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深夜、ナルトは一人、巻物に向かっていた。
修行しようとは思うものの、巻物の内容は一向に頭に入ってこない。だったら早く寝たほうがいいとは思うのだが、もともと眠れなくて、しかたなく巻物を開いてみたのだ。
両親も保護者もいないナルトは一人暮らしだ。夜遅くまで起きていても、叱ってくれる相手はいない。
いつもなら、叱る者がいなくても、明日の任務のために、ナルトは早々に寝ている。だが、明日は任務がない。明日だけではなく、明後日も、その次も、次も。正確に言うなら、『ない』のではなく『決まっていない』のだが。
現在7班は、機能停止状態にある。サスケはすでになく、サクラは謹慎処分を受けている。
(サスケ……サクラちゃん……)
これから、どうなるのだろう。ナルトには、先がまったく見えなかった。それは、班としての活動だけでなく、忍びとしての生き方もそうだ。
ここ最近の出来事は、ナルトの心を揺らしていた。
火影になるという夢は変わらない。自分の忍道も、この胸にある。だがそれは、叶うものなのだろうか。甘い、子供の夢でしかないのではないだろうか。たとえばナルトが火影になれたとして、誰かを救うことができるのだろうか。サクラのように誰かが泣くのを、サスケのように誰かが死ぬのを、とめることができるのだろうか。ナルトが火影になりたいと思うのは、ただ里人に自分を認めさせたいだけの、エゴではないのだろうか。
(俺は──)
物思いにふけっていたナルトは、ふと扉の外にかすかな気配を感じ、顔を上げた。
(誰だ?)
扉の向こうに、誰かがいる。
上忍ほどにもなれば、気配だけで相手を見分けることができるというが、ナルトにはまだそれほどの力はない。
普通、九尾であるナルトに近づこうとする者は少ない。ナルトは里人から忌み嫌われ、避けられている。親しくしてくれたのは、火影やイルカなどほんの一握りだ。最近は下忍仲間や何人かの上忍とも親しくなったが、まだまだそれも少ない数のことだ。
一体誰が、来たのだろう。ナルトは警戒感を強める。
気配はしばらくためらうようにドアの前を行き来したあと、小さなノックの音がした。
「……誰だってば?」
気配に、悪意も殺気もない。だが油断はできない。
「あ……あの……」
聞こえた小さな声に、ナルトは勢いよく扉を開けた。
扉の外には、よく見知った同級生の少女が立っていた。
「ヒナタ?」
「こ……こんばんは、ナルトくん」
「ヒナタどうしたんだってば、こんな遅くに」
いくらくのいちとはいえ、女の子が一人で出歩く時間ではない。
「あ、あの……私、ナルトくんに、話が……あって」
「俺に?」
ナルトは首をかしげる。ヒナタが、こんな時間に家を訪れてまでナルトに伝えなければいけない話というのが何も思いつかなかった。
「とりあえず中入れってば」
「うん……ありがとう」
中に招き入れてみたものの、ナルトの部屋にまともな来客用の用意などない。ヒナタを、壊れかけたダイニングの椅子に座らせると、夕食を食べ散らかしたままのテーブルを急いで片付けて、いつも使っているガラスコップに、賞味期限ぎりぎりの牛乳を注いで出す。その程度のことしかできなかった。
「それで、話ってなんだってば?」
「う、うん……ナ……ナルトくん、あのね」
ナルトが促すとヒナタはいつものように小さな声で話しはじめた。
「わ、私、……任務に、行くことになったの。……その、……」
言いにくいのか、ヒナタは言葉を途切れさせる。
「任務?」
「……うん」
任務など、ほぼ毎日行っているはずだ。わざわざそんなふうに言う必要はない。ということはいつもの任務ではないのだろう。
──ヒナタに与えられた、いつもとは違う任務。
そう考えれば、なんの任務かは容易に想像がつく。……色の、任務。くのいちとして、その身体を使っての任務。
