Sacrifice 〜孤独の槍は女神に抱かれて〜
1


 その日、アンジェリークは、同じ女王候補のロザリアと年少組の守護聖3人と共に、公園のテラスでおしゃべりをしていた。
 アンジェリークは、はじめはライバルだったロザリアともすぐに打ち解けて、今では休日を共に過ごすことも多くなっていた。今日も二人でいた処に、年少組の守護聖3人が女王候補二人の姿を見つけて寄ってきたのだ。
 うららかな春の陽射しの下、皆でたわいない話に花が咲く。
「それでチュピったらね、飛び立とうとしたときに机の上のインク壷を、書類の上に倒しちゃったんだ。それに驚いて着地したら、ちょうどインクの池の上で、書類にはインクのシミと一緒にチュピの足跡までついちゃってね……」
「まあ、とっても重要な書類だったんでしょう? ジュリアス様に怒られませんでしたの?」
「もちろんすっごく怒られたよ。僕が書類駄目にしたこと報告に行ったら、こんなふうに目を吊り上げちゃってさ」
 マルセルがそれを真似るように、自分の目の脇を引っ張ってつり目を作る。その顔の面白さと、そのときの光の守護聖のたやくすく想像できる怒り顔に、皆で笑い合う。
「ったく、何がおかしいんだよ。お前が駄目にしたその書類ってのは、お前が見た後に俺の処に回ってくる奴だったんだぞ。こっちがどれほどメーワクしたと思ってんだよ」
 ゼフェルが、笑い声を打ち崩すように言い捨てた。
 すぐにランディがそれを咎める。
「ゼフェル! そんな言い方ないじゃないか!」
「またおめーもうるせーんだよ!」
「やめてよう、なんで二人ともすぐ喧嘩するの!?」
 火花を飛ばす3人を止めようとはせず、それをアンジェリークは笑って見ている。
 はじめのころはびっくりしてすぐに仲裁に入っていたが、彼らと付き合ううちに、本当はそんな必要などないことを知った。この3人は喧嘩ばかりしているようにみえても、実際はとても仲がいいのだ。こうして喧嘩ごしに言い合うのも、子犬達がじゃれ合っているようなものだ。お互いを信頼しているからこそできる。
 おそらく、この3人にとってお互いは、数少ない友達なのだ。もともと同い年が少ないうえ、守護聖という立場上、一線引かれ、敬われてばかりいる彼らにとって、対等に気軽に付き合える、大事な親友なのだ。
 はじめは、守護聖という立場や外面だけの印象で彼らを測ってばかりいたが、試験が始まり、彼らと長く付き合うようになると、ぱっと見だけでは分からない裏側も分かってくるようになった。たとえば軽く見られがちな夢の守護聖はいちばん他人のことを気遣い思いやる人だったり、光の守護聖と闇の守護聖は仲が悪いように見えて実はそうでもなかったり。
 大抵は、知れば知るほど彼らが好きになり、付き合いやすくもなった。今では飛空都市にいるほとんどのひとと仲良くなれたと思っている。
 ……ただひとりの、例外を除いては。
「あ、オスカー様だ」
 ふと顔をあげたマルセルが、嫌なものでも見つけてしまったかのような口調で言った。それにつられて、皆がマルセルの視線の先を追う。
 ちょうど公園に炎の守護聖が入ってくる処だった。
 彼の隣には、彼の腕に胸を押しつけるようにしなだれかかった、肉感的な女性がいた。夜の花街にこそふさわしいその様子に、皆が眉をひそめる。彼の傍に同じ女性が二度以上いる処など、見たことがなかった。
 まさかデートに来たわけでもないだろう。おそらくは、公園を通り抜けるのが近道だったから通っただけであろう。
(……オスカー、様)
 飛空都市の中で、アンジェリークがいまだ仲良くなれていない、ただひとりの人物だ。
 オスカーの通ろうとしていた道は、ちょうどアンジェリーク達のいるテラスのすぐ脇を通っていた。自然、オスカーもそこにいた彼らを見つけた。
