あの扉の向こうに(14)


(アンジェ、アンジェリーク!)
 何処か遠くで、呼ぶ声がする。
 オスカーの、声。
 その声を聞きたくなくて、アンジェリークは耳をふさごうとする。
 けれど、心に直接響くその声は、耳をふさいでもアンジェリークの中に流れ込んでくる。
(アンジェリーク!!)
 必死に、自分を呼ぶ声。
 それでも、アンジェリークは耳をふさごうとする。心を閉ざそうとする。

 その呼ぶ声をずっと聞いていたら、きっと、この逃げ込んだ眠りの世界から、起きてしまいそうだから。



『もう怖い夢なんて見ないから……だから、泣かないでくれ……』
 そう言って、あのひとは私を抱きしめた。
 あの夢を見た後は、朝が来るまで、もう一度眠るなんてことはできなかったのに、何故かあの夜は、もう一度眠ることができた。もう怖い夢は見なかった。
『なあ、お嬢ちゃんの好きなものはなんだ?』
 贈られるものたちは、いつのまにか部屋を埋め尽くして、心まで埋めていくようだった。
 一緒に行った遠乗りの丘、森の湖、花畑。部屋にこもりがちになる私を連れ出しては、いろいろな処に連れていってくれた。何処へ行くのも、楽しかった。

 ふと気づいたら、そっと後ろから抱きしめられて守られていた、そんな優しさだった。

 いつのまにかに惹かれていた。
 あのひとを好きになっていた。
 その気持ちをとめることができなかった。
 あのひとに、釣り合うような人間になりたかった。
 こんな、何もできない子供ではなくて。

 でも。


 ………………おかあさん。


 本当は、分かっているの。あれは事故だって。
 分かっているの。
 でも、頭で分かることと、心が感じることは、違う。
 私は私が許せない。女王のサクリアが許せない。女王になんて、なりたくない。
 大きくなりたいと望む自分と、大きくなりたくないと望む自分。
 そのどちらも選べない。選びたくない。

 だから、お願い。
 私を起こさないで。
 私を、呼ばないで。











「そうやってすべてを閉ざして、すべてから逃げて、それで君は満足なのか?」
 ふと、必死に大声で呼んでいた声が、穏やかな声音になる。
「すべてを閉ざして、すべてから逃げて、そうして、いつか世界が滅ぶ日まで眠り続けて…………この世界と共に、君も消える。それが、君の本当の望みなのか?」
 穏やかなのに、強い声。
 強さを裏付けるものは、優しさと厳しさ。
「……それが本当に君の望みだというのなら、俺はもう何も言わない。もう君を起こさない。俺がこの地を去る日と、この世界が滅ぶ日と、どちらが早いか分からないが、その日まで、眠る君を見守る」
 込められた決意の重さに、心が痛くなりそうなくらい、言葉が深く突き刺さる。
 言葉には真実しか見つけられなくて。
 いっそ、世界を救うための嘘や偽弁が入っていたなら、もっと楽なのに。
 耳をふさいですべてを閉ざして、はねのけてしまえるのに。
「でも、そうじゃないんだろう? アンジェリーク」











(…………………………うん)











 私が目覚めないことは、世界が滅びるということ。
 わかっていた。
 そして、それを本当は、望んでいなかった。
 すべてを壊す勇気もないくせに、だけど、哀しみを乗り越える勇気もなくて。
 ただ、わがままを振りかざしてるだけだった。
 何かを選ぶことさえ放棄して、こうして、逃げている。すべてから。
 弱くてわがままで愚かな子供。身体が、ではなくて。心が。
 わかっているの。
 でも。



 ………………おかあさん。



「おかあさん。私ね、大きくなったら女王になるよ。それで、おかあさんのこと、守ってあげる!」
「まあ、ありがとう、アンジェ」
 母親はアンジェリークに優しく微笑みかける。幼い娘の、無邪気で純粋で精一杯の望み。それを嬉しく思いながらも、心の何処かに一抹の不安を感じる。
「でも…………守るのは、私だけでいいの?」
 母親の言葉の意味がわからずに、アンジェリークは不思議そうに彼女をのぞき込む。
 その姿に、母親は少し苦笑する。
「そうね、今はまだ、わからないかもしれないわね」
 まだアンジェリークは幼くて、その世界は狭い。反抗期も迎えていない幼い娘にとって、母親の存在は、彼女の世界のほとんどを占めたままだ。だから、大切なものが、まだ母親しか思い付かないのだろう。
「でも、きっと、あなたにはこれから、たくさんの大切なものができるわ。たくさんの大切なひとに出会えるわ。そして、そのひと達を守る力があることを、誇りに思えるようになるといいわね」
 まだこんなにも幼いのに、その運命をすでに決定づけられている娘。
 彼女は将来、この宇宙の女王となる。人々に崇拝され畏怖され敬愛される、至高の存在になる。
 ────それは、あるいは、誰より不幸とも、言えるのではないだろうか。
 けれど、彼女が女王以外の道を望むことはできない。それは宇宙の崩壊を意味してしまう。逃げても逃げられぬ重責が、彼女を縛る。
 だからせめて、彼女がその運命を誇りを持って、望んで受け入れられるようになればいいと思う。
 この世界で大切なものをたくさん見つけて、大切なひとにたくさん出会って    それを、守る『女王』であることを、誇りに思えるように。
「アンジェリーク。大切なものを、たくさん見つけなさい。大切なひとを、たくさん見つけなさい。この世界で、いっぱいいっぱい愛して、いっぱいいっぱい愛されなさい」






 ────────ねえ、おかあさん。
 私、おかあさんを殺してしまった自分が許せない。きっと一生許すことなんてできない。この力を……女王のサクリアを、許すことなんて、できない。
 でも…………。
 大切なものをみつけたの。大切なひとを見つけたの。たくさん。
 それを、まもっても、いいかな…………?






「戻ってこい、アンジェリーク」
 声が、聞こえる。
 大好きなひとの、声。
 似ている、と思う。声が、ではなく、その呼ぶ感じが。
 ……おかあさんに。
 優しくて、あたたかくて、守るように、包み込むように、呼ぶ声。
 …………おかあさん?


「戻っておいで。アンジェリーク」









(…………………………うん)









 扉を開けるの。
 閉ざしてしまった、心の扉を、もう一度。
 もう、守られているだけじゃなくて、今度は私が守れるように。
 大切なものを、大切なひとを、なくさないように。守れるように。
 扉を開けるの。勇気を出して。一歩、前へ。未来へ。

 きっと、あの扉の向こうには…………。


 To be continued.

 続きを読む