遺書。 -7-


 平次は自分の罪を隠すことなく全部自供して、取調べを受けていた。
 けれど取調べはあまりスムーズには進まなかった。取調べをする刑事達は顔見知りが多く、彼らのほうが感情的になって、うまく取調べが進まなかった。
 怒る者は、少なかった。あるひとは泣き、あるひとは平次を慰めた。
 何も知らないマスコミや遠い知り合い達は、この事件を面白おかしく騒ぎ立てて、平次を責め立てた。けれど、親しかった人達は、皆、平次に優しかった。
 そんな中で、平次に、平蔵と優作が会いに来た。
「すまん。堪忍な、オヤジ」
 平次は父親に頭を下げる。
 身内が事件を起こした、しかもそれが殺人というのであれば、当然平蔵の責任問題にもなっていた。
「……アホだとは思っていたが、これほどのアホとは、思っとらんかったわ」
 平蔵の言葉には、怒りも哀しみもない。ただ……深い深い理解がある。
 それから、平次はその隣にいる優作に、何かを言おうとして──謝罪の言葉を述べようとして、けれどうまく言葉が見つからずに、結局、何も言わずにただ深く静かに頭を下げた。
 優作は、そんな平次に優しく微笑んで言った。
「服部君、君は、間違っていないよ。君がやらなければ、きっと、私か有希子が、あのこを手にかけていた」
 優作と有希子も、志保を通して、新一の病気のことは聞かされていた。彼らは自分の息子のことをよく分かっている。だから、どれほど新一が苦しんでいたかすぐに理解できた。きっと、平次が新一を殺さなければ、きっと代わりに自分達が殺していただろう。優作は、そう思う。
 そして、平次がどれほど新一のことを想っていたか、知っている。そして、新一もどれだけ平次を想っていたか。だから、あるいは誰よりも苦しんだのは、誰よりもつらかったのは、平次なのだろう。
 平次を責める気持ちは微塵もなかった。
「今日君に会いに来たのは、いくつか伝えることがあるからなんだ」
 優作は、静かに言った。
「……志保君が、亡くなったよ」
 平次は、その言葉に驚く。
「……そんな!? どうして!?」
「自殺だよ。自ら命を断ったんだ。遺書が、あったよ。彼女も、新一と同じだったから」
 志保は、発症も進行も新一より遅かった。だから新一が壊れていっても、まだ彼女はそこまでいっていなかった。けれど、彼女にも同じ病状は確実に進行していた。
 だから、彼女も、自分が自分であるうちに命を絶つと、遺書に記されていたと優作は語った。
「……そうですか……」
 平次は、志保のことを思い出す。
 志保は自分に絶望したというよりも、新一のあとを追ったのだろう。姉が死んでから、彼女の支えは新一だけだったから。志保は新一を想っていたから。
 新一のいない世界は、彼女にとってもうなんの意味も持たないから。
 そう。意味のない、世界。
 何故自分はこうして生きているのだろうと、ふと思う。
 志保と同じように、新一のいない世界は平次にとっても、意味がないのに。
 どうしてだろう。
「それと」
 優作の声に、不意に現実に引き戻される。
「志保君の遺書と一緒に、彼女が預かっていたという、新一の遺書も、見つかったよ」

「……工藤の、遺書!?」

 平次は驚いて、思考が混乱する。
 そんなものの存在、平次はもちろん知らなかった。
 何故そんなものが見つかるのだろう。彼は、自分が衝動的に殺したのだ。それなのに、何故、遺書が見つかるというのだろう。
 以前彼は言っていた。自分が自殺なんてするはずないと。そのとおりだ。だから、彼が遺書など書くはずはないのに。
「それ……本物なんですか? なにかの間違いや……」
 優作はゆるく首を振って、否定する。
「間違いなく、本物だよ。新一の自筆の、遺書だ」
「なんで、なんでそないなもんが……」
 遺書は、間違いなく、新一の書いたものだった。
 そこには、病気のつらさ、自分が自分でなくなることの恐怖や哀しみがせつせつと書かれていて、誰もの涙を誘うような内容だった。
 そして、最後に、自分が自分でなくなる前に命を断つということ、それから、その死体は海に捨てて欲しいということが書かれていた。
「その遺書を、証拠物件として出すよ。君は、殺人ではなく、自殺幇助ということになるだろう」
「…………!!」
 遺書は、平次を助けるのに、格段の効果を発揮するだろう。彼は、『親友を殺した』のではない。『病気で苦しんでいる親友の、最期の望みを叶えた』のだ。
 これで格段に罪は軽くなるだろう。実刑さえ免れるかもしれない。
 けれど、そんなことは、平次には、どうでもいいことだった。
 あるはずのない、新一の遺書。そんなものが、何故あるのか。
 それは──。

