Go home, sweet sweet my home! 1


 飛空都市は全くもって平和だった。
 今は女王試験中で、実は宇宙崩壊の危機にあるなどということは、はっきり言ってみんなの脳味噌からすっぱりさっぱり忘れ去られ、聖地と同じ常春の気候の中で、思い思いに気ままに暮らしていた。
 そんな飛空都市に暮らす人々の唯一の気がかりといえば、試験のことでもなく宇宙のことでもなく、愛すべき金色の天使が、何をどう丸め込まれたのか、聖地一の遊び人と言われていた炎の守護聖オスカーに引っかかってしまった、ということであった。
 女王候補として飛空都市にやってきた金色の天使アンジェリークは、とてもとても可愛らしく、誰もが愛し、誰もが狙っていたのに(老若男女問わず)、よりにもよって、あの、女たらしに引っかかってしまったのである。
 一時は皆、何とかふたりを引き離そうと(あるいはオスカーを闇に葬ってしまおうと)画策していたが、だがしかし、オスカーも本気らしく今はアンジェリーク一筋だし、何よりアンジェリークがしあわせそうなので、もうそれ以上は誰も口出し(手出し)できなくなってしまった。
 このままだとやがてロザリアが女王になって、アンジェリークは補佐官となるだろうというのが、みんなの見解であった。



 …………が。



 アンジェリークが倒れた、という知らせがオスカーの元に入ったのは、お茶の時間を少し過ぎた頃だった。
 アンジェリークとは、今日一緒にお茶をしようと約束をしていたのに、時間になっても来ないので、オリヴィエかマルセルあたりに捕まって引き止められているのかと思っていたところ、使いの者がその知らせを伝えに来た。アンジェリークが廊下で倒れ医務室に運ばれた、というのだ。
 オスカーは世界記録更新の速さで医務室へと急いだ。
「アンジェリーク!!」
 ノックもせずに医務室の扉をぶち開けた。扉が壊れなかったのは、奇跡だろう。あるいは、よっぽど職人の腕がよかったのかもしれない。
 医務室には、結構な人数がすでに詰めかけていた。ベッドに寝ているアンジェリークの周りにはロザリアもディアもいるし、ジュリアスを筆頭にすべての守護聖がいた。どうやら(故意に)オスカーへの知らせが一番遅かったようだ。
「アンジェリークは大丈夫なのか!?」
 オスカーはともすれば剣を抜きそうなほどの勢いで詰め寄る。それは物凄い迫力で、反乱を起こしている群衆でさえ、思わず引くかもしれないほどの激しさだった。
 だが、今日その場にいた人々は、そんなものには動じなかった。通常だったなら、動じたかもしれないが、今日は違った。
 皆が、半眼になり、冷た〜〜い視線をオスカーに投げ付けていた。
「……? なんだ?」
 アンジェリークのことが心配で気が動転しているとはいえ、その不穏な空気にオスカーも気づかずにはいられない。マルセルやゼフェルやリュミエールあたりの冷たい視線なら慣れてもいるが、今日は、全員が半眼で冷た〜〜い視線をオスカーに送っていた。
 ジュリアスのこめかみには青筋が浮かんでいるし(でもこれは結構日常茶飯事の現象だが)、あの穏やかなルヴァでさえ目がすわっているし、あのランディぼうやも目がイッてしまっている。ロザリアに至っては明らかなる殺気がみなぎっていた(彼女の手にあるナイフも確認された)。
「……アンジェリークが、倒れたと聞いたんだが……」
 なんとなく、部屋中に満ちる敵意のオーラに押されてちょっと声が小さくなってしまう。
 当のアンジェリークは、部屋の真ん中にあるベッドに横たわって寝ているのが、オスカーからも見える。見たかぎりでは異常もなく、大丈夫そうである。
 ……が、この不穏な空気と敵意は、一体何だろう。
「…………オスカー様」
 不意に、後ろから暗い声がかけられた。地を這う、というのがふさわしい、重い声だった。
 オスカーがおそるおそる振り返ると、やはり半眼になって冷た〜〜い視線の、医者と思われる男が立っていた。だがしかし、彼はまだ守護聖達に比べると多少視線はゆるい(もちろん、あくまで守護聖と比較した場合、であり、多少ゆるい程度であって、十分冷たい視線なのだが)。
 オスカーは彼に尋いてみることにした。
「アンジェリークの容体はどうなんだ?」
 その質問に、ふっと、医者が鼻で笑ったような気がした。オスカーの被害妄想かもしれないが。
 彼はそれにすぐには答えず、まず、オスカーの後ろにいる守護聖首座と補佐官に意見を求めるように視線を送った。
 意見を求められた二人は、やるせなそうに、けれど仕方なく、重々しくうなずく。それを見て、医者の彼はやっとオスカーに向き直った。
 オスカーと向かい合った彼は、飛空都市という、宇宙でも最高峰の医療機関に従事する者として、なんとか医者の顔を取り戻して、オスカーにはっきりと告げた。





