あの扉の向こうに(13)


 オスカーは眠るアンジェリークの手を握り、それを額に押し当てる。精神を集中して、見えない何かを探るように、風の軌道を探るように、彼女が持っているはずの女王のサクリアを探す。閉ざされた彼女の心に呼びかける。
(アンジェリーク)
 声には出さずに、けれど全身全霊で呼びかける。
 何度も何度も呼びかける。
 けれど返事は返らない。おそらく、答えを返す以前に、彼女まで声が届いていないのだろう。
 今アンジェリークの心は完全に閉ざされていて、何も受け付けない。
 サクリアを介して呼びかけようとしても、彼女自身の持つサクリアも深く深く封印されているし、閉ざされた心がオスカーのサクリアも完全に拒絶する。
 それでも、諦めずにオスカーは何度も何度も呼びかける。
(アンジェリーク。俺の声を聞いてくれ。アンジェリーク)
 それでも、何も答えは返ってこない。
「アンタ、ちょっとは休んだら?」
 不意にかけられた声に、オスカーは驚いて顔を上げる。いつのまにか、すぐ隣にオリヴィエがいた。
 精神をアンジェリークに集中していたせいで、夢の守護聖が部屋に入ってきたことにも気づいていなかった。
「オリヴィエか……」
「毎日毎日何やってんだか知らないけど、程々にしといたほうがいいんじゃないの?」
 言い方はそっけないが、オリヴィエはオスカーを心配し気遣っていた。
 ここ数日炎の守護聖は、毎日毎日アンジェリークの病室を訪れてはその傍らにいる。
 オスカーが何をしようとしているのかくらいは、オリヴィエにも予想がつく。サクリアを使って、アンジェリークを目覚めさせようというのだろう。
 けれど一向に目覚める気配のないアンジェリークに、それでも毎日毎日サクリアを使って、精神を集中させて。ここ数日で、オスカーは少しやつれたようにも見えた。
 これほどサクリアを使えば、普通はある程度何らかの反応があるはずだった。それなのにこれほど完全に拒絶されるなんて、アンジェリークは一体何故こんなにも世界を否定するのだろう。
「アンタ、ルヴァに聞いたんでしょう。アンジェリークのこと。なんだって?」
「…………」
 オリヴィエにも話そうかどうか、少し迷う。話しても、彼がそれを言いふらすような人物でないことは最初から分かっている。
 けれど……。
「もう少し、待ってくれ」
 オスカーは少し考えた後にそう答えた。
「いずれ、話すときが……話さなければいけないときが来る。でも、それまで待ってくれないか? もう少し、彼女の傷が、癒えるまで……」
 次期女王がアンジェリークで、彼女が女王位につくというなら、いずれは他の守護聖達やロザリアにも話さなければいけなくなるだろう。
 でも、今はまだ、話したくなかった。
「…………分かった」
 意外なほどにあっさりと、オリヴィエは引き下がった。
 彼も、隠されたアンジェリークの過去が、そう軽々しく興味本位だけで聞き出してはいけないものだと分かっているのだ。いつか話してくれるなら……その日を待つつもりだった。
「でも、この子を起こすのは、アタシも手伝うよ」
 椅子をもうひとつ引っ張ってくると、オリヴィエもアンジェリークの枕元に座る。
「理由はよくわかんないけど、この子は自分の未来を否定してこんなふうに眠っちゃってるんでしょう。だから、アタシからもサクリアを送ってみるよ。アタシのサクリアは『夢』……、『希望』と『未来』だよ。もしかしたら、何か反応があるかもしれない」
 驚いた顔をしているオスカーに向かって、ウインクをしてみせる。
 オスカーの顔が、ゆっくりとほどけて、微笑みに変わる。それは、彼がかつて多くの女性達に送っていた作り物めいた笑顔でもなければ、皮肉げに不敵に笑ういつもの笑顔でもなかった。
「悪いな、オリヴィエ」
「いまさらでしょ」
 そうしてオリヴィエはアンジェリークの額に手をかざして、軽く目を閉じる。手のひらが淡く光って、夢のサクリアがアンジェリークに流れ込んでゆく。
 それを見届けて、オスカーもまた、意識を集中させて目を閉じる。アンジェリークの意識を探す。彼女に呼びかける。
(アンジェリーク……)



 …………やめて。
 私を起こさないで。
 このまま眠っていたいの。

 女王のサクリアは、おかあさんを殺した。
 だから私は女王になんてなりたくないの。

 女王のサクリアは……
 女王のサクリアは………………?



「おかあさーん!」
 アンジェリークは走り寄ると、勢いよく母親に抱き付いた。母親は優しく受けとめてくれる。
「どうしたの、アンジェ」
「あのね、向こうにすごくきれいなお花畑あったの。一緒に行こう!」
「はいはい」
 アンジェリークは母親の手を引っ張って、一緒に歩いていく。
 柔らかでなめらかな母親の手。向けられる笑顔はあたたかく輝いている。
 それだけで、アンジェリークはしあわせになれる。ここに、聖地に来てよかったと、そう思えた。
 ここに来る前は、やっぱり女手ひとつで子供を育てるというのは大変で、時折母親のその笑顔に、隠しきれずに疲れた色が浮かんでいた。あたたかな手も、つらい仕事で荒れてかたくなっていた。
 幼いながらもアンジェリークはそれを敏感に感じ取り、心を痛めていたのだ。
 でも、聖地に来てからはそんなことはない。働かなくても生活は保証され、そんな苦労はかけずにすむのだ。
 それはアンジェリークが『女王のサクリアを持っている』から。『次期女王』だから。
 それに、よくは分からないけど、アンジェリークが『女王になる』ということは、母親や他の大好きな人達を守ることなのだという。
 だから、アンジェリークは自分に女王のサクリアがあったことを嬉しく思っていた。そして、女王になりたいと思っていた。
「おかあさん。私ね、大きくなったら女王になるよ。それで、おかあさんのこと、守ってあげる!」



「!?」
 アンジェリークの意識を探っていたオスカーの中に、見知らぬ映像が流れ込んでくる。
 今よりももう少し幼い姿のアンジェリーク。なんの陰りも知らずに無邪気に笑う姿。
 おそらくは、アンジェリークの記憶の一部なのだろう。
 まだ、未来を否定していなかったころの、しあわせだけが世界を包んでいたころの、記憶。
 オリヴィエの送った夢のサクリアの影響だろうか。かつての、『夢』を持っていたころの記憶が現われて、完全に閉ざされていた心が、ほんの少し開いた。
(アンジェリーク)
 オスカーはさらに神経を集中させる。
 その記憶を辿るように、ほんの少し感じる女王のサクリアを頼りに、アンジェリークの心の奥へと、閉ざされた扉の向こうへと、意識を飛ばす。
(アンジェリーク、何処にいる? アンジェリーク)
 呼びかける。精一杯に聞こえない声を張り上げて。想いを込めて。
(答えてくれ、アンジェリーク。俺の声を聞いてくれ)



 …………誰?
 お願い。私を起こさないで。
 お願いだから。



(アンジェリーク!!)






























 ……………………………………オスカー、様?








 To be continued.

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