Fairy tale


 ハインツは、リーゼとともに島国ティバードへ来ていた。ふたりきりの、悠々自適の旅だ。
 外交や交易などで何度も国外に出ているハインツと違って、ずっと田舎町で暮らして国外へ出ることがはじめての彼女にとっては、見るものすべてが新鮮で面白いようだ。
 今も、ふたりで買い物に出た市場で、露店の店先に並べられた、見たこともない色鮮やかな実を、指先でつつきながら不思議そうに眺めている。
「わあ、見てください、これなんでしょう?」
「それは果物だよ。見た目はトゲトゲしてるけど、割ると中にはやわらかくて甘い果肉が入ってるんだ。この国の名物のひとつでね、よくジュースなんかにも加工されてるんだよ」
「ふわ〜。ハインツさん、物知りですね〜」
「うん、お店で扱ってた品物は、国外のものも多かったからね。一個買って食べてみる?」
 適当な大きさの実をひとつ買って、露店の主人に頼んで割ってもらうと、中からは甘い汁をたっぷり含んだ果肉が出てくる。
「さ、どうぞ、リーゼちゃん」
「あ、ありがとうございます……」
 はじめて食べる物に、恐る恐るといった感じでひとかけら口に運んだリーゼだったが、口に入れた瞬間に、その瞳が輝いた。
「甘い! おいしい!」
「だろう? うちの国じゃあんまり知られてなかったんだけど、これオススメなんだよ。でもこれ、輸送してる間に傷むことが多くて、あんまり扱ってなかったんだよね」
「そうなんですか、もったいないですね」
「あっちの店にある果物もオススメなんだよ。行ってみようか」
「はい!」
 ハインツが手を伸ばせば、当然のようにリーゼはその手を取ってくれる。その白く細い指を自分の指に絡めて、離れないようしっかりと握り締める。
 珍しいものに目を輝かせて喜ぶリーゼの姿を見ていると、ハインツも自然と笑みが浮かぶ。はじめて逢った日の彼女からは考えられない笑顔。それが今、ハインツの目の前にあり、手を伸ばせばいつでも触れることが出来る。なんて、しあわせなのだろう。
(きっと、あのひとも、そう思っていた)
 しあわせを感じるほどに、同時に脳裏をよぎるのは、白い姿だ。『きっと』なんて仮定の話ではない。彼女と共にいたとき、あのひとはしあわせだった。今の自分と同じように。あるいはそれ以上に。
「あ、この本!」
 不意にリーゼが本屋の前で立ち止まった。店先に並べられていた、色鮮やかな本に目を奪われたようだ。
「懐かしい〜。このお話、よくママに読んでもらったんですよ。こっちにも、こういう絵本があるんですね」
 かわいらしい絵柄と明るい色彩の、大判の絵本。子供向けの古典的なおとぎ話だ。シュヴァルトラントで発行されているものとは違うが、絵柄を見れば同じ話なのだとすぐに分かる。
「そうだね、これは有名なお話だしね」
 国柄による多少の差異はあっても、おとぎ話など大体同じだ。王子様とお姫様が出逢って、困難を乗り越えて結ばれる。そして最後は、ふたりはいつまでもいつまでもしあわせに暮らしました、で締めくくられる。あどけない、しあわせな夢物語。
「あっ、ハインツさん、新聞にエルフリーデ様が載ってます!」
 リーゼが指差したのは本の横に並べられていた新聞だった。そちらに目をやれば、おとぎ話ではなく、現実のお姫様の肖像画が目に入る。
 一面ではないけれど、そこそこ大きな記事として、シュヴァルトラントの姫君の婚約の話が載っていた。見目麗しいシュヴァルトラント王家の王子や姫は、他国でも格好の話のネタなのだろう。興味を惹かれたようで、リーゼは真剣にその記事を読んでいる。
 そんな新聞など見なくても、ハインツはもうその話を知っていた。新聞などよりももっと詳しく。かつての人脈は健在だ。定期的に、国の──王家や主だった貴族の情報がハインツには入ってくる。そして──塔にいる、あのひとのことも。
「エルフリーデ様、お隣の国の王子様と、ご婚約されたそうです。お見合いパーティなんて憂鬱だっておっしゃってましたけど……」
 記事を読みながら、リーゼはわずかに顔を曇らせる。かつてリーゼはエルフリーデと親しくしていた。身分の差を越えて、友と言っても差し支えないほどに。彼女は、かの姫君が、本当は王家を出たいと思っていたことを知っている。
 記事には誕生パーティで王子が姫を見初め求婚したなどと書いてあるが、そんなことは嘘で、ただの外交がらみの政略結婚だということはみんなが分かっている。まともな恋のひとつもしないうちに、他国に嫁がされるのはかわいそうだと思うが、それが王族の義務であり責任であり仕方のないことだ。