 軽く手を上げて、一見快活そうに挨拶してくる。
「よお。こんな処で子供同士でおしゃべりか? ま、お子様にはお子様がお似合いだけどな」
 そこには明らかに彼らを莫迦にした響きが入っていた。
 気の強いロザリアが、すぐにそれに反論する。
「オスカー様、失礼ですが、子供扱いしないでくださいませ!」
「お嬢ちゃん達は十分子供だろう?」
 そう言ってオスカーは、アンジェリークとロザリアの頭の先から足の先まで、身体のラインを辿るように視線を走らせる。そのあと自分の隣にいる女性の身体に目をやり、その差を鼻で笑った。ロザリアがその仕打ちに、カッと頬を紅潮させるのが傍目にも分かった。
「せいぜい素敵なレディになれるよう努力するんだな。おっと、お嬢ちゃん達の場合は、立派な女王、かな」
 さらに食ってかかろうとしたロザリアは、けれど、あまりの怒りに次の句が告げないようだった。
 オスカーは隣の女性の腰を抱き寄せるようにして促し、アンジェリークらに背を向けた。片手をひらひらと振ることを挨拶代わりに、公園から出てゆく。
 皆、それを茫然と見送るしかできなかった。
 オスカーと女性の姿が見えなくなってから、やっとロザリアも我を取り戻したようだった。
「オスカー様って、失礼な方よね!」
 苛立ちをぶつけるように、言葉を吐き捨てる。いつも優雅な彼女には似合わぬ物言いだ。それほど、屈辱と怒りを感じているのだ。
 ゼフェルは嫌なものでも追い払うかのように、空中で手を振ってみせる。
「あんなオッサンのことなんか気にしたってしょうがねーだろ。無視しとけ、無視」
「僕も、オスカー様って嫌いだな。いっつも違う女のひと連れてるし、僕らのこと、すぐ莫迦にするんだもん!」
 マルセルも、頬をふくらませて言う。いつも違う女性を連れ歩いて、自分達を必要以上に子供扱いしてからかう炎の守護聖を、あまり快く思っていないようだった。あんな態度を取られて、好意を持つほうがおかしい。
 それまで黙っていたランディも、皆につられてか、ぽつりともらす。
「……本当言うと、俺も……。たまに剣の稽古つけてもらうことあるけど、そういうとき、弱い俺をすごく莫迦にするんだ。確かに俺、オスカー様ほど強くないけど、強くなりたいから頑張ってるのに……」
 そのときのことを思い出したのか、風の守護聖が、膝の上で強く手を握り締めるのが分かった。あの炎の守護聖は、この明るく楽観的なランディにこんな顔をさせるほど、酷いことを言ったのだろう。彼の心情を思いやって、皆がいたわるような視線をランディに向けた。
 オスカーに関して、いい噂など聞いたことがなかった。そして実際、彼は噂にたがわず、酷い行動ばかりを取っていた。
 彼の整った見た目や守護聖という地位から、彼にまとわりつく女性が途絶えることはなかったが、彼をまともに好きだという者など、聖地にも飛空都市にもいなかった。
「アンジェも、オスカー様嫌いだよね?」
 同意を求めるようにマルセルがアンジェリークをのぞき込んだ。
 それに速効でうなずいたとしても、別に蔑まれたりすることはなかった。彼の酷さは皆知っていて、皆快く思っていない。むしろ、それにうなずかないほうが、おかしいと思われるだろう。
「私は…………」
 それでもアンジェリークは言い淀む。何かを考えるように、くちびるに指先が触れた。
 その姿に、その場にいた者達は不審げなまなざしを送る。あの炎の守護聖に対して、何を考えることがあるというのだろう。
「アンジェリークは優しいから、誰かを嫌うなんてできないんだよ」
 ランディが、アンジェリークをかばうように言った。
「そっか! アンジェ優しいもんね!」
「けっ、あんな奴にまで優しくしてやることねーじゃねーか」