「──あいつは、分かってて、だから、遺書を……」

 茫然と、つぶやく。
 おそらく、新一には分かっていたのだ。あの、頭脳明晰で、何でも見透かしてしまう彼には。
 平次が、新一の願いを叶えるために、あるいは、自分をなくしていく新一に耐えられなくなって、新一に手をかけるだろうことを。
 そして、その亡骸を、いつか言ったとおり、海に還すだろうことまで。
 何もかも見抜いて。
 だから、そんなものを残して、それを志保に預けておいたのだろう。
 あの工藤新一が、自殺することはありえない。ましてや、弱音のように思える言葉を書き残すとは思えない。だから、これは、平次のために遺した遺書なのだ。
 すべてを見越して、少しでも、平次の罪と気持ちが軽くなるようにと。
「……ほんまに、最期まで、工藤新一は工藤新一やな」
 なんだかおかしくなってしまう。涙がこぼれそうになる。
 彼は、彼が望んだとおり、名探偵で、何もかも見透かして、先回りして。
 そうしてきっと、誇らしげに、けれど何処かいたずらっこがいたずらに成功したときのような顔で笑うのだ。
『どうだ服部。すげーだろ?』
 勝ち誇ったような、自慢げな、けれど、無邪気な顔で、そう言うのだ。

 彼は最期まで彼のままで。
 相変らず、探偵に不向きなほど優しくて、だから、哀しい。

「それと一緒に、もうひとつ、遺書が見つかったんだ」
 優作は、白い紙を差し出す。
「まあこれは、遺書というよりは、メモかもしれないけれど……。私は、これが、新一が君に宛てた、本当の遺書だと思うんだよ」
 平次はそれに手を延ばして、書かれている文字を、読む。

 真っ白な、便箋に、短く。







      ごめんな。

      それと、ありがとう。








      ────愛してる
                       』








 たった、それだけの。
 彼の、ほんとうの、遺書。






「────っ!!」



 痛いくらい目頭が熱くなって、涙が、こぼれた。
 彼の名前を呼ぼうとして、声を上げて泣こうとして、けれど、想いが喉に詰まって、声が出なかった。
 ココロで、張り裂けるくらい彼の名を呼んで。
 涙が枯れ果てるまで、平次は泣き続けた。

 ──愛するひとを、想いながら。
















 夢を見る。くりかえし。
 しあわせな、夢を。
 そっとそっと。ゆりかごに抱かれるように。
 あの日の、夢を。


 砂浜にふたり座り込んで、たわいない話をしていた。
 ずっとずっと話し続けて、ふと、会話が途切れた。
 波の音と潮の香だけが、ふたりのあいだを行き過ぎる。
「──なあ」
「ん?」
 呼ばれて、隣にいる平次の顔を見つめる。コナンの目線では、少し見上げる角度になる。
 秋晴れの空の陽射しが、やわらかにふりそそぐ。
「俺、お前のことが、好きや」
「────」
 その『好き』がどういう種類の『好き』かなんて、彼のまっすぐな瞳を見れば、すぐに分かった。
「別に、気持ち押しつけようとか、そんなんとちゃうけど……お前がどんな姿んなっても、俺にはお前やて見つけられる自信あるし、お前のこと変わらず好きやから……」
「バーロォ」
 言った声はかすかに震えてしまった。
 彼は自分の中にある、本質を見つけてくれて、それを好きだと言ってくれて。今もこうして、傍にいてくれて。
 それがどんなに自分を支えてくれるか知れない。いつもいつも。
「俺だって……お前がどんな姿になったって、見つけてやるさ。なんてったって俺は、『東の名探偵、工藤新一』なんだからな」
 そのとき自分にできる精一杯の顔で、笑ってみせた。
「それで……俺も、お前のこと、変わらずに、好きでいてやるよ」



 波の音が繰り返す。あの日のままに。
 この場所で、夢を見る。ずっとずっと、くりかえし。

 ──愛するひとを、想いながら。


 END