リバーシブル・エッジ 5


「15分休憩!!」
 時間を見計らい、手塚は声を張り上げた。よく通る声が、テニスコートに響く。
 その途端、安堵にも似た溜息がそこここから上がった。コートを出て水飲み場に行く余力もなく、その場にへたり込む部員も何人もいる。球拾いをしているだけの1年生ですら、もう動けないとばかりにへたり込んでしまう姿がそこここに見られた。
「あ〜やっと休憩だ〜〜!!」
「乾先輩、メニューきつすぎっすよ」
 カラーコーンへボールを当てる練習を続けていた菊丸と桃城も、転がるようにコートに座り込んだ。
 いつも厳しい練習ではあったが、今は目前の地区予選に向けて、いっそう熱が入っていた。
 当然のごとく、レギュラー陣は一般部員よりさらに厳しい練習メニューを与えられている。そのうえ足には重りとなるパワーアンクルまでつけているのだ。さすがのレギュラー達も、厳しい練習に、少々バテ気味のようだ。それでも、乾に文句は言うものの、練習に手を抜いたり本気で嫌がったりしない。誰もが真剣に練習に取り組んでいた。
 全国を目指す心は皆同じなのだ。見える努力も見えない努力も、誰もが惜しんではいなかった。
(今年は、こいつらとなら、きっと)
 決して言葉にしたり、はっきり分かるほど表情に表われることもないが、そんな部員達を手塚は内心心強く思っていた。きっと彼らとなら、望む頂上へ駆け上がることが出来るだろう。
 ふと手塚がコートを見渡すと、すこし離れたところに、リョーマがフェンスにもたれて座っているのが見えた。さすがに彼もだいぶ疲れているようだった。それでもちいさな身体で、必死にレギュラーの練習をこなしている。負けず嫌いで勝気なところは、あのころと変わっていない。
 いつも一緒に遊んでいた、あのころと。
(……リョーマ)
 リョーマがレギュラーになって、すでに数日経つ。
 当然接触する機会は何度もあった。言葉だって何度か交わしている。だがそれらはすべて、『先輩と後輩』として、あるいは『部長と部員』としてで、なにひとつ私的な言葉は交わしていなかった。
 部長としてのけじめはつけなければいけないから、部活中に意味もなく話しかけることは出来ないけれど、たとえば部活が終わった後や、他のときに、リョーマと話が出来ればと、手塚はずっと思っていた。
 昔と同じように仲良くすることは無理でも、すべてを許してもらうことが出来なくても、それでもせめて、話くらいは。
 そう思うのに、手塚はリョーマに話しかけられずにいた。
 何を言えばいいのか分からない。話などしたくないと拒否されるかもしれない。『5年前』のことを、責められるかもしれない。そんなことを考え出すと、リョーマに話しかけられなくなってしまうのだ。
(俺は、情けないな)
 他には分からないように、ちいさく溜息をつく。
 地区大会はもう目前だ。そのあとには都大会、関東大会、そして全国大会と、ほぼ間を置かずにつながっている。出来ることなら大会がはじまる前に、すこしでもリョーマと話をしておきたかった。
「リョーマ君」
 不意に、リョーマを呼ぶ機嫌のよさそうな声が耳に飛び込んでくる。
 同じレギュラーのひとりである不二だ。不二は手塚の前を横切って、リョーマのもとへと近づいていった。
「なんすか、不二先輩」
「はい、牛乳。乾からもらってきてあげたよ」
 不二はリョーマに、手に持っていた牛乳ビンを差し出す。それを見て、リョーマは露骨に嫌そうな顔をする。
 身長を伸ばすためにと、リョーマには練習メニューと共に、毎日牛乳2本が課せられていた。だがリョーマは大抵の子供がそうであるように、あまり牛乳が好きではないのだ。
「駄目だよちゃんと飲まなくちゃ」
