言葉(喧嘩)


 新一は言葉を大切にする。
 口に出す、あるいは文字で書かれる、そのひとことひとことが、『力』を持っていることを知っている。
 だから、口の悪さとは別の意味で、彼は言葉に対して慎重なところがある。
 それは探偵として事件に接するうちに身についたものなのか、小説好きで活字に埋もれているうちにそうなったのか、そこのところはよくわからない。



 ある日、平次と新一は喧嘩をした。
 きっかけは些細なことで、言い争ううちにきっかけ自体がなんだったのかすら忘れてしまうくらい、些細などうでもいいことだった。
 それなのに、一度言い争いに火が付いてしまうと、いじっぱりな新一は絶対あとには引けず、突っ走ってしまう。
 いつもはそれをちゃんと分かっている平次が、ある程度のところで折れるのだが、今日は何故だか平次も突っ走ってしまい、言い争いはとまらなかった。
「なんだよ! 俺のほうが間違ってるっていうのかよ!!」
「間違っとる間違っとらんゆう問題やない! ただ、違うちゅーだけや!」
「なんだよそれ! 全然わかんねー!! だいたいおまえは、いつもそーじゃねーか! このあいだだって…………!!」
「なんやと!? あれはおまえも悪いやないか!! 全部ひとのせいにすんな!!」
 もはや言い争いは、最初の問題を離れて、ただの文句の言い合いになってしまっていた。
 頭に血が昇っているふたりは、些細なことや昔のことまで引っぱり出し、ただひたすらに相手を中傷する。
 殴り合いにならないことだけがとりあえずの救いだったが、熱が上がるばかりの言い争いは、何処までいくのか分からなかった。
 が。
「うるさい! なんなんだよおまえ! おまえなんてダイキラ………………、………………、……………………」
 叫んでいた新一が、突然そこで言葉をとめてしまった。そのせいで平次も言い返すタイミングをはずして、ふたりのあいだに沈黙が落ちる。
 なんだか困ってしまって沈黙しているようだ。さっきまで平次を激しくにらみつけていた目が、今は困ったようにそらされて、視線がさまよっている。
「…………………………工藤?」
「……………………おまえなんて、……………………スキ、だけど。でも、でも! おまえのほうが、悪いんだからな!!」
「………………………………………………………………」
 平次は言葉を失って、つい30秒前まで、大喧嘩をしていたはずの相手を見つめた。
 新一は、たとえ頭に血が昇った喧嘩の言い争いの中でも、平次を『大嫌い』ということをためらって、突然言葉を途切れさせてしまったらしい。そして、律儀にも『好き』と訂正して。
 そんなあとにまた文句を続けられても、迫力も効果もなにもない。
 いや、効果はあった。
 平次を撃沈させる効果は。
「くどう〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜」
「わっ!」
 平次は新一を胸に抱き込む。新一が可愛くて愛しくてしょうがない。
 ついさっきまでの怒りなど、頭からすっかりさっぱり消えていた。
「すまん。俺がぜーーーんぶ悪かったわ。ごめんな?」
 胸に抱き込んだ新一の髪をなだめるようになでながら、平次はあっさり謝った。もともと何で喧嘩になったか分からないようなささいなことなのだ。頭が冷えてしまえば、すぐに折れる。
 というか、このかわいい新一を前にして、たとえ自分が完全に間違っていなかったとしても、折れずにいられるだろうか。いや無理だ。
「ひどいこといっぱい言ってもうて、ごめんな? 本心なんかやないからな?」
「……………………俺も、ひどいこと、たくさん言った」
 平次にこうして謝られると、新一も怒りが消えて、冷静に自分を振り返ればくだらない言い争いをしていたと自覚する。
 それでも、平次のようにすぐに素直に謝罪の言葉を口にできない自分の意地っぱりな性格が、すこしうとましい。ごめん、と、たった3つの音を並べるだけなのに。
「ひどいことなんか、なんも言われてへんよ。無茶苦茶かわいくてうれしいことは、言われたけどな」
「……?」
 平次の言った意味が分からず、新一は首を傾げる。あれだけのひどい言い争いで、うれしいことを言われていると思うなんて、実はマゾなのだろうか、などと思ってしまう。
 新一の言葉は計算でもなんでもなく、思ったことを頭に血が昇るままに言っていただけなので、何を言っていたか自覚がないのだ。
 それはつまりあれは新一の本心ということで、平次はますますうれしくなる。
「工藤はほんまにかわええわ〜。大好きや〜〜」
 ますます強く平次に抱きしめられて、新一の頭にはますます疑問符が浮かぶばかりだ。
 ほんの3分前まで、あれほどの大喧嘩をしていたのに。
 平次に『好き』と言われて、内心かなりうれしがっている自分も自分だ。



 よくわからないけれど。
 やっぱり言葉には、ものすごい『力』があるようだと、再認識してみたりする。


 END