あの扉の向こうに(6)


 日の曜日。女王候補寮、アンジェリークの部屋の前。
 オスカーは扉の前で、ひとつ深呼吸をする。
 何をこんなに緊張しているんだと、オスカーは自分でも笑ってしまいそうになる。もしこれが自分ではなく年少組などだったら、腹を抱えて大笑いしていただろう。
 部屋を訪れて、デートに誘う。それだけのことではないか。しかも相手は10歳の子供だというのに。これではオリヴィエにからかわれても仕方ない。
 情けなさが顔に出ないよう少し気を引き締めて、ドアをノックした。
「お嬢ちゃん……アンジェリーク、いるか?」
「オスカー様?」
 扉が開いて、中から小さな女王候補が顔をのぞかせる。さいわいまだ出かけていなかった。
「どうしたんですか、こんな処にいらっしゃるなんて」
 アンジェリークは思わぬ珍客に驚いているようだった。
「お嬢ちゃんをデートに誘いに来たんだが……一緒に公園にでも行かないか?」
「私とオスカー様が、公園でデート、ですか? ……ぷっ」
 自分の言ったことの何がおもしろかったのか、途端に少女は吹き出した。
「? なんだ?」
 いくらオスカーでも、デートの誘いをしてこんなふうに笑われてしまっては、訳が分からない。
「だって、私とオスカー様が、並んで公園を歩いている姿、想像したら……」
 笑いながら、目に涙をためて、息も切れ切れにアンジェリークが言う。
 オスカーもちょっと頭の中で、それを想像してみる。
 いつものように、妙齢の美女を連れているのとは訳が違う。プレイボーイと知れるオスカーの隣に、年端もいかない少女……。
「………………」
 確かにオスカーが10歳の少女を連れ歩いている様は、ほとんどの人の目に犯罪のように映るだろう。オスカーにもそれくらいの自覚はあった。
「……じゃあ、お嬢ちゃんの部屋で話でもさせてくれないか? このまま帰るってのは、寂しすぎるからな」
「部屋で……ですか?」
 アンジェリークはその誘いを受けるか否か、迷っているようだった。
「駄目なのか?」
 いくらなんでも、部屋に入れた途端襲われるかも、などと思ってためらっているわけではなかろうが、ここで断られたら断られたで、オスカーにはショックである。
 そうは見えなくても、オスカーはかなりこの小さな少女に心を奪われているのだ。今日だって、なかなかの決心をして、デートに誘いに来たのだ。
「駄目ってことはないんですけど、この部屋、何にもないから。あの、お出しするお菓子もないし」
「そんなこと構わないさ。俺は君と話が出来れば十分さ」
「そうですか? ……じゃあ、どうぞ」
 アンジェリークは扉を大きく開いてオスカーを中に招き入れた。
 部屋を一望して、オスカーはちょっと驚く。
 本当に、何もない部屋だった。
 あるのはテーブルがひとつと椅子がふたつ。ベッドと棚と机。おそらくそれらは備え付けのものだろう。
 言ってしまうなら、その部屋にあるのは家具だけだ。必要最低限の家具や物以外、何もなかった。
 およそ女の子の部屋とも、子供の部屋とも思えない、殺風景な場所だった。
 ごちゃごちゃと物を置くのが嫌いとか、シンプルな部屋が好きとかいう好みもあるかもしれないが、それでもアンジェリークの部屋は、何もなさすぎた。
 たとえばオスカーだって故郷からここへ来るとき、色々なものを持ってきた。家族の写真だとか、代々伝わる剣とか。そういうものを部屋に置いていた。他の者もそうだろう。もう一人の女王候補ロザリアなどは、下界で使っていた家具をそのまま一式運ばせ、ばあやまで連れてきているという。
 けれどアンジェリークは、そういうものが一切ないのだ。なにも持ってきていないのだ。否、おそらくは、持ってくるものがなかったのだ。
 自分の居場所を確立するものがなにもないのだ。
(他に行く処がないからここへ来たっていう意味を考えたことがある?)
 このあいだ言われたオリヴィエの言葉が思い出された。
 オスカーは、それは自分達が聖地に招かれたのと同じような意味だと単純に考えていた。女王候補として聖地に招かれれば、普通それを断ることはできない。だからここへ来たのだと、そういう意味だと思っていた。
 けれど、違ったのだ。本当に、彼女には何処にも行き場がなかったのだ。
 たとえば女王になることなく試験が終わったとしても、ロザリアには帰る家があるだろう。守護聖達も、任期が終わったら、すでに待つ人はいなくても帰る場所があるだろう。
 けれどアンジェリークは、おそらく、帰る場所も行く場所も、持ってはいないのだ。
 そして、ここさえ、彼女の居場所ではないのだ。
 オスカーは胸を掴まれるような想いがした。
「ごめんなさい、何もなくて」
 言いながら入れてくれるお茶は、飾りもなにもない質素なカップに注がれる。およそ来客用のものではない。
「なあ、お嬢ちゃんの好きなものはなんだ?」
 オスカーはアンジェリークに尋いた。
「好きなもの、ですか? そうですね……うーん、急に言われても思い付かないですね」
「ぬいぐるみとか好きか? 花は?」
「もちろん好きですよ」
 アンジェリークは可愛らしく答える。
「他には……好きな色とか、好きな動物とか……なんでもいい。教えてくれないか?」
「……いいですけど。どうしたんですか、オスカー様」
 不思議そうにするアンジェリークに構わず、オスカーは質問を続けた。
 知りたかった。アンジェリークのことを、もっと。



 それからオスカーは何度もアンジェリークの部屋を訪れた。そのたびに色々なプレゼントを持って。ぬいぐるみや、花や、かわいい壁掛け。殺風景なアンジェリークの部屋を、色々なもので満たしていった。
 オスカーはアンジェリークを満たしたかった。しあわせとか、楽しみとか、笑顔とか。そんなものでこの小さな少女を満たしてあげたかった。
 もちろん物ですべてが満たされるなんて思っていない。けれどまず、ここが彼女自身の部屋だと、思わせてあげたかった。好きなもの、お気に入りのもので埋め尽くして、ここにいたい、ここに帰りたいと思える部屋にしてあげたかった。
 オリヴィエどころかランディまで呆れるほどのかいがいしさで、オスカーはアンジェリークの部屋を訪れた。
 やがて何もなかったアンジェリークの部屋が、オスカーからのプレゼントで埋め尽くされてしまうまで。


 To be continued.

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