 ──そう、仕方のないこと、なのだ。おとぎ話のようには上手くいかない。
 聡明な姫は、国の安定のため、他国に嫁ぐことを決めた。
 誠実な皇太子は、みんなの期待に応えるため、病床の国王に代わり国を治めている。
 優しい弟王子は、兄の補佐となるために、勉学に励んでいる。
 皆、王族に生まれた運命をわずらわしく思いながら、望まぬ道だったとしても受け入れている。
(あのひと、も)
 それでいいと──彼女のしあわせのためならそれでいいと、何もかもあきらめて──。
「ハインツさん?」
 リーゼの声に、現実に引き戻される。ぼんやりしていたハインツを、リーゼが覗き込んでいる。
「ああ、ごめんね。ちょっとぼんやりしちゃってたよ」
 その言葉に、リーゼはちょっと頬をふくらませる。ハインツは、何故彼女がそんな顔をするのか分からない。
「リーゼちゃん?」
「そりゃあ、エルフリーデ様は綺麗できらきらしてて素敵ですけど、でももうご婚約されたんですよ」
 すねるようなその言葉に、目を丸くする。ハインツがぼんやりしているのを、姫のことを想っていると思ってやきもちを焼いたらしい。そのかわいらしい姿に、自然と笑みが浮かぶ。
「エルフリーデ様のことは昔から知ってるけど、姫様にそんな感情を持ったことなんてないよ。俺が好きなのは、リーゼちゃんだけだよ」
 ハインツが想うのは、リーゼただひとりだ。はじめて逢ったあの日から、ずっと。救いたいと思い、しあわせにしたいと願い、笑顔を見せて欲しいと祈った。
 それらはすべて叶い、今ハインツの隣にはリーゼがいる。
「リーゼちゃん」
 その華奢な腰に腕を回して、軽く抱き寄せる。リーゼの耳元にそっとくちびるを寄せてささやいた。
「『お薬』が、欲しいな」
「……っ」
 その言葉に、リーゼは頬を真っ赤に染めた。



 なめらかな肌に手を這わせ、くちびるを寄せる。雪深い村で育ったせいか、リーゼの肌は透き通るように白い。だから軽く吸い上げるだけで簡単に赤い痕がつく。
「リーゼ」
「あっ……」
 ハインツが触れるたび、怯えるように身を震わせて、それでも快感に染まった肌が反応を返す。その姿をもっと見たくて、もっと触れたくなる。白い肌にいくつもいくつも赤い痕を残して、埋め尽くしてしまいたい。
 リーゼはハインツの『薬』だ。ハインツをしあわせにしてくれる特効薬。怖い夢を見ないように、つらい過去に飲み込まれてしまわないように、助けてくれる大事な薬。けれど最近、薬の用途がもうひとつ増えた。
 ハインツにとってリーゼは中毒性のある甘い媚薬だ。欲しくて欲しくてたまらなくなる。
「あっ、ハインツさん──」
 胎内に深く指を入れると甘い蜜が絡み、奥へ奥へと誘うようにうごめく。
 行為にまだ慣れずに、戸惑ってハインツにしがみつくのに、無意識に揺らされる腰は、どこをどう触れられたら気持ちいいのか分かっていて、そこへ誘うようにしている。かわいらしい媚態に、ハインツは指を動かすのを止め、リーゼの顔を覗き込んだ。
「どうして欲しい?」
 熱を含んだ、甘く低い声で問いかける。
「──っ」
 ハインツを求める言葉をわざと言わせようとしているのだと悟って、リーゼの頬が赤く染まる。
 胸から腹にかけて、いくつもついている赤い痕を指先で軽くたどっていく。敏感になっている肌は、これだけの刺激でもつらいのだろう。リーゼは触れられるたびに上げてしまいそうになる声を抑えるために、自分で口元を覆う。
 真っ赤に染まった耳にくちびるを寄せて、甘噛みしながらもう一度問いかける。
「どうして欲しい?」
「ハインツさん、意地悪です」
 快感と羞恥で潤んだ瞳でにらまれても、効果がないどころか煽ることにしかならないと、少女は気付いていないのだろう。ハインツは引き寄せられるように、涙をにじませるまなじりにくちづける。
「意地悪なんかじゃないよ。俺はただ、リーゼちゃんの願いを叶えてあげたいだけだよ」
「──それなら、ハインツさん言ったじゃないですか。口に出さなくてもその人の望んでいることを汲み取って、それを叶えてあげるのが、ハインツさんの優しさだって」
 思わぬ反論に、ハインツは目を丸くする。かつて自分が言ったことを、こんなところで使われるとは思わなかった。
 過ぎる快感と羞恥に震えながら、体の中に渦巻く熱を持て余して、けれどまだ経験の浅い少女はそれを口にすることもできずにいる。言葉にできない代わりに、普段は幼ささえ感じる双眸に情欲をにじませて、ハインツを見つめている。
