あの扉の向こうに(10)


「どんな実験だったんですか?」
 言い淀んでいる地の守護聖に、たまらずオスカーは口をはさんだ。そしてまた、ルヴァは話を続ける。
「それは、サクリアを人為的に成長させ、引き出そうという実験でした」
「そんなこと、可能なんですか!?」
 オスカーは驚いて、思わず少し大きな声を出した。
 サクリアは、科学の力でどうこうできるようなものではない。だからこそ、その力を持つ守護聖と女王は神格化され敬われるのだ。そのサクリアを、人為的に成長させ引き出すなど、不可能のように思う。そんなこと可能なのだろうか。
 そんなオスカーの反応に、地の守護聖は苦笑いを浮かべる。
「当時は、そうできると信じる者が何人かいました。実際、理論は出来ていましたし、信じていない他の皆も、もしそれが成功すれば、確実に宇宙崩壊がまぬがれるんですから、大きく反対する者はいませんでした。そして、実験を行ったのです……」
 サクリアを人為的にどうこうしようなど、人は水の中では生きられない、というのと同じくらい、不可能だと分かり切っていたことだった。けれどあの頃、宇宙崩壊の不安に、もしかしたらというありえない可能性に、皆が浮かされていた。もしもアンジェリークの力が足りなかったら、この宇宙が崩壊するのだ。自分も、それ以外のすべても無に還るのだ。その恐怖に、耐え切れなかったのだ。
 ルヴァ自身も、研究に積極的な参加はしなかったが、『もしかしたら』と思う一人だった。それを思うと、今でも胸が痛む。何故、『もしかしたら』などと思ってしまったのか。
「実験の初歩は、アンジェリークにいくつかの薬を飲ませるとか、催眠療法まがいのものとか、そんなものでした。でも、なかなかに期待通りの結果が出ていたんです。もしかしたらそれは、ただ時間と共に自然にアンジェリークのサクリアが育っただけで、実験による結果ではないのかも知れませんが、皆はそれを見て、実験の成果だと思い込み、実験はエスカレートしてきたのです……」
 あれは、いっそ狂気の世界だった、とルヴァは思う。
 宇宙崩壊の不安だけでなく、今まで神の力のように思われていたサクリアを、自分達の力で動かせるのではないか、という優越感、征服感が、当時の研究員の間には広まっていた。神域を侵す、その背徳感に裏付けられた暗い喜びが、あったのかもしれない。
 サクリアを科学の力で動かすなど……まさしく神域を侵し、そして罰が下ったのだ。
「いろいろな実験が行なわれました。身体に電磁波をあててサクリアを引き出そうとか、強い電流を通すことでサクリアの増幅がはかれるかもしれないとか……今思えば莫迦莫迦しい、けれど危険な実験が繰り返されました。そして……実験の最中、突然、アンジェリークのサクリアが暴走したんです」
「サクリアの暴走?」
 オスカーにはいまいちピンと来なかった。
 たとえばオスカーが何かの間違いで、大量にある地域に炎のサクリアを送ってしまったとする。そうすると、そこの地域のバランスが崩れて被害が出るだろう。人々の心に影響が出て暴動が起こるかもしれないし、自然形態に影響が出て災害が起こるかもしれない。
 けれど、女王のサクリアが暴走したとして、どんな影響が出るというのだろう。守護聖達のサクリアは9つでバランスを取らなければならないが、女王のサクリアは独立している。性質から言っても、多すぎて困るということはないように思えた。
「どうしてそれが……母親を殺すことになったんですか?」
「たとえばオスカー、貴方のサクリアだって、炎を司っているとはいえ、実際に炎を吹き出すわけではないでしょう。女王のサクリアも、基本的には同じです。ですが、女王のサクリアは時間と空間を操ることが出来ます。この飛空都市と聖地だけが、下界と時の流れの速さが違うのは、そのためです。ここを下界と違う時間軸に置いているのは女王の力なのです。時空回廊なども同じですね。あれも女王の力によって、時間と空間を飛び越えるのです」
