この、腕の中の君に
-Last Kiss for dear Doze Angel-
3


 この宇宙は、女王の命を吸い取って、安定しようとしていた。
 やがて、宇宙は安定するだろう。女王の命と引き替えに。
 その報告は、守護聖首座と女王補佐官にも伝えられた。
 報告を聞いて、泣き崩れる補佐官と、言葉を失って立ち尽くす光の守護聖を、誰もどうすることもできなかった。
 アンジェリークから命を吸い取り続ける宇宙を、誰もどうすることもできない。
 このまま、彼女が弱って死んでいくのを、指をくわえて見ていることしかできないのだ。
 もし、誰かの命と引き替えにアンジェリークが助かるというのなら、オスカーはためらいなく何人でも殺すのに。自分の命と引き替えに彼女が助かるというのなら、ためらいなくこの心臓をえぐり取って差し出すのに。
(……アンジェリーク……!)
 こらえきれなくなり、オスカーは、アンジェリークに会いに静かな夜の女王の私邸に忍び込んだ。宮殿の奥が、女王の私邸になっているのだ。
 思いのほか簡単に、誰にも見つからずに中に入りこむことが出来た。自分が警備責任者であるといえど、こう簡単に入り込めるとは呆気なさすぎる。平和に慣 れきった警備兵の職務怠慢だろうか。もしも女王に何かあったらどうするんだと、自分が忍び込んでいることを棚にあげて舌打ちする。
 ……あるいは、自分が忍び込むことなど、皆気づいていて、それでも見逃してくれているのだろうか。この、哀れで間抜けな男に、いくばくかの慈悲を与えているのだろうか。
 アンジェリークの私室である部屋のドアを、そっと、音を立てないように開ける。
 広すぎて寂しい感じのするその部屋に、オスカーは足を踏みいれた。
 彼女が女王候補だったころの、寮の部屋とはまるきり違っていた。それは、部屋の広さや調度品の質の問題だけではなくて。オスカーが彼女の部屋を訪れるたび感じていた、彼女そのもののようなあのあたたかさが、この部屋にはなかった。
 部屋の真ん中に置かれた大きなベッドで、アンジェリークは眠っていた。そっと近づいて、寝顔を眺めた。顔を見るのも、ずいぶんひさしぶりだった。
 その顔色は、決してよいとはいえない。前よりずいぶんやつれたと、はっきりと分かる。かつて桜色をしていたその頬が、今は青白く見えるのも、暗さのせいだけではないのだろう。

