君のとなり


 子猫は、ちいさく丸くなって眠る。
 そのちいさな体をさらにちいさくして、ぴったりと、平次に寄り添いながら。そのぬくもりと鼓動を確かめるように。
 平次はベッドに片肘をついて、その上に頬杖をつきながら、自分の胸元あたりでまるまっている「工藤」と名付けた子猫を見つめる。
(なんかなー)
 こうして、一緒に寝ることが当たり前になってしまった。
 はじめは、子猫用の寝床をちゃんと別に用意してやったのだ。けれどこの子猫は、用意された寝床で、まるまって、夜の暗闇を怖がるように震えていた。
 それに気づいて見兼ねた平次が自分の寝床に招いてやると、おそるおそるではあるが嬉しそうに近づいて、こうしてぴったりと平次に寄り添って、そしてやっと安心したように眠りについた。
 それからは、こうして毎日一緒だ。そうしないと子猫はどうしても眠ることができないのだからしかたがない。
(なんちゅーか、甘やかされて甘やかされて育ったんやろな〜)
 隣に誰かいないと眠れないというのは、平次に出会う前からのことだろう。それなら、前の飼い主も、いつもこうして一緒に寝てあげていたということになる。
「前の飼い主、か…………」
 ぽつり、と、ちいさく呟く。
 子猫が、実際のところ、どういう事情で前の飼い主と離れたのか、平次は知らなかった。本当に捨てられたのか、ただの迷子か、それ以外の事情か。何も知らない。子猫が、何も話してはくれないから。
 今は勝手に『工藤』と名付けて呼んでいるが、子猫の、本当の名前さえ知らないのだ。
 あの雨の中、子猫を拾ってきた日。平次は自分の部屋に連れて帰って、濡れた髪を乾かしてやりながら、子猫に尋ねた。
「お前、名前、なんて言うんや?」
「………………」
 子猫は答えない。ぎゅっと引き結んだくちびるのまま、うつむいている。
「答えたくないんか?」
 その問にも、答えはない。うなずくことも、首を振ることもない。
 まるで、何処かに地雷があるけれど、それが何処か分からなくて、どうにも動けない、という感じだった。
(しゃーないな)
 無理に聞き出すことも気が引けて、平次は名前を聞くことを諦めた。
「ほんなら、勝手に名前つけてまうで。名前ないと不便やからな」
 それにもやっぱりなんの反応もない。
 それを無視して、平次は目の前の子猫に似合う名前を探す。
 インスピレーションのように、ふと浮かんだ名前を、口にする。

「クドウ」

 不意に、子猫が顔をあげた。大きな瞳が、平次を映す。
「気にいらんか?」
 ふるふると、子猫は首を横に振る。やっと、子猫からの反応。乾き切っていない髪が、ぺちぺちと額や頬に当たる。
「ほんなら、お前は今日から『工藤』や。俺は服部平次や。よろしゅうな」
 平次が微笑みかけると、子猫は少し戸惑ったように、けれどうなずきながら微笑み返した。
 ……あれから、子猫は『工藤』として平次の傍にいるが、それは本当の名前ではないし、ここも、本当の居場所ではないのだろう。
 子猫は、前の飼い主のことなど、一切何も話さない。けれど、まだそのひとを探していることを、知っている。
 外に出るのは怖いのか、外には出ないけれど、いつも、窓から下を見下ろして、誰かを探している。
 やはり、子猫は捨てられたのではなくて、何か事情があって、飼い主と離れているだけなのかもしれない。その可能性のほうが強い。
 けれど、何故だか、その本当の飼い主探しに協力してやる気にはなれなかった。だから平次は、本当の飼い主について深く追及しないし、子猫が誰かを探していることも知らない振りをする。
 そっと、穏やかに眠っている子猫の頬に手を伸ばす。そっと、触れてみる。
 くすぐったかったのか、眠っている子猫が少し身をよじる。しあわせそうな笑みの刻まれたそのくちもとから、ちいさな声がこぼれる。

「………………………………快斗………………………………」

(カイト?)
 思わず、動きが一瞬とまってしまってしまう。
 知らない名前。
 それが、前に一緒にいた人間の名前なのだろうか?
 そこが、この子猫の、本当にいるべき場所なのだろうか?
 いつかは、そこへ帰ってしまうのだろうか……?
「……せやけど、今お前の隣にいるんは、俺なんやで?」
 平次は、子猫の耳元にくちびるを寄せて、そっとささやく。
「わかっとるんか? 『工藤』……?」
 ぐっすりと眠っている子猫は、まだ起きる気配もない。
 言葉は誰にも届かない。
 そこに込められたココロも、届かない。
 …………今はまだ、夢の中。


 END