「そっか……」
ヒナタだってくのいちだ。当然そんな任務を与えられることもあるだろう。だがヒナタはますます声を小さくして、耳まで赤く染めながら言葉を続けた。
「私、……はじめてなの」
「え?」
ヒナタの声は消え入りそうに小さくて、ナルトは訊き返した。
「その、私……しょ……処女、なの」
「……え?」
今度は言葉が聞こえなかったわけではなく、その内容が信じられなくて、ナルトは訊き返してしまった。
アカデミーでは、くのいちクラスには必修で色の授業がある。そして『実践訓練』もさせられるときいている。仮にも下忍に名を連ねているヒナタが、処女であるとは──。
ナルトの考えを読み取って、ヒナタがうつむきがちに小さく言う。
「今は違うけど、私……前まで、日向家の跡取りだったから」
その言葉に、ナルトは納得する。
里においてもアカデミーにおいても、遺伝で伝えられる白眼を持つ『日向』の跡取り娘は、特別扱いだったのだろう。だが、ヒナタが跡取りではなくなった今、さっそく使えるものは使えという、里の方針なのだろう。
「……私、ね」
ヒナタはうつむいていた顔を上げて、まっすぐにナルトを見つめた。
「────ナルトくんが、好きなの」
小さな声で、けれどいつものように途切れたりはせずに、はっきりと告げられた言葉。
ナルトは驚いたように目を見開いてヒナタを見つめた。引っ込み思案でおとなしい彼女が、任務を前に、ナルトのもとに訪ねてきた理由を理解して。
(一度でいいから、好きなひとと、したかったの)
そう言って泣いたのは、桃色の髪をした、ナルトの大好きな少女だ。小さな肩を震わせて、ずっと泣いていた。ナルトはそんなサクラに何もできなかった。慰めの言葉一つ、見つけられなかった。
そして今、ナルトは何をしてやれるんだろう。
任務を前に、ナルトのもとへやってきたヒナタに、何をしてやれるんだろう。
ナルトは人の愛し方を知らない。
それは単純に、セックスの仕方を知らないという意味ではなくて。
──生まれてからずっと、里人に忌み嫌われて生きてきた。
『近づくな』
『おまえなんか死んでしまえ』
『疫病神』
『化け物』
『おまえさえいなければ』
毎日のように投げつけられた言葉は、よく研がれたクナイのように、ナルトの心に突き刺さった。だけど傷ついたその心を癒してくれる人はいなかった。
それでも必死に生きてきたけれど。
ナルトは今まで愛されてこなかったから。
──愛し方を、知らない。
ヒナタを抱くことは、やろうと思えばできるだろう。そんなのは、突っ込んで腰を動かして精液を吐き出すだけだ。獣にだってできる。
でも今ヒナタに必要なのは、同じ行動でも、それとは違うものだ。ナルトは、ヒナタをちゃんと愛することができるだろうか。救うことができるだろうか。
「……ヒナタ。俺は」
ナルトの視線は、テーブルの上をさまよう。いつも元気な声は、どこか力なく吐き出される。
「俺は、ヒナタも知ってっと思うけど、里ん中で、すげー嫌われてんだ。親もいなくてさ、まともに相手してくれたのは、火影のじっちゃんとかイルカ先生とかそれくらいで……。下忍になってからは、カカシ先生とかサスケとかサクラちゃんとか、仲間もできたりしたんだけど、でもやっぱり俺は……里の嫌われモンで……。だから、よくわかんねーんだ。好きとか、愛してるとか、そういうの」
『イルカ先生大好きーーー!!!』
『サクラちゃん大好きーーー!!!』
『カカシ先生大好きーーー!!!』
どんなに頑張ってみても、ナルトに分かる『好き』というのはその程度の感情までで、ヒナタが告げるような『好き』を、理解することはできないのだ。
そんなナルトに、ヒナタを救うことができるのだろうか。
「俺はヒナタのこと好きだけど、でも、それはヒナタが言ってる『好き』とは違うだろうし……、ヒナタのこと助けたいって思うけど、やっぱり俺なんかじゃ、何にもできないのかも知れない」
