Sacrifice
〜孤独の槍は女神に抱かれて〜
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オスカーに執務室を追い出されたアンジェリークは、しばらく扉をノックし続けていたが、けれどどうしても再び開かれる気配がないことを悟って、仕方無しに諦めた。
ためいきを、ひとつ。
閉ざされた扉が、そのままアンジェリークへの拒絶を物語っていて、扉を叩き続けた拳が痛い。
彼は何をそんなに恐れているのか。何を思ってあんな行動を取り続けるのか。アンジェリークには到底分からなかった。
これからどうしようかと、少しだけ悩む。今日はもう育成を頼みに行く必要はない。けれど、このまま遊びに行く気にはなれなかった。
(そうだ)
不意に思い立ち、アンジェリークは炎の守護聖の執務室の前から離れた。廊下を小走りに駆けてゆく。そこから去ってゆく。
「……………………」
その足音が遠ざかってゆくのを、オスカーは執務室の扉に背を預けたままずっと聞いていた。
ノックも足音も、彼女の気配も扉の向こうから消えて、アンジェリークがもういなくなったことを、静けさが示す。
(アンジェリーク)
そのままずるずると、オスカーは床に座り込んだ。うつむいて、赤い髪を乱暴に掴む。
『それなら、どうして貴方はそんな寂しそうな瞳をするんですか?』
その理由を彼女が知ったら、どうするだろうか。
多くの者のように、彼から離れてゆくだろうか。それとも、それでも傍にいてくれようとするだろうか。
けれど、そのどちらも、オスカーにはつらいことだった。離れてゆかれるのも、傍にいてくれることも。
だから。
(俺に近づかないでくれ、アンジェリーク……)
「こんにちわ、ルヴァ様」
「おや、アンジェリークですか〜。よく来てくれましたね〜」
アンジェリークは地の守護聖の執務室を訪れた。いつもと変わらぬ穏やかな笑顔が彼女を迎えてくれる。
「今日は育成ですか?」
「いえ、私、ルヴァ様にお伺いしたいことがあるんです」
「そうですか〜。私に答えられることでしたら、なんでも力になりますよ」
ルヴァはいつも穏やかで、彼といると何故かとても安らげた。強い安心感と信頼感があった。だから、アンジェリークは何かと彼を頼りにしていた。
地の守護聖の、やわらかな笑顔に勇気づけられるように、アンジェリークは切り出した。
「あの……オスカー様のことについて、お聞きしたくて……」
ルヴァは、おや、と思う。てっきり、育成に関する質問かと思っていたのだ。また、誰かのことを聞くにしても、オスカーの名が出るとは思わなかった。
「オスカーのことが、気になりますか?」
ルヴァの問いかけに、アンジェリークは素直にうなずく。
オスカーのことを、ロザリアやゼフェル達には相談できなかった。オスカーにひどく腹を立てている彼らでは、相談する前に、関わらないほうがいいと一括されてしまうだろう。
けれど、この公平で穏やかな地の守護聖なら、アンジェリークの話をちゃんと聞いてくれると思った。オスカーのことだから、と決め付けたりせず、相談相手になってくれ、正しいアドバイスをしてくれると思ったのだ。
「オスカー様、まるでわざと意地悪を言ったりひどいことをしたりして、皆から嫌われるようにしているみたいなんです。そうやって、ひとを遠ざけようとしているみたいなんです」
そう言ったアンジェリークに、ルヴァは驚いた顔をした。
オスカーがこの聖地に来てから5年、そのことに気づいたのは、この少女が初めてだった。皆、彼の演技にだまされて、彼がわざとそうしているのだと気づく者はいなかった。
ルヴァも、知識を司る者として、炎の守護聖のことを知らなかったなら、あれが演技だとは気づかなかっただろう。それほど完璧に、彼はひどい人間を演じて、人を寄せ付けないことに成功していた。
それなのに、この少女が、気づくとは。
それは、ただの偶然か、アンジェリークが鋭いのか、あるいは、この少女に対してはオスカーの仮面がゆるんでしまうのか……。
どちらにしろ、危険なことだった。
この少女から次に出る言葉は、オスカーとも仲良くしたい、それにはどうすればいいだろうか、という意味のことだろう。けれどそれは無理なのだ。とても危険なのだ。そしてどうにもできないことなのだ。
だから、アンジェリークが次の言葉を言いだす前に、ルヴァは言葉を遮るように言い放った。
「アンジェリーク。優しい貴方がオスカーのことが気になるのは分かります。でも、オスカーに近づいては駄目ですよ」
「ルヴァ様!?」
アンジェリークは驚いて声を荒げる。
まさかルヴァがそんなことを言うとは思わなかったのだ。彼なら、仲良くすることを勧めることはあっても、そんな、近づくことをとめるなんてこと。
けれど、ルヴァはわけもなくそんなことを言う人ではない。そう言うなら、そう言うなりの理由があるはずだ。
「ルヴァ様はご存じなんですか? オスカー様が、ああやって、ひとを遠ざけようとしている理由……」
翡翠の瞳が、まるで責めるようにルヴァを見つめる。いや、責められている、と思うのは彼の被害妄想だろう。ルヴァは、理由を知りながら、だからこそオスカーを遠ざけた人間だから。
「……何故、貴方と大陸の民の親密度が、育成に必要なんだと思いますか?」
ぽつりと、地の守護聖はそう漏らした。
アンジェリークは質問の意図が分からずに、けれどその質問を考える。
そういえば、考えたこともなかったが、どうして親密度などが必要なのだろう。
民の望みを聞くために大神官がいるのは分かるし、彼らと仲がいいに越したことはないけれど、育成自体に親密さはどうつながるのだろう……? いや、そもそも、民の望みは研究院のデータで分かる。わざわざ大陸に降りてまで、彼らと交流する必要性はないはずだ。
「分かりません、どうしてですか?」
けれどルヴァはそれに答えない。自分で考えろ、ということなのだろうか。それとも、知ってはいけない、ということなのだろうか。どちらとも判断がつかなかった。
「アンジェリーク。もう一度言います。オスカーに近づいては駄目ですよ」
地の守護聖の穏やかな、けれど、はっきりとした命令に近い言葉がアンジェリークに刺さった。
To be continued.
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