この、腕の中の君に
-Last Kiss for dear Doze Angel-
2


 新しく即位した金の髪の女王は、宇宙の移転を成し遂げた後、皆の前に姿を現すことがなかった。守護聖の前にさえ現れない。必要なことは、補佐官となったロザリアを介して伝えられ、行われていた。
 唯一今もアンジェリークに頻繁に会っているロザリアの話では、彼女は具合が悪いらしく、ずっと伏せっているのだという。
 その話を聞くたびに、オスカーは胸が苦しくなった。
(アンジェリーク)
 本当に具合が悪いのだろうか。大丈夫なのだろうか。
 それとも、具合が悪いと言うのは口実で、泣き伏せているのだろうか。無理に女王にした自分の顔など見たくもなくて、謁見さえ行わないのだろうか。
 彼女が泣いているのかもしれないと思うと、わずかに心が痛んだ。けれど、そんな想いはすぐに振り払う。
 これでよかったのだ。
 会う機会もないというのなら、いっそ都合がいい。
 下手にその姿を間近で見続けるよりずっと気が楽だし、そのほうが、自分も彼女をすぐに忘れられるだろう。
 そしてやがてはアンジェリークも自分への恋心など失くし、ただの女王と守護聖になるのだ。
 多少は気まずい思いをするかもしれない。恨み言のひとつも言われるかもしれない。でも、それだけだ。それだけのことだ。
 あの予言が実現されるよりはよっぽどいい。
(────…………)
 不意に、ノックの音がした。オスカーは急に現実に引き戻される。
「失礼します、オスカー様」
 執務室に、ひとりの青年が入ってきた。
「エルンストか」
 彼は稀にみる才能を評価され、つい最近聖地の王立研究院の主任に抜擢された青年だった。
 その前評判に違わず、彼は優秀な働きぶりを見せていて、この移転した宇宙に関しての問題点やその対策を次々と見つけだしていた。その仕事ぶりは、ジュリアスも感心していたし、オスカーも高く評価していた。
「宇宙に関しての、新しい報告があるのですが……」
 いつも冷静に物事をはきはきと話す彼にはめずらしく、何かを言いよどむような声だった。
 それが引っかかった。直感的に、何かあったのだと分かった。
「何かあったのか?」
「女王陛下は、最近お加減が悪いとうかがっております。それは……おそらく、この宇宙のせいです……」
「宇宙が?」
 意味が分からずに聞き返す。
 姿を見せないアンジェリークは、具合が悪いと言うのは口実かと思っていたが、違うというのか。しかも、それが宇宙のせいとは、どういうことなのか。
 嫌な予感が、背筋を駆け上がった。冷たく気持ち悪い汗が、胸元を伝う。
 エルンストはためらいながら、ゆっくりとその言葉を口にした。
「……はい。この宇宙が、女王陛下のお力すべてを……サクリアだけでなく、その力すべてを奪っているからだと思われます」
「…………すべての力?」
 エルンストの持っていた資料を、ひったくるように奪った。そこに、急いで目を通す。そこには、現在の宇宙と女王の関係についての報告が書かれていた。
 この宇宙は、女王の力によって成り立っている。そのサクリアによって、支えられている。
 守護聖のサクリアは、宇宙やそこに住む人々に与えられ、その発展をうながすものだが、女王のサクリアは、その基盤を支えるもの、宇宙の存在自体を支えるものだ。
 だから宇宙が存在するために、女王のサクリアは不可欠だ。
 移転したばかりのこの不安定な宇宙は、その存在を支えるために、大量の女王のサクリアを必要としていた。もちろん、アンジェリークも出来るかぎりサクリアを送っているが、それでもまだたりない状態だった。
 今、宇宙自身がなんとか安定しようと、勝手にアンジェリークのサクリアを吸い上げている状態だった。
 けれど、サクリアだけでは、まだ足りなくて。
 宇宙は、アンジェリークのサクリアだけでなく、彼女の命そのものまでも吸い取って、それをサクリアに変えて、その力で安定しようとしていた。
 オスカーはその報告に愕然とする。
 命をサクリアに変えて、吸い取られ、奪われ続ける力。それが続けば。それが全部奪われたら。
「それじゃあ…………女王は…………アンジェリークはどうなるんだ…………」
 呆然と、つぶやく。
 サクリアだけでなく、命まで吸い取られて、彼女はどうなってしまうというのか。
 エルンストは、そっと、眼鏡を押し上げた。言いたいくないことを言わなければならない。オスカーをまっすぐに見ることが出来なくて、床を見つめた。視線が、足もとをさまよう。
「おそらく、この宇宙はもうすぐ安定するでしょう」
 本当は、オスカーも、聞かなくても分かっていた。
 聞きたくなかった。本当は、耳をふさいで逃げ出したかった。

「女王陛下のお命と引き替えに……」





 目の前が、暗くなった。
 足もとが崩れていくような錯覚に捕らわれる。
 自分が倒れてしまわないのが、不思議だった。






(アンジェリーク…………)






『オスカー。おまえは、いつか』

 遠い声が聞こえる。
 あのぼけた老人を、大人達は、彼は予言者だとあがめていた。

『愛する者を、その手で』

 信じてなどいなかった。
 否、信じていた。
 だから、それが実現することが怖くて、彼女を、女王にした。
 それなのに。







『死へと、導くだろう…………』










 予言は、成就した。




 To be continued.

 続きを読む