Sacrifice
〜孤独の槍は女神に抱かれて〜
2 |
アンジェリークは、炎の守護聖の執務室を訪れようとしていた。
今までは、必要最小限の育成を頼みに行くだけで、それ以外は近づこうともしなかったのに、今日は育成の必要もないのに、そこへ足を向けた。
行けば、意地悪や皮肉を言われるのは分かっていた。だから、それが嫌で近づこうとしなかったのに、用もないのに自分から足を向けるのはひどく勇気がいった。何度も何度も引き返そうと思ったくらいだ。
それでもオスカーの処へ行ったのは……知りたかったからだ。
彼の、あの、寂しげな瞳のわけを。
彼女にそうまでさせる原動力は、同情かもしれないし、ただの好奇心かもしれなかった。あるいは…………。自分でも分からぬまま、ただ、衝動に突き動かされるように動いていた。
オスカーの部屋の前に立って、大きくひとつ深呼吸をした。
訪れる者の少ない炎の守護聖の執務室は、いつも静かだ。
風の守護聖や緑の守護聖などの執務室からはいつもおしゃべりや笑い声が聞こえてくるし、鋼の守護聖の執務室からは一体何をやっているのか機械音が絶えない。闇の守護聖の執務室からだってリュミエールが弾いているのであろうハープの音が漏れてくる。
けれど、炎の守護聖の執務室だけは、いつも死んだように静かだ。
地の守護聖の執務室は同じくらい静かかもしれないが、彼はそこで好きな本を読んだり研究をしたりしている。その静かさを楽しんでいる。
オスカーは、この静かな部屋で何をするでもない。その日の執務が終われば、外に出かけるでもなく何をするでもなく、ただそこにいた。執務室に女性を連れ込むようなことはない。そういう分別はあるのだ。
もし、彼が本当に表面どおりのひどい人物なら、仕事をほっぽりだして遊んだり、執務室に女性を連れ込んだりするだろう。けれど、そんなことは一度としてなかった。
前はそんなことにすら気を止めなかったが、彼の行動のちぐはぐさに気づき始めていた。
(寂しい、部屋)
そう、思う。
寂しくないのだろうか、この部屋にひとりで。ひとはよく闇の守護聖を孤独だというけれど、炎の守護聖のほうがずっと孤独に思えた。
アンジェリークは勇気を出して、ドアをノックした。
「失礼します、オスカー様」
オスカーはアンジェリークを出迎えることもなく、いつものように、執務机の前に座っていた。入ってきたアンジェリークの姿に、片眉だけを上げて検分するような視線を送ってきた。
「お嬢ちゃんか。今日はなんだ? 育成か? 妨害か? お嬢ちゃんはもう一人のお嬢ちゃんに負けてるから、頑張らないとな」
その言葉は、アンジェリークを応援しているわけではない。負けていることを莫迦にしているのだ。口調から、それがはっきりと読み取れる。
アンジェリークは胸元に抱えたノートを強く抱きしめた。逃げ帰りたくなる気持ちを必死に押さえ付ける。
「いえ……今日は、お話しに来ました」
炎の守護聖が、驚きに、軽く目を見張るのが分かった。
最初、育成が始まったばかりころは、彼と親しくなろうと、彼女もロザリアも話をしに来たりもしたが、いつも意地悪や嫌味を言われ、嫌な気分にされるばかりだったので、もうずっと、話をしになど来ていなかった。必要に迫られて、嫌々育成を頼みに来るくらいだった。
それが、今になってまた話をしに来たというのだから、驚きもするだろう。
「……じゃあ、なんの話をすればいいのかな? お嬢ちゃんと俺に、楽しく話せる共通の話題があるとは思えないけどな」
アンジェリークは必死に話題を探した。そこまで考えていなかったのだ。
「えっと……守護聖のなかで、オスカー様が親しいかたは、どなたですか?」
アンジェリークは、他合いなくその質問を口にした。オスカーとアンジェリークで接点を見つけるなら、間に話題になる共通の友人がいたほうが話しやすいと思ったのだ。
けれど、オスカーはそれを聞いて、また、莫迦にするような笑いを浮かべる。
「それで、俺と親しいって奴がお嬢ちゃんの想い人だったら、仲を取り持ってくれってわけか? 虫のいい相談だな」
「違います! ……ただ、オスカー様のことを、知りたいんです」
尻すぼみにちいさくなるその呟きを、けれどオスカーははっきりと聞き取って、また驚きに目を見開いた。彼女がそんなことを言いだすとは思わなかったのだ。
けれどそんな表情も、アンジェリークが気づく前にすぐに消えて、また、いつもの意地の悪そうな顔になる。
「特に親しい奴はいない。お子様達みたいに、いつもひっついているなんてごめんだな」
このままでは拉致があかない、とアンジェリークは思った。このままでは、何を言ってもはぐらかすように意地悪を言われて話が終わってしまいそうだと思った。
だから、駆け引きも何もなく、彼女は思ったままを口にした。
「それなら……どうして貴方は、そんな寂しそうな瞳をするんですか?」
「!?」
明らかにオスカーの動きが止まったことに、アンジェリークは気づいただろうか。
「俺が……いつ、そんな……」
アンジェリークの言葉をいつものように笑い飛ばそうとして、けれどその声がかすかに震えていることに気づいて、オスカーは言葉を飲み込む。これ以上言葉を発したら、それだけで、その中の嘘がすべて見抜かれてしまいそうだった。
アンジェリークは彼が何も言い返さないから、そのまま言葉を続ける。
「オスカー様、時折、とても寂しそうな瞳をしています。自分から、わざと意地悪を言ったりして皆を遠ざけておきながら……」
アンジェリークはオスカーを見つめた。その翡翠の瞳が、はっきりと彼を捕える。
「どうしてそんなことなさるんですか? どうして、ひとを近付けないように、わざと遠ざけるようにするんですか?」
望むものすべてを映しだすという闇の守護聖の水晶のように透き通った翡翠の色が、オスカーを映しだす。その奥にある真実を映しだそうとする。
(ヤメロ!)
それは、触れられたくないものだ。オスカーが必死に隠しているものだ。暴かれたくないものだ。
けれどこのままでは、きっと嘘を見抜かれる。真実がさらけ出される。そうされたくないのだ。そうするわけには、いかないのだ。
「帰れ」
オスカーは乱暴にアンジェリークの二の腕を掴み上げた。そのまま扉まで引きずるように連れてゆく。
「オスカー様、痛いです……」
アンジェリークの訴えにも、彼は耳を貸さない。
彼女を廊下に放り出すと、乱暴に執務室の扉を閉めた。まるですべてを閉ざすように、まるで逃げるように。
「……オスカー様」
オスカーのその行動に、アンジェリークは自分の推測が間違ってなかったことを知る。彼は、わざとひとを遠ざけているのだ。そして、それが露見することを脅えている。それは何故なのか、どうしてなのか。
(どうして? オスカー様)
何を怖がるのか、どうして怖がるのか、アンジェリークには分からない。寂しいなら、ほんの一言やさしい言葉でもかければ、周りの皆は彼をあたたかく受け入れるだろう。そうすればもうひとりではない。あんな寂しい瞳をすることもない。それなのに、何故。
「オスカー様、開けてください。お願いします」
けれど、閉ざされた扉は、もう何度ノックしても開かれることはなかった。
To be continued.
続きを読む