 彼女の命は、この宇宙に吸い取られていて。
 誰もそれをとめることが出来ない。

 そっと、眠っているアンジェリークの金の髪に触れる。やわらかな髪も、前よりも艶をなくしているように感じた。
 そっと撫でていると、かすかにアンジェリークが身じろいだ。
「…………? …………だれ…………?」
 目を覚まし、かすれた声で誰何する。
「アンジェリーク……」
「…………オスカー?」
 驚いたように、アンジェリークがベッドの上に身を起こした。
 起きあがると、夜着の上からでも、やつれて細くなった身体の線がはっきりと分かった。そんなことが、現実を目の前に突きつける。
 消えそうな、命の灯火。
 そうさせたのは、オスカーだ。
「許してくれ。許してくれ、アンジェリーク」
 オスカーは身をかがめて、アンジェリークの手に額を押し付けて、そう繰り返した。
「オスカー?」
 突然の、そんなオスカーの様子にアンジェリークは驚く。
「どうしたの? 何があったの?」
 問われても、それに答えることなどオスカーにはできない。ただ、何度もかぶりを振った。
 君はもうすぐ死ぬなどと、伝えられない。どうして伝えることができよう。
 おそらくその事実は、ジュリアスもロザリアも研究院も、本人にはひた隠しにしているだろ。
 けれど。
「…………私が、死ぬこと?…………」
 ぽつりと、アンジェリークはそうもらした。
 驚いて、オスカーは顔をあげて、少女の顔を見つめた。やせて一回りちいさくなったように見える顔が、それでも昔と変わらずに微笑んでいた。
「わかるの。毎日、サクリアを放出するときみたいに、私のなかから何かが宇宙へ吸い取られているって。そのたびに、どんどん起きあがるのも大変なほどになってくるし。皆の様子も変だし……」
 まるで、明日の天気でも予想するかのように。アンジェリークは穏やかに言葉を続ける。
「何より、オスカーがまたこうして会いにきてくれるなんて、それくらいのことじゃなければ、きっとないでしょう?」
(…………アンジェリーク)
 彼女を、甘くみていた。それを痛感し、そして激しく後悔する。
 どんなに普通の少女のように見えても、そして実際普通の少女であるのだけれど、それでも同時に、彼女はこの宇宙の女王だった。オスカーが無理に女王の座に就かせたのだとしても、宇宙に選ばれるだけの資質と要素を持っていた。
 自分の身に起きていることに何も気づかずにいるほど愚かではない。誰に教えられなくとも、自分で考え、結論を導きだしたのだろう。あるいは、女王のサクリアが、それを悟らせたのかもしれない。
 自分の死を感じながら、それでも変わらずに微笑んでいるアンジェリークが、余計痛かった。
「俺のせいだ、俺が……!!」
 オスカーは苦しげに叫んだ。それに、アンジェリークはゆるく首を振る。
「結局、私かロザリアか、どちらかしか女王になれなかったんだもの。しかたないわ」
 それは確かに真実だった。
 この時代で女王になれるのは、アンジェリークかロザリアだけだった。もしもロザリアが女王に選ばれていたなら、彼女が死ぬことになっていたかもしれない。
 だったらロザリアが死ねばよかったんだとまで言う気はない。言う気はないけれど。もしも自分があのときサクリアを送らなければ、アンジェリークは女王にならなかっただろう。死ぬことはなかっただろう。
 すべては、あの、予言どおりに。
「……俺が、君を愛したせいだ」
 オスカーは震える声で言葉を絞りだした。
「俺は、知っていたんだ。俺が君を愛したら、君を死なせてしまうと。そう予言されていた」
「予言……?」
「昔、言われた。俺は、いつか、愛する者を死へと導くと。だから、君を女王にしてこの想いを断ち切れば、予言なんて成就しないと思っていたのに……!!」
 あの予言どおりになるのが怖くて、あの予言を叶えないために動いたつもりだったのに。だからアンジェリークを女王にしたのに。
 結局それは、予言を成就させた。それこそが、予言を成就させた。まるで、操られるかのように。
 オスカーがアンジェリークを愛し、女王にしたことで、彼女は死ぬ。予言のとおりに。オスカーが、死へと、導いた。
 あるいは、オスカーが無理に女王になどしなければ、たとえば正規の試験の結果で女王になっていたなら、こんなふうに宇宙に力を吸い取られることなどなかったのかもしれない。死ぬことなどなかったのかもしれない。
「君を愛してはいけなかったんだ。分かっていたのに、愛した、俺の罪だ……っ!!」
「莫迦ね、オスカー」
 自分にすがりついて、懺悔の言葉を吐きながら、泣いて震えている男のその赤毛を、アンジェリークはそっとなでた。
「オスカー。ねえ分かる? 私、うれしいのよ」
 それは、その場に不似合いなほど、穏やかで明るい声だった。
「私はもうすぐ死ぬかもしれないけど、それは、あなたが私を本当に愛してくれた証なんでしょう? それを知って、私、うれしいの。あなたが私を避けて、私を女王にしたのは、私を愛していたからだって、私を守ろうとしてくれていたからだって知って、嬉しいの」
 オスカーは顔をそっとあげた。泣き崩れたその顔を、隠しもせずにアンジェリークにまっすぐ向ける。
「アンジェリーク…………」  アンジェリークはその頬をそっと包み込んで、彼の頬を流れる涙を拭ってやる。
「お願いがあるの」
 翡翠の瞳が、オスカーをまっすぐに見つめた。

「私を愛しているなら、傍にいて」

 穏やかな声が、オスカーに告げる。

「私が死ぬなら、その瞬間まで、傍にいて。その瞬間まで私を愛して」

「アンジェリーク」
 オスカーは腕を伸ばして、目の前の身体を、抱きしめた。
 その身体は、以前抱きしめたときとは比べものにならないほど、細くなっていた。
 力の限り抱きしめたいと想う気持ちと、力を込めたら壊してしまうのではないかと想う気持ちがぶつかりあって、うまく抱きしめることもできない。
 それでもそんなオスカーの背中に、そっと、アンジェリークの腕が回された。
「傍にいるから。ずっと傍にいるから」
 泣きながら、オスカーはそう繰り返した。
 そんな約束しかできない自分が憎かった。そんな約束しか望まない彼女が哀しかった。
 それでも出来ることは、その約束を叶えるために、ただ傍にいることだけだった。


 To be continued.

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