 優しく諭すような不二に、リョーマは嫌そうな顔をしながらも、差し出されている牛乳を受け取って、それを一気飲みした。風呂上りの牛乳の一気飲みとは違って、嫌なものは味を感じる前に早く胃に流し込んでしまおうという飲み方だ。
 数秒もしないうちに牛乳ビンをカラにして、そのあきビンをまた無言で不二に押し付ける。とても先輩に対する態度ではないが、不二は気にした様子もなくそれを受け取る。あの不二がそんなことを許容するなんて、意外と言うよりも不思議な光景だった。
 牛乳の後味が嫌なのか、口元を袖でこすりながら、リョーマは甘えるように、上目遣いに不二を見上げた。
「不二先輩。口直しにファンタ買って」
「うんいいよ。じゃあ一緒に買いに行こうか」
 リョーマの可愛いわがままに不二は破顔して、わざわざ手を差し出してリョーマを立ち上がらせると、一緒にコートの外の自販機のほうへと向かっていった。並んで歩く姿はべたつくというほどではないが、その手はさりげなくリョーマの背中に添えられている。
(…………)
 手塚は、不二と並んで歩くちいさな背中を、彼らが角を曲がって見えなくなるまで目で追った。
 何故だか最近、彼らが一緒にいるところをよく見かける。すこし前までリョーマは桃城や菊丸とつるんでいることが多かったように思うが、ここ数日は、不二ばかりを見かける。
 先輩と後輩の仲がいいのはよいことだとは思うが、なんだか意外な組み合わせだった。
「越前と不二は仲がいいんだな。不二にしてはめずらしいというか、なんというか……」
 手塚の近くにいた大石が、そう話しかけてきた。彼も同じように、あのふたりを見ていたらしい。期待のルーキーと、天才といわれる男が一緒にいる姿は、嫌でも目立つし人目を引くものだ。
「ああ。そうだな」
 大石の言葉に手塚はうなずく。
 最近ふたりが仲がいいということもそうだが、不二にしてはめずらしいということにも、まったくもって同意見だった。
 外面はよくて優しそうに見えても、その実他人に対してひどく冷たい一面を持つあの不二が、リョーマに対しては自分から積極的にかまいにいっているのは、とてもめずらしいことだった。
「なになに? おチビと不二のこと?」
 コートに転がっていた菊丸がやっと起き上がって、こちらに来ながら話に割り込んでくる。
「ああ。不二と越前が仲がいいって話をしてたんだ」
「そうなんだよね〜。もうここ最近不二ってば超ゴキゲンで、俺毎日おチビの話聞かされるよ〜。もうさ、朝から『聞いてよ英二、リョーマ君がね』ってさ〜」
 菊丸はそのときの不二の口調を真似してみせる。そのおかしさに、大石もちいさく吹きだした。
「めずらしいよな、不二があんなふうに他人にかまうのって。あのふたり、今日なんか、朝も一緒に来てたんじゃないのか?」
「今日だけじゃないよ。毎朝だにゃ。不二がおチビの家まで迎えに行ってんだって」
「毎朝?」
 菊丸の言葉を、手塚は聞きとがめる。
 リョーマと不二が、毎朝一緒に来ているとは、どういうことだろう。
 たしか、リョーマの家と不二の家は反対方向だったはずだ。
 帰り道なら、まだ分かる。家が反対でも、仲のよい者同士、寄り道でもしながら一緒に帰ることもあるだろう。だが、朝となったら話は別だ。帰り道とは時間的な余裕が全然違う。
 朝練があるからただでさえ早いのに、わざわざ遠回りをしてリョーマを迎えに行くには、さらに早く起きなければいけないだろう。不二がそこまでする理由は。
「……越前と不二は、そんなに仲がいいのか?」
「仲いいっていうか……」
 菊丸はすこし言いよどんで、困ったように頬のバンソウコウを掻いた。何かを考えるように、しばらく大きな猫目が宙をさまよう。
「う〜ん。不二にはあんま言うなって言われてるけど、大石と手塚なら教えてもいいかな」
「なんだ?」
 菊丸はまわりを見渡して、他に誰もいないことを確認すると、小声で言った。