 生徒にものを教えるようなルヴァの口調に、オスカーはうなずいてみせる。女王のサクリアが時間と空間も操るということは、理解できた。
 オスカーはその先を待つが、ルヴァはまた言い淀む。よほど、言いたくない、蒸し返したくないことのようだった。
 地の守護聖は、大きな溜息をひとつついた。オスカーにはすべてを話すと決めはしたが、それを実際に口に出すのがこんなにもつらいこととは思っていなかった。過去が、口にするたび、重くのし掛かってくるようだ。思い出したくもない過去の情景が、それでも目の前に、言葉にするたび現われる。
 それでも、伝えねばならなかった。彼女を救えるかも知れないのは、彼だけなのだから。
「暴走したアンジェリークの力は、おそらく自分の周りの空間を歪めたんでしょう。アンジェリーク自身は、自分のサクリアだったからなのか、無事だったのですが、周りにいた者達が巻き込まれました。その中に、実験に付き添っていた母親が含まれていました。アンジェリークはそれを、目の当たりにしました」
 空間をゆがめた、と聞いたオスカーの脳裏に、以前起きた移転装置の事故の話が思い浮かんだ。あれはひどい事故だった。身体の半分だけが移転先の空間に送られる、という惨事が起きたのだ。身体を真っ二つに引き千切られたことになったその不幸な人物はもちろん死に、あたりいちめん血の海だったという。
 それと同じようなことが、そこで起こったのだろう。考えると、吐き気のしそうな光景が思い浮かんだ。いや、実際、アンジェリークはそれを目の当たりにしているのだ。
「実験に立ち会っていた研究員4人と、アンジェリークの母親が死にました。私も異変を察知して駆け付けた一人ですが……あたりいちめん、血の海でした。アンジェリークはその中で、血の海に倒れている母親を、ずっと抱きしめていました。母親、といっても、まともな原形なんて留めていない、肉の塊になっていましたが」
 あの日の光景が、ルヴァの脳裏に鮮やかに蘇る。いちめんの赤に染められた、地獄のような光景だった。
 天罰が下ったのだ。サクリアを科学の力で意のままにしようなどという自惚れた者達に、罰が下ったのだ。
 けれどそれは、罪を侵した者だけに下ったわけではなかった。罪のない者をも巻き込み、多くを傷つけた。
 ルヴァの、テーブルの上で血の気がなくなって白くなるほど強く握りしめていた手が、かすかに震えていた。冷静になろうと、地の守護聖が浅く深い呼吸を繰り返しているのが分かった。だからオスカーは、しばらくルヴァが次の言葉を話しだすのを待った。
「……あれは事故です。そして、アンジェリークは悪くない。悪いのは、サクリアを無理に引き出そうとした私達なのです。でもアンジェリークは自分自身を責めました。母親を殺した自分と、自分にある女王のサクリアを憎みました」
 あのときアンジェリークに、暴走するサクリアをとめられるような力はなかった。そしてまた、あんな無謀な実験など繰り返さなければ、サクリアが暴走することもなかったのだ。アンジェリークは何も悪くない。それは、誰の目にも明らかなことだった。
 けれどただひとり、アンジェリーク自身は自分を許さなかった。母親を殺した自分と、自分の力を憎んだ。許せるはずが、なかった。
「成長すれば、それと同時にサクリアも成長していきます。だから、そうしたくなくて、アンジェリークは自分の時を止めてしまったのです。女王のサクリアは時間も司っていますから、その力のせいだと思います。彼女の強い願いが、彼女の奥にあった女王のサクリアの力を使って、自分の時をとめてしまったのです」
 ルヴァが伏せていた顔をあげて、オスカーを見た。深緑の瞳は哀しい色をたたえて、彼は、力なく言った。
「……だから、あの日からずっと、アンジェリークは10歳のままなのです……」


 To be continued.

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