妄想劇場 <寝坊>


 ゆるやかな朝日の差し込む部屋で、弁慶が今日使う薬の仕分けをしていると、隣の寝床がもそもそと動いて、寝ていた望美がぼんやりと目を開けた。
「……おはようございます、弁慶さん」
「おはようございます、望美さん」
 いくぶん寝ぼけた声の望美に返事をする。今にも閉じてしまいそうなとろんとした目が可愛いなどと思うのは、弁慶の欲目だ。もつれてはねている髪さえ愛らしいと思うのだから、まさしく重症だ。
 ゆっくりとした動作で望美が寝床から起き上がって、もそもそと身支度をする。服を着替え髪をとかし身支度が済んだら朝餉の準備をはじめる。
 はじめのころは朝餉の準備も先に起きた弁慶がしていたのだが、せめて朝餉くらいは作らせて欲しいと望美が頼んできたのだ。半分寝ぼけているような望美に包丁を持たせるのは危ないとは思うのだが、望美にも妻としての自尊心があるらしく、これだけは譲らなかったのだ。
「弁慶さんは、相変わらず起きるの早いですね」
「そうでもありませんよ。起きたのは君が起きるほんのすこし前ですから」
 土間に立って、湯を沸かし朝餉の準備をする望美の後姿を見つめながら、弁慶はちいさく微笑む。
 望美は朝が弱い。すこし低血圧ぎみだということもあるし、彼女が生まれ育った世界での生活習慣のせいでもあるだろう。もちろんそれだけでなく、前の晩に弁慶に無茶を強いられて起きられないということも多いのだが。
 この世界の普通の家なら、妻のほうが先に起きるのが当たり前なのかもしれない。朝日が昇る前に起きだして、夫が起きる前に身支度を整え、朝の準備をはじめているべきなのかもしれない。
 けれど弁慶は、望美にそんなことを強要するつもりはなかった。それどころか、もしも望美が毎朝早起きをするような娘だったなら、多分弁慶は毎晩薬でも盛っていたかもしれない。
(目が覚めて、そこに君がいなかったら)
 それが弁慶にとってどんなに恐ろしいことか、望美は知らない。
 弁慶はずっと、自分が生きる未来を想像できずにいた。戦いの果てに命を落とすか、運良く生き残ったとしてもまともな暮らしなど出来るとは思っていなかった。ましてしあわせになることなど、なれるとも思わなかったし、なっていいとも思えなかった。
 それが、今はどうだろう。戦の終わった京で、応龍の加護のもと、傍らには愛するものがいる。この現実はしあわせすぎて、ときどき自分が見ている夢なのではないかと疑ってしまう。これは夢で、目を覚ましたら誰もいなくて、ひとりなのではないかと。
 だから、弁慶が朝起きて、まず最初にすることは、自分の腕の中に望美がいることを確認すること。望美をきつく抱きしめて眠り、そして目を覚ましてもまだそこにいてくれることで、このしあわせが夢ではないことを確認するのだ。そうしてやっと弁慶の一日がはじまる。
 もしも目を覚ましてそこに望美がいなかったら、弁慶は気が触れてしまうかもしれない。
「弁慶さんは私を甘やかしすぎです」
「そうでもありませんよ」
 弁慶も土間に降りて朝餉の支度をしている望美を後ろから抱きしめる。
 望美が寝ぼすけでよかったと言ったら、彼女は怒るだろうか。


 END.