ラプンツェルの塔 〔1〕


「越前君。君が好きなんだ」
 部活もすでに終わり、夕闇に包まれた校庭の片隅で、不二は呼び出したふたつ年下のその少年に告白をした。
 たとえそう見えなかったとしても、それは不二にとって一世一代の告白だった。今まで告白されたことは老若男女数え切れないほどあったが、自分から告白したことなど一度もなかった。いや、そもそも誰かを好きになったことすらはじめてではないだろうか。今まで誰にもこんな気持ちを抱いたことなどなかった。
 はじめての恋の、はじめての告白に、本当は、心臓が張り裂けそうなほど緊張していた。いつもの笑みで余裕ぶって見せていたのは、みっともない姿を見せて嫌われたくないという必死の想いからだ。
 ──それなのに、その答えは。
「そうですか。で?」
 いつもクールだと言われるリョーマは、さらに冷めた瞳でそう告げた。
「『で?』って……」
 それは不二にとって予想していなかった答えで、どう対応すればいいのか分からずに動きが止まってしまう。
 この想いを告げようと決めた日から、夢見る乙女さながら、不二はいろいろなシミュレートをしてきた。都合のよい妄想だけれど、リョーマが頬を染めながら自分の想いに応えてくれる場面や、哀しいけれど、同性に好きだと言われたことに嫌悪を示す場面、他に好きな人がいると告げられる場面。いろいろなことを想像し、そのたびに自分の対応を想定してきた。
 けれど実際の彼は、そのどれとも違っていた。
 彼の表情の中に、同性からの告白に対する嫌悪は感じられない。けれど、それ以外の喜びも拒絶も、何ひとつ感じられない。それはまるで、つまらない映画の感想を聞かれて、答えることが何ひとつないときのような表情だ。
 不二の言葉は、よいほうにも悪いほうにも、何ひとつリョーマを動かしてはいない。きっと明日の天気の話や、今日食べたい夕飯の話でもしたほうが、よっぽど彼の心を動かせるのではないだろうか。
「不二先輩が俺を好きだってことは分かりました。それで?」
 反応を返さない不二に痺れを切らしたのだろう。リョーマは変わらぬ表情のまま不二に問いかけた。
 促されて、やっと不二は言葉の意味を理解した。駆け引きも何もなく、自分の望みを正直に口にする。
「君が僕のことをどう思っているか知りたいんだ。あとできるなら、僕と付き合って欲しいんだ」
 リョーマはすこし考えるように、細い指先をくちびるに当てた。
「まず、不二先輩をどう思っているかについては、『テニスのうまい先輩』として尊敬しています。部長と並んで倒したい相手です。それ以上でもそれ以下でもありません。付き合うって件はお断りします。意味ないと思うんで」
 淡々と述べられる言葉は、授業中、教師に問われた数学の問題に答えているかのようだ。公式に数字を当てはめ答えを導くように、理論的で、そこに余分な感情は一切ない。
 そんな姿に、不二はリョーマの知らなかった一面を見た。
 確かに彼はいつも尊大で冷静だけれど、こんなふうではない。こんな──心のない、人形のようではない。
「じゃあ俺はこれで」
「──待って。越前君」
 帰ろうとするリョーマの腕を掴んだ。不審そうに、リョーマは不二を見上げてくる。
「君に好きな人がいなくて、僕のこと嫌いじゃないなら、付き合ってくれないかな。それで好きになるかもしれないでしょう?」
「────そんなの」
 ふとリョーマは口をつぐんだ。何かを憂うように、一瞬目が伏せられる。
「じゃあアンタは、俺のどこが好きなの?」
「それは。……テニスの強いところとか、その強気なところとか、かな」
「ふうん」
 その瞬間に、リョーマのまわりの温度が一気に数度下がったような気がした。不二は、自分がリョーマの地雷を踏んでしまったことに気付いた。
「『テニスの強い俺』が好きなら、部活で十分じゃん? それで足りないなら、休みの日でも相手してあげるよ、テニスなら。それでイイでしょ?」
 リョーマの視線にも口調にも、不二への不快感がありありと表れていた。
(────?)
 その変化に、不二は違和感を感じる。
 告白をしたとき、リョーマに特に嫌悪や拒絶は感じられなかった。それなのに、今はこんなにも拒絶をはっきりと表わしている。
 リョーマは無意識だろうが、『テニスが強い』というところを強調していた。おそらくそれが、彼のの地雷だったのだろう。だが、何故それで機嫌を悪くするのだろう。テニスが強いと褒められて、悪い気はしないはずだ。むしろ嬉しいのではないだろうか。
 何故、それを嫌がる?