 皆その理由に納得する。誰からも愛されるこの少女の優しさは、誰もがよく知っていた。その優しさにこそ、皆惹かれているのだから。
(そうじゃない……)
 言葉には出さず、けれど、ランディのその言葉をアンジェリークは否定する。
 そうではなかった。アンジェリークもオスカーが嫌いだった。少し前までは。
 いちばん最初、飛空都市に来たばかりの頃は、その整った見た目に惹かれたりもしたが、接してみて、その冷たい態度やひとを莫迦にするような態度にアンジェリークも深く傷つき、オスカーが嫌いになった。
 会うたび意地悪を言われるので、あまり近づかないようにしていたのだが、それでも育成など必要に迫られて、彼と何度か接した。やはりそのたびに、言葉や態度で傷つけられた。
 彼はそういうひとなのだと思っていた。
 人を傷つけて喜ぶ、自分の優位を感じて喜ぶ、そういうひとなのだと思っていた。
 けれど、あれは、先週のことだった。
 その日、オスカーに育成を頼んだとき、育成率の悪さを笑われて、アンジェリークは苛立ちながら帰ろうとしていた。
 苛立ちをぶつけるように乱暴に扉を閉めようとして……扉が閉まる、その最後の一瞬、寂しげな瞳をしたオスカーの姿を見た……気が、した。
 それはほんの一瞬で、あっと思った次の瞬間には扉は大きな音を立てて閉まってしまった。彼女の見間違いだったのかもしれない。光の加減で、薄氷色の瞳が、そう見えただけかもしれない。
 けれど……。
(今のは、何?)
 思わず、そのまま扉の前で立ち尽くしてしまうほど、それは寂しげな瞳だった。
 あんな寂しげな、哀しげな瞳をする者など、アンジェリークは見たことがなかった。
(あれが…………あのオスカー様?)
 いつもの、あの意地悪で酷い彼からは想像もつかなかった。あんな瞳は、いつもの彼に結びつかなかった。
 あれはただの見間違いだったのだと忘れてしまおうとした。けれど、それからいつもその瞳のことが、頭の片隅に引っ掛かっていた。
 もし……あの寂しげな瞳が見間違いではなかったら?
 彼は、本当は寂しい思いをしているのだとしたら?
 そしてそう思いながらオスカーを見ると、彼の行動が、今までとは少し違ったように思えてきたのだ。
 彼は、わざと酷いひとのふりをして、ひとを遠ざけようとしているように思えた。
 嫌われるよう、憎まれるよう、わざと憎まれ口を叩いて、わざと気に触るような行動をして。
 さっきのこともそうだ。あんな言い方をすれば、皆が不快になることくらい、分かるはずだ。だったら、無視して通り過ぎればよかったのだ。
 それを、わざと、あんなふうな態度をとっている。
 皆、彼の表面的な冷たい言葉や意地悪な態度にだまされて、それに気づいていないようだった。アンジェリークも、もしあの瞳を見ることがなかったら、ずっと気づかずにいただろう。おそらくは彼の思惑どおり、彼を嫌い、できるかぎり近づくこともしないでいただろうから。
 オスカーはひとりぼっちだった。
 まわりに女のひとをはべらせているように見えても、それは皆一夜かぎりのこと。ジュリアスなどには直属の上司として仕えているが、だからといって親しいわけではなかった。仕事はきちんとこなすが私生活はただれているオスカーを、彼もそう快くは思っていないのだ。
 そしてその状況を、彼はわざと自分で作っているのだ。
 あんな寂しそうな瞳をしながら。それでも。
 それに気づいたとき、アンジェリークの中から、彼を嫌いだという気持ちが少し消えた。
(どうして貴方は、そんなことをするの? そんな瞳をするの?)
 彼が何故そんなことをするのか、その理由を知りたいと思った。


 To be continued.

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