「不二とおチビちゃん、付き合ってんだよ。他のヤツラにはナイショね」
「ええっ!?」
 大石が驚いたように声をあげる。手塚も声はあげないものの、驚いて目を見開く。
「本当なのか英二? 俺達をからかってんじゃないだろうな」
「ホントだよ。俺、不二本人に聞いたんだもん」
「へえ……不二と越前がねえ」
「だよね。ビックリだよね。……って、手塚。大丈夫? びっくりしたまま固まってるよ」
「あ、ああ」
 菊丸に顔の前で手を振られて、やっと手塚は我に返る。驚きに、今の今まで固まってしまっていた。
(リョーマと……不二が……)
 最近仲がよいようだとは思っていたが、ふたりが付き合っているなど、思いもしなかった。
 他の部員の話なら、手塚はここで驚いただけで終わっただろう。
 男同士だとか、そういうことに関しては、個人の領域であろうから口出しをするつもりはない。まったく問題がないとは言わないし、それで部内の風紀が乱れるとか、そういうことなら部長として見過ごすわけにはいかないが、今のところはそういうこともない。それなら手塚が口を挟む問題ではなかった。
 だが、今回はそのままその話を聞き流すわけにはいかなかった。それがリョーマと不二の話なのだから。
 手塚は不二に関して、テニスの腕は十分に評価している。だがその性格や生活態度には問題があると思っていた。外面や人当たりはいいが、内面もそのとおりではないと知っていた。
 女性との付き合い方だって、噂程度にだが耳にしている。だがそれはどれも、よいといえるものではなかった。もてあそぶとまでは言わないが、彼は誰に対しても本気になることはなく、暇つぶしのように女性と付き合っていた。複数と同時に付き合っていたと聞いたこともある。
 その不二とリョーマが付き合っているなどと聞けば、『リョーマが不二にたぶらかされた』としか思えなかった。
(リョーマ)
 彼が心配だった。
 手塚には、不二が本気などとは到底思えない。テニスのうまい生意気なルーキーが目新しくて、ちょっかいをかける意味で、不二がまだ子供の彼をうまく言いくるめたとしか思えない。
 そうであるなら、やがて不二が飽きたとき、リョーマはいらなくなったおもちゃのように捨てられるだろう。不二の性格を考えれば、それはもうあっさりと、残酷なほど。相手の気持ちなどきっと考えもせずに。
 リョーマのほうがどういうつもりで不二と付き合っているかは分からないが、そのときやはりリョーマは傷つくだろう。
 このまま、いつか彼が傷つくだろう事態を、黙って見ていることなど出来なかった。
「て、手塚〜〜。そんな怖い顔しないでよ〜〜〜」
 手塚の正面にいた菊丸が情けない声を出した。リョーマと不二のことを考えているうちに、知らず知らずに表情が険しくなっていたらしい。だがその表情を戻すことが出来ない。
「……不二は一体どういうつもりなんだ?」
「どうって、おチビが好きなんでしょ? 手塚〜。そんな怒んないでよ。おチビが心配なのは分かるけどさ。おチビだってそんな何にも分からない子供ってワケじゃないんだし」
 なだめるように菊丸は言うが、手塚はそれにうなずけなかった。
『くににー』
 いつもいつも、後ろをついて来ていたちいさな子供。
 あれから5年経った今でも、手塚にとってリョーマはちいさなはとこだった。
「ほ、ほら手塚。もう休憩終わるぞ」
 いつも以上に険しい表情から戻らない手塚に、その話題から気をそらせようとするように、大石が時計を示してみせた。確かにもうすぐ休憩時間は終わろうとしている。そうであるなら、手塚は部長として、部活モードに入らなければならなかった。むやみに私情は持ち込めない。
「──わかった」