 これが割り切った大人同士の駆け引きなら打つ手もあるのに、愛しい少女相手では白旗を揚げて降参するしかない。本当は、欲しくて欲しくてたまらないのはハインツのほうだ。そんなかわいらしい姿を見せられて、我慢なんてできるわけがない。大人ぶって余裕を見せようとしても、リーゼの言葉ひとつ表情ひとつでたやすく箍を外されてしまう。
「ああそうだね。ごめんごめん」
 リーゼの頬に、ちいさなキスをひとつ落とす。もう一度中心に触れれば、待ち望んでいた刺激に、ハインツの指を濡らす。
「ん──」
 甘い吐息が耳元を掠めれば、もうハインツの我慢も限界だった。リーゼの細い腰を掴み、一気にねじ入れる。
 細い悲鳴がリーゼのくちびるから漏れ、すがるようにハインツの背に回されていた腕の力が強くなる。それでも、やわらかくほぐされた少女の胎内は、ハインツを受け入れ締め付けてくる。
 激しく突き上げながら、何度もくちづける。悦楽と幸福で眩暈がする。今だけは、脳裏を掠める白い魔法使いの姿も振り払って、ただリーゼだけを求めてその体をむさぼる。
 本当なら、もっとリーゼのことを考えて、優しく抱いてやるべきなのだろう。年齢からいっても経験からいっても、ハインツが配慮してやるべきだ。もちろんハインツだって、愛しい少女に乱暴したり傷つけたりする気は毛頭ない。けれどいつも、途中で余裕をなくしてしまう。そんなハインツを、リーゼはいつだってたどたどしく、けれど優しく受け入れてくれる。
 大切な大切な、ハインツの『薬』。愛しい少女。
「リーゼ……っ」
「あっ、あ──」
 思考が焼き切れるように、絶頂へと向かっていく。ひとつに溶け合うような感覚に溺れる。リーゼの爪が背中に食い込む痛みさえ、甘い快楽になる。
 ハインツは、少女の華奢な体を抱きしめながら、その最奥に欲望のすべてを放った。



 傍らにあるぬくもりが心地よい。疲れた体をベッドに横たえて、ハインツの腕の中にはリーゼがいる。抱き合っている最中のような激しさの代わりに、暖炉に手をかざすような穏やかな熱が体を満たしてくれる。
 今はもう、ハインツが怖い夢を見ることはない。黒い谷の夢を見るかもしれないと、怯えることもない。たとえ夢を見ても、このぬくもりが助けてくれる。リーゼがいてくれる。
 夢に怯えることはなくなったけれど──。
 ハインツは、腕の中でまどろんでいる少女の髪にくちづける。
「リーゼ」
「はい?」
 どこか寝ぼけているような、夢を見ているような声が返る。──少女はしあわせなまどろみの中にいるのだろう。ずっと、ずっと。
 昼間見た、色鮮やかな絵本を思い出す。
 リーゼが傍にいてくれるこの世界は、おとぎ話のようにしあわせで、儚くて。
 だけどきっと、王子様とお姫様はずっとずっとしあわせに暮らしました、なんて結末にはなれない。
 ハインツは知っている。今のこのしあわせが、哀しい真実と優しい嘘で成り立っていると。いつもいつも怯えている。いつ魔法が解けてしまうのか、この世界が終わってしまうのか。今がしあわせであればあるだけ、怖くなる。
 脳裏をよぎるのは、白い姿。そして、はじめて出逢った日のリーゼ。
 しあわせなおとぎ話が終わって、哀しい真実に目覚めたとき、リーゼはどうなるのだろう。ハインツは、どうするのだろう。──どうすれば、いいのだろう。答えなど、何ひとつ見つからない。
 ハインツは、リーゼを抱き寄せて、抱きしめた。リーゼが驚いたように腕の中で身じろぐ。こんなに力を込めては、きっと苦しいだろう。けれどハインツは腕の力をゆるめることができなかった。
「リーゼ。どうか、覚えていて。いつか『今』が『もしも』になってしまったとしても、俺は、君を愛しているよ」
「ハインツさん?」
 願うことは、魔法が永遠に続くこと。優しい嘘の世界が壊れないように、愛しい少女の笑顔が消えないように。もしそれが叶うのなら、ハインツはなんだってするだろう。
 怯えるハインツをなだめるように、リーゼがそっとハインツの背を撫でながらささやく。
「私はずっと、ハインツさんの傍にいます」
「うん、ありがとう──」
 この世界が、たくさんの嘘と多くの人の哀しみで成り立っているとしても。他の誰かを傷つけるとしても。いつか終わりが来るとしても。
 ただひとり、愛しい少女を抱きしめて、ハインツは願う。
 しあわせなおとぎ話が、永遠に続くようにと──。


 END.