耳かき 平次×新一篇


 なんだか耳がかゆかった。
 それだけと言ってしまえばそれだけのことである。
 平次はなんとなく、耳がかゆかった。耳といっても、外側の部分でなく、耳の穴の中のことである。
(そういえば最近耳掃除しとらんな)
 ふとそんなことを思いついた。
 だから平次は、目の前で、新聞のスクラップ作業をしているこの家の家主に言ってみた。

「なあ工藤、耳かき、あらへんか?」

 その瞬間、キラーン、と新一の目が光ったことに、平次は気付かなかった。
 そんなの知るか、などという感じの反応が返ってくるかと思っていたら、意外にも新一はスクラップ作業の手を休めて立ち上がった。引き出しを探り、そこから耳かきを持って平次に近づいてきた。
「ああ、すまんな」
 耳かきを渡してくれると思って手を差し出した平次の手は、むなしく空を切った。
「え?」
 平次に耳かきを渡さずに、自分で耳かきを持ったまま、新一は平次が座っている3人掛けのソファに座った。
 そして、ぽんぽんと自分の腿を叩いてみせる。
「く、工藤?」
 思いがけないその行動に、平次の思考が混乱する。
 新一の行動が何を指し示しているかはわかる。耳かきを持った新一が、自分の腿を示しているのである。普通考えれば、膝枕で耳かきをしてくれるということである。
 しかしそれを、あの工藤新一が、してくれなどするのだろうか。
 思わず平次は、新一の顔と、その手に握られた耳かきと、指し示されたその腿とを交互に凝視してしまう。
「なんだよ。耳かきすんだろ?」
 自分の顔をまじまじと見ている平次に向かって、新一はもう一度自分の腿をぽんぽんと叩いて促す。
 耳かき耳かき、と繰り返すその声は、ひどく楽しげにはずんでいる。
(こいつ……耳かき好きやったんか?)
 世の中には、かさぶたを見ると、それが他人のものでも自分のものでもはがしたくなる、かさぶた好きの人種がいる。ほこりを見ると、自分の家でも他人の家でも掃除したくなる、掃除好きの人種もいる。

 工藤新一は、他人の耳でも耳かきしたがる、耳かき好きの人種、だったらしい。

 これはなんておいしい。
 思わぬ新事実に、平次はにやりとほくそえむ。
 普段あれほどそっけない態度を取るあの新一が、普通の状態では絶対膝枕などさせてくれないあの新一が、自分から膝を差し出しているのだ。
 断る馬鹿が何処にいよう。いや、いない。
「ほな、ありがたく〜」
 鼻の下を伸ばしながら、いそいそと平次は新一の膝に頭を乗せた。
 すらりとした足は、もちろん女の子に比べれば脂肪のないぶんやわらかみはないのだろうが、それでも張りのある、いい感触だった。なにより、好きな相手の足、しかもふとももである。
(あ〜ええ感じや〜しあわせやな〜〜)
 しあわせとは、思わぬところから思わぬ形で舞い込んでくる物らしい。
 新一に気付かれない程度に、頭を乗せる位置を決める振りをして、腿に頬をこすりつける。あんまりやって、新一の気が変わって蹴落とされても嫌なので、名残惜しいがちょうどよい位置に頭を落ち着かせた。
「じゃ、耳かきするぞ」
 言いながら、新一は平次の耳を軽く引っ張る。
 なにやら楽しげに、新一は平次の耳かきをする。
 耳かきが、微妙な力加減でちょうどよく耳の中をこすってゆく。時折耳かすをはらうためだろうが、耳にふっと息まで吹きかけられる。くすぐったいが気持ちいい。
 もちろん平次はしあわせの絶頂だ。
 まさかこんなことをあの工藤新一にしてもらえる日がくるとは、誰が思っただろう。
(まさか夢とちゃうやろな〜)
 あまりのしあわせに、思わず現実さえ疑ってしまう。夢なら夢で、こんなしあわせでリアルな夢なら大歓迎だ。
「はい、こっちがわ終わり」
 しあわせな時間はあっというまに過ぎてしまうもので、また耳を軽く引っ張って、耳かきが終わったことを新一が知らせた。
 しかし有り難いことに人間には耳がふたつあるので、反対側の耳かきが残っている。
 新一は平次をいったん起こすと、ソファの反対端に移動して座り、さっきとは逆に倒れるように平次の頭を膝に乗せた。
「……さっきのまんま、俺が工藤のほう向いたらよかったんとちゃうの?」
「そうすると、耳自体が穴の上に影作って、耳かきしにくいんだよ」
 さすが耳かき好き。いろいろわかっていたり、こだわりがあったりするようだ。平次はおとなしく従うことにする。
 そして新一はまた耳かきを始める。平次はうっとりとそれを堪能する。
「はい終わり。両方きれいになった」
 最後にふっと、すこし強めに息を吹きかけて、それを合図に耳かきは終わった。
 それでも名残惜しくて、平次は新一の膝に頬をすり寄せた。
「な〜、もう少しだけ、こうさせててや〜」
 甘える平次を、新一は思い切りよく立ち上がって、膝から転がし落とした。
 思いきり力を抜いて新一の膝枕を堪能していた平次は、とっさのことに受け身をとることもできずに、派手な音をたてて床へと激突した。
「甘えんな」
 耳かきが終わった途端、ずいぶんな仕打ちである。
 平次はしたたかに打った肩をさすりながら、床から起きあがった。
 新一は、耳かきをもとあった引き出しに戻しながら、平次に言った。
「また耳垢がたまったら、取ってやるよ」
「え。ほ、ほんまに?」
 平次は肩の痛みも忘れて聞き返した。
「まあ、俺、おまえに爪切ってもらってるし、耳かき好きだし……おまえが嫌なら別にいいけど……」
 言い訳のように、ぼそぼそとつぶやく姿が愛らしい。
「嫌なわけないやろ! 絶対頼むで!! 約束やで!!」
 こうして平次は、『新一の耳かき膝枕付き』というしあわせな約束と権利を手にいれた。
 それから西の名探偵は、どうしたら早くたくさん耳垢がたまるだろうかなどという莫迦なことで、優秀なはずの頭を悩ませるのだった。


 END