 おもむろに答えて、手塚は『部長』として、後半の練習メニューの打ち合わせのために乾のほうへ歩いていった。けれど深くなった眉間のしわが消えることはなかった。



 春分の日はすでに過ぎ、だんだんと陽は長くなりつつあるが、それでも夏のようにはいかない。部活が終わり後片付けやコート整備を終えるころには、すでに陽は沈みかけ、淡い闇が迫ってきていた。
 コート脇にあるテニス部室から校門へ向かう道の途中に、大きな桜の木があった。今はすでに花は散り、緑の葉が青々と茂っている。
 その下で、幹にもたれて、リョーマは不二を待っていた。
 彼と『恋人同士』になってから、一緒に帰るのはいつもの約束になっていた。今日も部活後一緒に帰ろうとしたのだが、ちょうど通りかかった3年の教師に不二が呼ばれたのだ。何だか渡す書類があるとかで、不二は職員室まで行かなければならなくなってしまった。それでリョーマはこうして不二が戻ってくるのを待っているのだ。
 いつもは騒がしい学校も、この時間にまでなると静かだ。部活の時間も終わり、残っていた生徒たちも、すでにほとんど帰ってしまっている。
(不二先輩、まだかな)
 リョーマはぼんやりと、不二がいるであろう校舎のほうへ目を向けた。
 彼はきっと、リョーマを待たせたと、大急ぎで走りながらやってくるだろう。あの天才と言われいつも余裕しゃくしゃくの不二が、自分のために息を切らせて走ってくるのだ。その優越感を想像して、リョーマはちいさく笑った。
 待たせた時間はそんなに長くなかったとしても、彼は待たせたことをすまなそうに謝るだろう。そうしたら、どんなわがままを言って困らせてやろうか。
 甘いものがあまり得意でない彼に、牛乳の代わりに練乳で作ったんじゃないかと噂される、あの学校の自販機で売っているイチゴ牛乳を飲むよう言ってみようか。乾汁さえ平然と飲んだ彼が、一体どんな顔をするだろう。
 こんなことが出来るのも、『恋人』の特権だ。
(早く来ないかな)
「越前」
 不意に呼ばれて、顔を上げる。
 それは待ち人の声ではなかった。けれど、よく知った声。
 気付けばすぐ傍に、手塚が来ていた。
「──なんすか部長」
 リョーマは内心の動揺を悟られないよう、必死で普通の声を出した。ちゃんとうまく隠せただろうか。声は震えていなかっただろうか。
 部活以外で手塚に話しかけられたのは、これがはじめてだった。
(くににい)
 出そうになる言葉を、必死で飲み込む。
 部活中は、『部長と部員』として、ちゃんと接することが出来ていると思う。だが今は部活の時間ではない。ただのはとこ同士として向き合っているとも言える。その状態で、彼が何を言うのか、自分が彼に何を言ってしまうか、それが怖かった。
 だが手塚は、リョーマにとっては意外なことを尋いてきた。
「越前。不二と付き合っているというのは、本当か?」
「そうっすけど」
 ためらうこともなく、リョーマは答える。
 大勢に言いふらされてからかわれるのはごめんだが、不二と付き合っていること自体は隠すことでも恥じることでもないのだ。
 だが何故、手塚がそんなことを聞いてくるのだろう。リョーマにはそれが分からない。
「おまえは、不二がどういう人間かわかっていて付き合っているのか? あいつに適当に言いくるめられているだけじゃないのか?」
「────」
 手塚の言葉に、リョーマは鼻白む。
 確かに付き合いの浅いリョーマより、中1から部活仲間である手塚のほうが、不二についてはよく知っているだろう。だが何故こんなことを言われなければいけない?
 確かに不二がどんな人間かちゃんと分かっているわけじゃない。言いくるめられて付き合っているといえば、実際そのとおりだ。ただ彼の気まぐれな『恋人ごっこ』に付き合っているだけだ。だが何故、それを手塚に言われなければいけない?
