妄想劇場 <人参>


 はっきり言って、望美の料理はうまくない。
 特にこの世界に来たばかりのころは、食べたら死ぬんじゃないかと不安になるような物さえ作っていた。もといた世界と調理器具が違い、使い勝手が違うということもあるのだろうが、それを差し引いても壊滅的な料理の腕だった。
 だが、弁慶とこの世界に残ると決めてから、望美は料理の勉強をし、だいぶまともなものが作れるようになってきた。今でも時折、焦げ付いた羹やいびつな形の芋煮が出されることはあるが、食べられないほどではない。
 それに対し、弁慶が文句を言ったことなど一度もない。壊滅的な料理下手だったころから比べれば格段に上達しているし、望美がどれほど努力をしているかも知っている。何より愛妻が弁慶のためにと心を込めて作ったものに、どうして文句などつけられようか。それが泥団子だろうと毒だろうと、笑顔で食して見せるだろう。
 だから、弁慶がそれに気付いたのはつい最近だった。
「望美さん」
「はい。なんですか?」
 弁慶は望美と向かい合わせに座って食事をしながら、彼女に声をかけた。
 今日の夕食は、焼いた魚と煮物だ。ささやかだけれど、あたたかい食事が並べられている。魚はちょっと皮が焦げ付いているが、身はちょうどよい焼き加減になっている。煮物は芋と人参が柔らかく煮付けられている。形はいびつだが、出汁がしっかり染み込んでほっくりと仕上げられている。料理の出来栄えとしては上々だ。だが弁慶にはひとつ気になることがあった。
「この人参なんですが……」
「えっ、私、何か失敗してましたか!?」
「いいえ、とってもおいしいですよ」
 何か失敗してしまったのではと焦る望美に、笑顔を向けてやる。実際、味は申し分ないのだ。気になったのは、味ではなく、形だ。人参の形が、いつもいびつなのだ。芋はだいぶきれいな丸に剥けるようになってきたというのに、人参だけいつも形がおかしい。
 だが弁慶は、それを望美に言うのはやめた。芋剥きが上達したからといって、他の野菜の剥き方もすべて上達するというわけでもないだろう。なにより芋と人参は形が違うから、望美にとっては剥きにくさが違うのかもしれない。食べられないなんてことはないのだし、味はとてもいいのだから、わざわざそんな程度のことを、望美に言うこともないだろう。
「とてもおいしい人参なので、どこで買ってきたのかなと思いまして」
 言いかけたことをごまかすようにそう言うと、望美はすぐに笑顔になった。
「それ買ったんじゃないんですよ。弁慶さんのところに来ている患者さんの、与平さんの奥さんが、畑で取れたものを持ってきてくれたんですよ。今朝とったばかりだから、新鮮なんでしょうね」
「そうですか。ありがたいですね」
「はい!」
 望美の笑顔を見ながら、やはり形のことなど言わなくてよかったと弁慶は思った。人参の形など、どうでもいいのだ。こうして望美が共にいて、笑顔を見せてくれるのだから。
 弁慶は、いびつな形の人参を箸にとって、口へ運んだ。



(びっくりした……気付かれたのかと思った……)
 何気ない顔で碗をすするふりをしながら、望美は人参を口にする弁慶を盗み見ていた。いびつな形の人参が弁慶の口に入れられる。
 本当は、さっき人参の話が出たときに、弁慶に気付かれてしまったかと思ったのだ。でもそうではないらしい。まあ、譲もすでにもとの世界に帰ってしまっているのだから、望美が言わないかぎり、弁慶が知ることはないだろう。
 ハート型、なんてものの存在は。
 いびつな形の人参は、実はハート型に切ってあるのだ。
(ハート型を知ってたとしても、ハート型だと分かってもらえるかはちょっと不安だけど……)
 この世界に型抜きなんてものは存在しないので、当然包丁で切ることになる。不器用な望美ではあの曲線がきれいに出せずに、ちょっとどころではなく角張ったいびつな形になってしまっていて、たとえ譲が見たとしてもハート型と分かってもらえるかはかなり怪しい。それでもあれは、ハート型なのだ。
 人参を夕餉に出すとき、弁慶の膳にだけ、ハート型の人参を。
 我ながら少女趣味だという自覚はある。だから弁慶には内緒なのだ。弁慶があの形を、料理が下手なゆえにきれいに切れなかった結果だと思っているのをいいことに、その形の意味は秘密なのだ。
 またひとつ、弁慶が人参を口に運ぶ。それをこっそり見つめるのが、望美の密かな楽しみなのだ。
 いつかきれいなハート型に切れるようになって、弁慶がその形の意味を疑問に思うようになったら、ばらしてやろう。ハート型というその形と、その意味を。そうしたら、弁慶はどんな顔をするだろう。
 今の料理の腕を考えると、それはもうちょっと先のことになりそうだけれど。


 END.