仲間が死んだときも、好きな女の子が泣いているときも、何もできなかった。
火影になりたいと思っても、自分の忍道を貫くと誓っても、結局のところ今のナルトは、何もできない子供でしかなくて。
自分の無力さを感じて、ナルトは顔を上げることができなかった。
二人の間にほんの少しの沈黙が落ちたあと、ヒナタが言った。
「……やっぱりナルトくんは、優しいね」
その言葉に、ナルトはうつむいていた顔を上げてヒナタを見た。
ヒナタは微笑んで、ナルトを見つめていた。いつも照れて目が合うとすぐそらされていた視線は、今は外されることなく、まっすぐにナルトへと向かっていた。
「ナルトくんは、優しいよ。強くて、優しいよ。そんなナルトくんが、好きなの。他の誰でもなくて、私は、ナルトくんが好きなの」
ヒナタはナルトへと、そっと手を伸ばした。
「だから私は、ナルトくんがいい」
ヒナタの手を取って、そっとベッドへと導いた。
ナルトの家に上質なものなど何もない。それはベッドも同じことで、足の折れそうなベッドに薄い布団が一枚ひかれているだけだ。
その上に、向かい合わせに座って、上着のボタンをぎこちなく外していく。だんだんとあらわになる白い肌に、目を奪われた。
正しくはどうすればいいのか分からないままに、ナルトは吸い寄せられるように、ヒナタの白い首筋に唇を落とした。そこに感じるやわらかさと甘さは、性的な快感よりも、母親を思わせるような安堵感を感じさせた。
幼児が何でも口に入れてしまうのは、唇の感覚が一番発達しているからで、そして産まれてはじめて感じた母親の乳房の感触を探しているのだという。多分この行為は、それに近いのだろう。
たどたどしく、何かを探すように、探るように、ナルトはヒナタに触れていく。
「ナルトくん……ナルトくん……」
「ヒナタ、ヒナタ」
色に長けた大人たちが見たら、子供の戯れだと、子猫がじゃれあっているような行為だと、笑われるのかもしれない。それでもナルトたちには今それが必要で、それが精一杯だった。
ひどく長い時間をかけてたどたどしく触れ合ったあと、ナルトはヒナタを貫いた。はじめて他者を受け入れるヒナタの膣は狭く、それ以上に緊張のためか、硬く閉ざされていた。それでも無理矢理中に入り込めば、ナルトを優しく包み込んだ。
自分の肉棒を中に埋め込んで一息ついたとき、ナルトは、自分の下で、ヒナタが小さく震えていることに気付いた。
「ヒナタ、痛いなら」
「違う……違うの」
ヒナタはかぶりを振った。そろえられた黒髪が、パタパタとシーツにあたる。
ぎゅっと、ヒナタがナルトにしがみついた。その身体が、はっきりと分かるほど震えている。
「ナルトくん……怖いよう……」
消え入りそうな小さな声で、こぼされたのは弱音。
今まで抑えられていた、本音。
こぼれていく涙は、痛みからではなくて。
「ヒナタ」
ナルトは震えるその身体を抱きしめ返した。
ヒナタの任務内容がどんなものか、ナルトは具体的に知らない。守秘義務があるから、内容を聞くこともできない。だが、容易に想像はついた。
紅のように妖艶で色に長けた女なら、敵忍を誘惑して虜にすることも可能だろう。だが、色の教育を受けていない、処女のヒナタにそれは無理だ。だとすれば、使えるのは──囮(おとり)。
ヒナタは囮として敵忍の中に放り込まれるのだろう。
紅のようなくのいちが相手なら、当然色を仕掛けてくることも予想して、敵は警戒するだろう。だが、ヒナタのように何も知らなそうな娘なら──実際何も知らない娘だ、忍びは相手が色に長けているくのいちかどうか、見極める力も訓練される──色を仕掛けられているわけではないと知って、きっと敵は、それが罠とも知らずに、心行くまで輪姦による拷問を楽しむのだろう。
そして、敵がそれに気をとられているうちに、他の忍びが任務を遂行する。だいたいそんなところだろう。