「アンジェリーク様は、妊娠しておられます」





「………………は?」
 間の抜けた、なんとも気のない返事であった。それは、あまりのことに動転して、脳の活動が追い付かなかったためであるのだが、周りの者の殺意を増長させるには十分な返事だった。
「は、ではありません。アンジェリーク様は妊娠していらっしゃるのです。おなかに子供がいるのです。分かりますか?」
 医者が、拍手を贈りたくなるほどの忍耐力で、オスカーにもう一度そう繰り返した。彼に医者としてのエベレスト並の高いプライドと誇りがなければ、とっくにこの赤毛の男を殴っていただろう。
「…………………………………………」
 もちろんというかなんというか、オスカーは身に覚えがあった。
 オスカーの名誉のために言っておくなら、彼はそれほど迂闊な人間ではない。ベッドを共にする女性に対して、いつもはちゃんと処置を施していた。あれだけ女遊びをしていながら、今の処「この子は貴方の子よ!」などと駆け込んでくる女性がいないのがその証拠だ。
 だが、アンジェリーク相手になると、最愛の少女であるし、彼女の身体がイイということもあるし、思わず夢中になってしまって、いつも後先忘れて没頭してしまったのだ。そしてあとは原因と結果と言うべきか。
「…………まあ、とりあえず、お前の言い分を聞こうではないか」
 ぐぁしっ、と、オスカーの肩に手が置かれた。手にも青筋の立った光の守護聖である。そのまま肩骨を握りつぶそうとしているのではないかと思われる握力で、肩を掴んでくる。もちろんのごとく、助け舟を出してくれる者はいない。
 それどころか。
「私も、お話しを聞かせていただきたいと思いますわ」
 ジュリアスとは反対側の肩をディアが掴んだ。こちらは握力がない分、綺麗に磨かれマニキュアでコーティングされた爪が、オスカーを襲う。
「私は争いごとは嫌いなのですが……しかたありませんね」
 と言いながら、何故か水の守護聖はハープの弦だけを、手に巻き取っている。両手で強く引っ張り強度を確かめているその様は、必殺仕事人以外の何者でもない。
 他の者の手にもそれぞれ凶器が握られ、眼が明らかにオスカーを狙っている。
 ちなみに闇の守護聖だけは、手に凶器ではなく、ひとり部屋の隅で必死に呪いの呪文(であると思われる理解不能な言葉)をつぶやいていた。この集団の中では一番可愛い行動であり、一番不気味でもある。まあ、どちらにしろ、彼もオスカーの敵であることには変わりないが。
 ただひとり彼の味方である(だろうと思われる)アンジェリークは、まだ眠ったままだ。
「じゃあ、向こうに行きましょうか〜、アンジェリークを起こしてはまずいですからね〜」
 声は相変らず穏やかで柔らかいくせに、目だけは笑っていない地の守護聖が率先してドアを開けた。
 皆に引っ立てられ、オスカーは連れられてゆく。冷汗が全身を滝のように流れる。一体このあとどんな拷問が待ち受けているのか。
(アンジェリーク〜〜〜)
 声にならない叫びは、もちろん誰にも届かない。むろん、届いたところで誰もオスカーを助ける気などさらさらないが。
 金色の天使は、ただひとり、いい夢を見ているのか、ベッドでまどろんでいる。



 飛空都市は相変らず平和だった。…………たぶん。


 To be continued.

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