あの扉の向こうに(12)


 話が一段落して、重い沈黙が部屋を包んでいた。聞いた話の重さに、そして、アンジェリークが抱えた傷の重さに。オスカーら守護聖達にも隠されていた秘密が、これほどのものとは、思ってもいなかった。
 その沈黙を先に破ったのは、オスカーだった。
「アンジェリークが次期女王であり、本当は17歳であることは分かりました。でも、今まで自分を責めて成長をとめていながらも、一応普通に生活していた彼女が、何故急に眠りに逃げ込んだのですか?」
 それが分からなかった。何故彼女が急に、外界すべてを遮断しようとまでするのか。
 ルヴァはその質問に、目を丸くする。
「オスカー。貴方は分かっていないんですか?」
 女心に機敏だといわれる炎の守護聖の意外な鈍さに、思わず笑いがこぼれる。百戦練磨と思われるオスカーも、本気になると、まわりが見えなくなるらしい。
「言ったでしょう、アンジェリークも、貴方が好きだと」
 オスカーはやはり分からずに首をひねる。アンジェリークが自分を好きになってくれたということは嬉しいが、それが、何故眠りに逃げ込むことになるのか。
 ルヴァはそんなオスカーに、物分かりの悪い生徒に根気よく教えるような口調で話す。
「オスカー、よく考えてみてください。今のアンジェリークでは、どう考えても貴方に釣り合いません。そして、彼女が自分の成長をとめたままなら、いつまでも、貴方に釣り合うことはありません。だから、彼女はいつのまにか、成長することを望んでしまっていたんです。おそらくは、本人も無意識のうちに、そう望んでいたんでしょう」
 アンジェリークが成長しようとしている、ということは、確定的な事実だった。ロザリアが言っていた。アンジェリークは、初潮をむかえていた、と。それは、彼女が成長していなければありえないことだ。そして、それを目の当たりにしたことによって、アンジェリーク自身も、自分が成長していることに、それを望んでいたことに気づいただろう。
「アンジェリークは、成長しようとしていました。けれど、彼女は、自分でそれが許せなかったんです」
 アンジェリークにとって成長するということは、愛する者を殺した力をも、受け入れるということ。母親を殺したあの力を、女王のサクリアを、受け入れるということ。
 いまだ、傷を引きずっているアンジェリークには、そんなことはできなかったのだろう。それは、オスカーにも容易に想像できた。
「だから、成長したいと願う心と、成長したくないと願う心の間で……彼女は眠りに逃げ込んだのです」
「…………」
 オスカーはゆるく自分のくちびるを噛む。自分の存在が、ある意味彼女を追い詰めていたのだ。自分の世界すべてを遮断するほどに。
「…………アンジェリークを、これからどうするおつもりですか?」
 ぽつりと、オスカーはつぶやいた。彼女の今後の処遇が決まったと、ルヴァは言った。それなら、また何かが勝手に進められるのだろうか。そうして、また彼女を傷つけるのだろうか。
 けれどルヴァはゆるく首を振る。
「私達には、何もできません」
「? どういうことですか?」
「この宇宙を移転させるためにも、アンジェリークの力が必要不可欠ですが、それをどうにかできるのは、彼女自身だけです。無理に外から力を動かそうなどとすればどうなるかは…………もう、わかっているでしょう?」
 ルヴァはくちびるを歪めて笑ってみせる。
 サクリアを無理に動かそうなどとして……あの惨劇が起きた。そんなことをすればどうなるか、もう皆、身をもってよく分かっていた。
「せめてできることは、彼女の内的要因に働きかけることです。女王試験を行なったのも、彼女に試験を通して、自分の持つ力の意味、それがどれほど重要で必要なものかを分かってもらうためです。彼女の心に働きかけるためです」
 目覚めるのも、サクリアを再び動かすのも、すべて、アンジェリークの心にのみかかっている。彼女自身がそう望まなけれな、すべてはどうにもならないのだ。
 けれど、手立てが何もないわけではなかった。
「鍵は、貴方です。オスカー」
 ルヴァは、まっすぐに、オスカーを見た。深緑の瞳が、穏やかな中に強さをたたえて、まっすぐに見つめてくる。
「貴方にすべてをお話ししたのは、状況を理解してもらったうえで、貴方に彼女が目覚めるよう、働きかけて欲しいのです。成長だけでなく、自分のすべての時をとめて眠りに逃げ込んだ彼女に、働きかけることができるのは、貴方だけです」
 アンジェリークが成長を望むことになった、原因。それがオスカーだ。
 この7年間閉ざされ続けていたアンジェリークの心に、初めて変化をもたらした。彼女を目覚めさせることができるかもしれないのは、彼だけだ。彼なら……あるいは、アンジェリークを目覚めさせ、サクリアの成長を受け入れるようにさせられるかもしれなかった。
「でも、どうやって…………」
 オスカーは困惑したように呟いた。
 彼女は外界をすべて遮断して眠っている。話しかけても聞こえていないだろう。
 オリヴィエが夢を司っていると言っても、それは希望や願いを表わす『夢』で、寝ているときに見るものではない。
「サクリア同士は呼応します。女王のサクリアは、私達9人のサクリアとはまた少し違って独立していますが、呼応くらいはできるでしょう。サクリアを介して、眠っている彼女の意識に呼びかけてみてください。そして、説得して欲しいのです」
「母親を殺したことは水に流して、目覚めて、宇宙のために働いてください、と?」
 ルヴァの言葉に、オスカーは鼻で笑うように、冷たく言い放った。
 瞬間、地の守護聖は、ひどく傷つけられたような顔をした。いや、今のオスカーの言葉は、分かっていて、傷を上から切り付けたのと同じだ。
「……すみません、言い過ぎました」
 ルヴァの言い分も、分からなくはないのだ。オスカーだって、そこまで子供ではないし、守護聖としてこの宇宙を支える意味も分かっている。
 宇宙を救わねばならないことは、事実なのだ。そのためには、多少の犠牲や個人の抹殺も仕方のないことなのだろう。
 それは、分かっている。分かっているけれど。
「……分かりました。彼女に、呼びかけてみます。でもそれは、宇宙のためじゃない……俺自身のため、そして、彼女のためです」
 オスカーは、そう地の守護聖に告げた。
 自分で自分の時をとめてしまった小さな少女。泣いていた、あの小さな肩を震わせて。彼女を守りたいと思ったのだ。笑顔を、本当の笑顔を、与えてあげたいと、オスカーは思ったのだ。
 だから、彼女を過去から解放するために。悪夢から救い出すために。そのために、オスカーはアンジェリークに呼びかける。
 地の守護聖は、驚いたようような顔で、オスカーを見た。それから、穏やかに、そして少しだけ泣きそうに見える顔で微笑んだ。
「……ありがとうございます」
 その『ありがとう』は、オスカーがアンジェリークが目を覚ますよう働きかけることを約束したからではなく、宇宙のためではなく自分と彼女のために、と言ったことに向けられているような気がした。


 To be continued.

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