ズルイヒト


「お前は、ずるいよ」

 彼は私に向かってそう言った。

「お前は、俺がやろうと思って、苦労しながらなんとかやっていることや、結局できないことを、なんの苦労もなくさらりとやってのけちまうんだからな」

 それはまだ学生時代のことで、たしかレポートの採点のことだったと思う。
 彼はずいぶんと熱心にその授業にもレポートにも取り組んでいた。彼が何冊もの専門書や資料に囲まれながら、そのレポートを書いているところも見た。
 一方、私も同じ授業を取りレポートを出したのだが、そのとき私は例によって例のごとく、ある新人賞に応募する作品に夢中になっていて、レポートはその片手間に書いた、失格覚悟のものだった。
 けれど結局、彼のレポートより、私のレポートのほうが、評価が高かった。
 おそらくは、その教官の考え方と私の考え方が近かっただけであり、彼はレポート自体はよくても、考え方が教官とあまり合わなかったとか、そんなことだったのだろう。
 どちらにしろ、ふたりとも単位はもらえたのだし、その評価に不服を申し立てに行くこともなかったのだけれど、彼は、皮肉をたっぷりこめて私に言った。

「お前は、ずるいよ」

 そう、私はずるいのかもしれない。
 彼が切望して、苦労しながらやっていることや、結局出来なかったことを、私はいつだって彼の目の前で難なくやっていた。

 たとえば、泣いたり笑ったり、感情を隠すことなく人にさらしたり。
 誰かを本気で愛したり。誰かから本気で愛されたり。
 誰かを無条件で信じたり、信じてもらえたり。

 けれどおそらくは、私のそのずるさに、彼は惹かれていた。
 人を寄せ付けない彼が、私にだけ傍にいることを許したもの、私が彼にとってずるい人間だったからだろう。

 だから、私はずっとずるい人間でいたかった。

 そんなことでしか、彼の興味を引くことができなかった。
 そんなことでしか、彼の傍にいる権利を得ることができなかった。
 そんなことしか、できなかった。

 私は、いつも彼の目の前で、彼が切望しながらそれでもできないでいたことを、さらりとやってのけた。
 泣いたり笑ったり、愛したり愛されたり、信じたり信じられたり。

 ……ひとを、殺したり。

 それだけが理由だと言ったとき、彼は、またあの皮肉げな笑い顔のまま、けれど少しだけ震えた声で言った。

「……やっぱり、お前はずるいよ」

 そう、やっぱり私はとてもずるくて、そうやって彼の記憶に永久にとどまることに成功した。
 そんなことでしか、彼の記憶にとどまることができなかった。
 ……それが、ひどく彼を苦しめることだとわかっていたのに。

 私は、ずるくて、愚かで、卑怯だった。
 そして、彼が好きだった。
 すべては、それだけのことだった。


 END