「部長には、関係ないです。それとも、部内恋愛禁止って規則でもありましたか? 全国目指すのに、レギュラーが同性愛者だと困るんですか?」
 撥ねつけるように言い放った。その言葉に、一瞬にして、あのいつも冷静な手塚の顔に血が上るのが分かった。
「リョーマ! 俺はそういうことを言っているんじゃない!」
 鋭い叫びが、リョーマを突き刺す。
 手塚に名前で呼ばれたのは、久しぶりだった。多分、5年ぶりになるだろう。なつかしい、呼び名。部活で話すようになっても、いつも苗字で呼ばれていたから。
『リョーマ!』
 怒りを含んだきつい声さえ、なつかしいと感じる。
 昔、甘い両親に代わって、悪戯をしたリョーマを怒るのはいつも手塚の役目だった。兄と一緒に悪戯をするたび、厳しい顔で怒られた。
 怒る顔は怖かったけれど、叱る声は厳しかったけれど、それはすべて自分を心配する故だと分かっていた。それは、愛情の裏返しであると。だからどんなに怒られても、手塚を慕う心が消えることはなかった。
(くににい)
 昔と今が、交錯する。押し込めたはずの感情が、溢れ出してくる。
「俺はおまえを心配して──」
「心配?」
 睨み付けるように、手塚を見上げた。そのきつい視線に、手塚が苦しそうに眉を歪める。
「嘘つき! 嘘つき! 嘘つき!!」
 感情のままに、口から言葉が溢れ出した。
「じゃあなんであのとき──!!!」
 そのままとまらず溢れ出そうとする言葉達を、リョーマは必死の想いで飲み込んだ。
(ちがう)
 違う違う違う!!
 こんなことが言いたいんじゃない。言いたいのは、こんなことじゃなかったはずだ。こんなことを言うために青学(ココ)へ来たんじゃないのに。
 ちゃんと分かっている。責められるべきは手塚でないと。彼は何も悪くないと。でも、感情がそれを分かってくれない。彼を責めてしまいそうになる。
 リョーマは踵を返して走り出した。その場から、手塚から、逃げるように。
 言われた手塚がどんな表情をしたか、怖くて見られなかった。きっと傷つけた。
(────────!)
 感情のコントロールがうまくつかずに、ただがむしゃらに走った。自分がどこへ向かっているのかも、分かっていなかった。
 不意に目の前に現われた人影に、そのままぶつかった。反動で弾き飛ばされそうになる身体を、しなやかな腕が捕らえた。
「リョーマ君っ!?」
 その声に、リョーマは顔を上げる。不二の綺麗な顔が、すぐ傍にあった。丁度校舎から出てきた不二にぶつかったらしい。
「どうしたの? なにかあったの?」
 リョーマの様子がただ事ではないと、不二もすぐに気付いたのだろう。心配そうに尋ねられる。薄茶の瞳が、優しくリョーマを映す。
(不二、先輩)
 不意に何かがこみ上げて、リョーマは目の前の不二に、しがみつくように抱きついた。
「リョーマ君っ!?」
 その行動に驚いて、また不二が声をあげる。
 それはそうだろう。『恋人同士』といっても、不二がからかうようにリョーマを抱きしめることはあっても、それ以外何もなかった。ましてリョーマのほうから不二に抱きつくなんて、普段の性格や行動から考えてもありえないことだった。
 でも今、リョーマは不二に抱きしめてもらいたかった。
 大丈夫だよと、その声で言って欲しかった。
「…………」
 抱きつかれた最初の数秒は、不二も驚いて、それからどうすればいいか迷っているようだった。
 けれどすぐに、そのしなやかな腕がリョーマの背に回される。
「リョーマ君」
 力を込めて、すこし苦しいくらいに、その腕がリョーマを包む。
「大丈夫だよ。大丈夫だからね」
 優しい声が、リョーマの耳元に落とされる。望んだとおりの言葉で。
 こんな急に突飛な行動に出て、何があったかなんて不二には分からないだろうに。それでも彼は、まるで心でも読んだかのように、望んだとおりに。望んだ言葉で。
(──あったかい)
 心が、溶かされてゆく。すこしずつすこしずつ。このいびつな形をした心が。心に刺さった氷の刺が、春の陽射しに解かされるように。
 ぎゅっと、リョーマは不二の背中を掴む手に力を込めた。
 それに気付いた不二が、そっとリョーマの髪をなでる。
(はなさないで)
 その優しい手が、いつか離れてゆくことを知ってる。この腕が、いつか振り解かれることを。
 だってこれは『恋人ごっこ』なんだから。本当の『恋人同士』ではないのだから。
 でも今は、もうすこしだけでいいから、抱きしめていて欲しかった。この腕だけが、この痛みを取り除けるから。
 この痛みを、癒せるから。


 To be continued.

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