これからこの身体は──心も、傷つけられ、踏みにじられる。
それでも、逃げられはしない。逃げることは、許されない。
どうしてその任が、ヒナタに与えられたのだろう。
もっと、色に慣れた者なら。ああ、違う。ヒナタだからこそ、だ。
色を知らないヒナタだからこそ、この役ができる。
まさに適任を、里は選んだのだ。
震えるヒナタがすこし落ち着くのを待って、ナルトはそっと身体を離した。
そっと頬に触れる。
「ヒナタ、ちゃんと目ぇ開けて」
ゆっくりと、ヒナタの瞳が開かれる。
日向特有の、白い瞳。その中に、ナルトが映される。
「ちゃんと見てて。ちゃんと覚えてて。今ヒナタを抱いてんのは、俺だから」
「……ナルトくん」
ナルトに何ができるのか、ヒナタを救えるのか、そんなことは分からない。こうして抱き合うことに、意味があるのかさえ。
それでも、この小さな肩に降り積もる哀しみを、ひとかけらでも溶かせればいい。そう願った。
ゆっくりと、ヒナタを気遣いながら腰を動かせば、そこから快感と熱が伝わる。
「ん……っ、ヒナタ……」
「っあ……ああん……、ナ、トく……」
狭いベットが、壊れそうに軋みをあげる。溶けてしまいそうな感覚に、必死で追いすがる。 波のように伝わる快感に捕らわれて目を閉じそうになりながら、それでも必死でナルトはヒナタを見つめていた。
ヒナタも、ナルトを見ている。
忘れないように、間違わないように。
この行為に意味なんかなくても、何にも残らなかったとしても。
朝靄に白く染まる川沿いの道を、手をつないで歩いた。
これから任務に向かうヒナタに何を言えばいいのか分からなくて、ナルトはずっと無言のままだった。ヒナタも何も言わない。ナルトが言葉を探して視線を何気なく足元に落としたとき、ふと、それを見つけた。
ナルトはかがんで、足元のそれを取った。
「ナルトくん?」
「ヒナタ。これやるよ」
不思議そうな顔をしているヒナタに、手を差し出す。
握られているのは、朝露に湿っている、ちいさな四葉のクローバー。それが幸せを呼ぶなんて、ただの迷信でしかないのだろうけれど。こんなものしかあげられないけれど。
「ありがとう、ナルトくん」
嬉しそうに微笑んで、ヒナタは大切なもののようにクローバーを受け取った。
「ナルトくん、もうここまででいいよ」
下忍のDランクならともかく、大抵の場合は任務の出発地、出発時間なども秘密にされる。 これから任務に向かうヒナタに、これ以上ついていくわけにはいかなかった。
そっと、握っていた手が外される。
「ヒナタ、負けんなよ」
「うん」
掠めるように、ヒナタはナルトの頬にキスをした。
そして、消えそうな小さな声で、ささやいた。
「あのね、ナルトくん。──────」
ナルトがそれに何かを答えるより早く、ヒナタは身を翻すと、朝靄の向こうに駆けていった。
家に戻ってきたナルトは、ぐしゃぐしゃのままのベッドに寝転んだ。
ヒナタのにおいが、まだ残っている。それに身を任せるように、そっと目を閉じた。
さっき別れ際の、ヒナタの言葉を思い出す。
あのね、ナルトくん。
私が帰ってきて、それでもナルトくんがいやじゃなかったら。
────私、一緒にいても、いいかな?
多分、何かは変わってしまうのだろう。
任務から帰ってきたヒナタは、きっとこのベッドにいた彼女ではない。何も知らなかった頃のままではいられはしないから。
それでも、ヒナタが帰ってきたら、一緒にいたいと思った。
そうして、彼女と一緒になら、見つけられるような気がした。大切な何かを。
今までナルトが持っていなかった、大切な何かを。
ずっと独りぼっちだった。
誰にも愛されなかった。
人の愛し方さえ、知らなかった。
でもこれからは、きっと。
「ヒナタ、早く帰ってこいってば」
ヒナタが帰ってきたら、変われるような気がした。
────ヒナタは、帰ってこなかったけれど。
END.