 その理由はわからない。けれど、それで引き下がるわけには行かなかった。
 不二は、もちろんテニスをしているリョーマが好きだが、それだけに惹かれたわけではない。その程度の気持ちなら、同性であるリョーマに告白などしていない。こんなに心を動かされたりしない。それを理解もされずに拒絶されるのは耐えられなかった。
「リョーマ君」
 もういちど、帰ろうとするリョーマを掴んで引き寄せた。
 何故だか不二の中に確信があった。
 もしこのままリョーマを帰らせてしまったら、きっとリョーマの気持ちが不二を向くことは永遠になくなってしまうだろう。不二を好きになることはもちろん、不二の気持ちを本当だとさえ信じないだろう。
「もういちど言うよ。僕は君が好きだから付き合って欲しい」
 リョーマが秀麗な眉を歪ませて、不二を見上げた。それは何故だか、泣きそうにも見えた。
「──意味ないって言ってるじゃん」
「どう意味がないと思うの?」
「付き合ったって、あんたが、俺のことどうでもいいって気付くだけだよ」
「どうしてそう思うの?」
 不二から離れようともがくリョーマの腕を、力を込めて握り続けた。きっと、その細い腕には、強く掴みすぎたせいでアザが出来てしまっているだろう。それでも不二は腕の力を緩めなかった。
「僕は君が好きだよ。テニスをしている君も好きだけど、そうじゃない君も好きだよ。どうしてそれを信じてくれないの?」
 リョーマが肯定の返事を返すまで、腕を離す気はなかった。こんなのは立派な脅迫だと分かっていたけれど、腕を離せなかった。
 外見的には細くあまり強そうに見えない不二でも、実際はスポーツ選手として鍛えられた筋肉が全身についている。リョーマだって鍛えているとはいえ、年齢的な差や体格的な差から、不二を振りほどくことが出来なかった。
「せめて──僕が君を本当に好きだってことくらい、信じてよ。どうして信じられないの? どうすれば信じてくれるの?」
「──勝手にすれば?」
 このままでは永久に解放されないと観念したのか、強くなる腕の痛みに耐え切れなくなったのか、リョーマは言い捨てるように言った。
「付き合うとか付き合わないとか、どうでもいいよ。あんたの気のすむように、勝手にすればいい。どうせ、すぐ気付くよ。俺なんかどうでもいいって。それまで勝手にすればいい」
「うん。そうするよ」
 リョーマから肯定の返事を聞けたことに、不二はやっと掴んでいた腕を離す。
「ごめんね。痛かった?」
「別に。平気っす」
 そっと気遣うように、今まで掴んでいたリョーマの腕をそっとさする。けれど、それを避けるように、リョーマは不二から数歩離れた。
 リョーマに避けられたせいで、不二の腕は行き場をなくして、空中に放り出される。しばらくその腕は宙に投げ出されたままだったが、不二は何もない手のひらをいちど強く握って、それから重力に落とされるように腕を降ろした。
「……君が、好きなんだよ」
「──さっきも、聞きました」
「本当に、本当に、君が好きなんだ」
 何度告げても、リョーマの表情は変わらない。きっと、不二の言葉は何ひとつ届いていない。好きという言葉が今本当だとしても、そのうち不二が飽きると、信じきっている瞳。
「俺、帰ります」
 リョーマは何の未練もなさそうに不二の前から身を翻した。今度は、去っていく彼を不二も止めはしなかった。
 ちいさく遠くなってゆく背中。それは明らかに不二を拒絶している。
 告白としては、振られるよりも最悪かもしれない。告げた想いは相手に届かず、なおかつ脅迫のように言質をとって。今まではテニスのうまい先輩として尊敬されていたのに、おそらく告白したことにより嫌いな人間に格下げされただろう。
 あんな言質で、彼の恋人になれたとも思わないし、恋人面をする気もないけれど。
 たとえばリョーマに他に好きな人がいるのなら。
 たとえばリョーマが不二を嫌いだというのなら。
 それなら、哀しいけれど理解できる。つらいけれど、この気持ちを心の奥に封印して、よい先輩として彼を見守っていく覚悟は出来ていた。
 けれどリョーマは、不二の気持ちさえ、信じようとはせずに。
(……どうして?)
 垣間見えた、彼の知らない一面。冷たい、冬の凍りついた湖面のような瞳。
 何が彼をそうさせるのかなど、不二には分からない。それでも、こんな状況でリョーマへの気持ちをあきらめることなど出来なかった。


 To be continued.

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