや、もうすでに、愛しているのかもしれない。
江戸川コナン……工藤新一を。
でも、愛しきれない。
憎む心を消せないから。
そして、憎みきれない。
惹かれているから。
あなたを憎めたら、よかったのに。
あなたを愛せたら、よかったのに。
憎むでも、愛すでも、そのどちらかに、ココロすべてを傾けることができたなら。
そうできれば、もっと楽だったのに。
このココロは、愛にも憎しみにも、どちらにもいけない。
宙ぶらりんのまま、自分の中でどろどろと渦巻くだけ。
このココロまで、彼は見抜いてくれるだろうか。解かってくれるだろうか。
「なんだよ灰原。俺の顔に、なんかついてっか?」
じっと見つめてくる哀の視線に、コナンが不思議そうに尋いてくる。
「…………いいえ、何でもないわ」
いつものように冷たく言い放って、哀は視線を逸らした。
ふと、さっき思い付いた自分の考えが、不意に莫迦莫迦しく思える。
彼が自分の気持ちに気づいたとして……どうして欲しかったというのだろう。哀にはどんな答えも見つからない。おそらく、どんな答えもないのだ。
だから、こんな気持ち、気づかなくていい。
いや、気づかれてはいけない。きっと。
こんなふうに出会っていなければ、何らかの形や答えがあったのかもしれないけれど、ふたりはもうこうして出会ってしまったのだし、時間は戻せない。
────────でも。
時間は戻せない。けれど、進む。
進んだ時間の先で、もし、────────宮野志保に戻って、彼も工藤新一に戻って、組織も過去も、全部精算することができたなら────────。
そのときは、何らかの答えが見つかるのだろうか。
「灰原……」
「え、何?」
不意に呼ばれて、哀はまた、コナンのほうを向く。
彼は、意外なほどに優しい顔で微笑んでいた。
「俺もお前も、いつか、元に戻れるさ。だから、そんな暗い顔すんなよ」
優しい顔で、優しい声で、『工藤新一』の言葉で、そんなことを言う。
哀のココロを見抜いているのか、いないのか。名探偵は優しくて、そして少し残酷だ。
「当たり前よ。解毒剤の開発、頑張っているもの。元の体に戻れないなんて、嫌だもの」
精一杯強がって、いつもの冷静な口調になるよう努めて、でも、いつもの皮肉げな笑顔は少し失敗したかもしれない。
いつか、この気持ちにも、何らかの答えが出るのだろうか。
いつか、この気持ちは、愛か憎しみか、そのどちらかを選ぶのだろうか。
そのとき私は、そして彼は…………。
哀は、あえて、今はその答えを考えないことにした。
「頼むぜ、灰原」
コナンは笑って、そしてまた、ふたり並んで歩いていく。
今は、それだけでよかった。
────────────Someday,if I love you ....
END