心中奇(4)


 私達は引き離され、私にもオスカー様にも四六時中の監視が付き、公式な謁見さえ許されず、もう会うことさえ叶わなくなりました。
 私は出来るはずなどないと分かっていながら、オスカー様を忘れる努力をしてみました。世界を統べる素晴らしい女王として、オスカー様を忘れたような振りをして玉座に立ちました。
 オスカー様も同じでした。私など忘れたかのようなそぶりで、守護聖としての職務に忠実に励んでいました。その姿は、私さえも、本当に忘れられてしまったのではないかと不安になるほどでした。
 別にそれはふたりで申し合わせてのことではありませんでした。ただ自分達の罪の重さを知っていましたから、もし忘れられるならその方がいいと思っていたので、お互い、心の底では無理と分かっていながら忘れようと、あがいていたのです。


 やがてある程度時が経ち、再び聖地も落ち着きを見せ始めたころ、私はまたオスカー様と会う機会を得ることになりました。
 女王の謁見に、再びオスカー様も立ち会うことが許されたのです。
 それは、私達がそれぞれの役目をちゃんと果たす姿を見て、あれは一時の過ちで、もうお互い忘れたのだろうと判断されたからでした。
 一日千秋という言葉そのままに、私はその日を待ち望みました。
 そしていよいよその日、私はオスカー様を忘れた振りをしながら立派に女王の勤めを果たそうとしました。
 私は落ち着いた足取りで謁見の間に入り玉座に立ちました。守護聖すべてを集めての謁見ではなかったので、人影はまばらでした。守護聖で謁見の間にいるのはジュリアス様と、…………私の瞳に、オスカー様の姿が映りました。
 燃えるような赤い髪に、薄氷色の瞳。引き締まった体躯に、まっすぐ伸ばされた背筋から感じられる威厳。
 その姿を見た途端、私の中ですべてが壊れました。いいえ、もともとそれは壊れていたものを、ただ精神力でつなぎ合わせて、支えていたにすぎません。
 私の両目から、とめどなく涙があふれました。
 くちびるが無意識のうちに動いて、かすれた声が、それでもその名を呼んでいました。
「……オスカー様……おすかーさまあ……」
 それが致命的な行為であることは分かっていました。
 もしここで、今までのようにすべてを忘れた振りをして、女王としての責務を果たしたなら、次の謁見もオスカー様は出席を許されたでしょう。たとえ謁見だけであるとしても、私はこれからもオスカー様と会えたでしょう。話すことも触れることも近づくこともできなくても、その姿を見ることは出来たでしょう。
 けれど私がこんな処で泣いてしまったら、まだ想っていることをはっきりと知らしめてしまったら、もう二度とオスカー様は謁見も許されないでしょう。本当に、もう二度と会うことも、その姿を見ることさえ禁じられてしまうでしょう。
 分かっていました。だから、忘れた振りをして、立派に女王の責務を果たしてみせようと思っていました。
 でも、駄目でした。これでもう二度と会えなくなってしまうと分かっていながら、それでも涙を、呼ぶ声を、求める心を止めることは出来ませんでした。
「……アンジェリークッ!」
 こらえ切れなくなったように、オスカー様が私の方へ走り寄ろうとしました。
 けれどすぐに周りにいた近衛兵やジュリアス様に取り押さえられ、がむしゃらに暴れる身体をかかえられそのまま扉へと引きずられました。
「アンジェリークッ! 離せっ! アンジェ!」
「オスカー様、オスカー様っ!」
 私もロザリアと近衛兵達に押さえられ、一歩も近づくことも出来ませんでした。
 痛いほど、分かりました。オスカー様を、愛していると。忘れるなんて、決して叶わないと。
 それが罪でも、許されなくても。
 どうしてでしょう。どうして、もうすべては遅いのでしょう。
「…………おすかーさまあ!!!」
 喉を切り裂くように叫びました。
 次の瞬間。
「うわああああああああ!!!」
 オスカー様は獣のように叫びました。そのまま、何処にそんな力があったのかと思うほどの力で身体を押さえ付けていた近衛兵とジュリアス様を振り払うと、腰にさされていた剣を抜き、それを周りにいる人達に向けて振るいました。
「ひっ」
 その肺が潰されて息が漏れるような悲鳴はロザリアのものだったと思います。
 私は悲鳴を上げることも忘れて、その様子を見つめていました。
 血しぶきを上げて、近衛兵とジュリアス様が倒れました。床はあたり一面赤く染まっていきました。
「……オスカー様」
 その瞬間、宮殿は嘘のように静まり返っていました。もしかしたら、あふれかえる悲鳴も罵声も、私の耳には入っていなかっただけかもしれません。
 血まみれの剣を手に、オスカー様はゆっくりとこちらへ歩み寄ってきました。
 彼を取り押さえようと、周りにいた兵達が一斉にオスカー様に向かいました。オスカー様は、まるで踊るかのようになめらかに動きました。そのたび、人がひとりまたひとりと血まみれになって倒れてゆきました。
 オスカー様の家に代々伝わるものだというその剣は、以前、その思い出と思い入れを驚くほど真摯な瞳で語ってくれたことのあるものでした。それは今、血まみれとなり、オスカー様の手に握られていました。
「陛下っ!!」
 オスカー様が間近に迫ってきたとき、脇にいたロザリアが私をかばうようにオスカー様の前に飛び出しました。
 オスカー様は一瞬もためらうことなく、その血まみれの剣をロザリアに振り降ろしました。
 表現しがたい音が響いて、ロザリアは左肩から右脇腹にかけてざっくりと切られました。血が吹き出し、オスカー様にそして私に容赦なく降りかかりました。
 ロザリアが助かるはずもありません。彼女は目を見開いたままその場に崩折れました。
 オスカー様はなんの感情もなく、荷物をまたぐように倒れるロザリアをまたぐと私の前まで来ました。
 不思議と、怖くはありませんでした。
 いいえ、やっぱり怖かったかもしれません。ただそれは、殺されるかもしれないという恐怖ではなく、親友の死さえなんとも思わずにいる自分に対する恐怖でした。
「……アンジェリーク」
 オスカー様は私のすぐ前まで来ると、立ち止りました。腕を伸ばせば届くその距離で、私をまっすぐに見つめました。
 私も、瞬きすることさえ忘れるほど、オスカー様を見つめました。一体何人を犠牲にしたのか、ジュリアス様やロザリアさえ殺した、その血まみれの姿をまっすぐに見つめました。
「言ってくれ、アンジェリーク、俺なんか愛していないと。俺はジュリアス様もロザリアも切った。何人も殺した。こんな罪を犯した俺を許せないと、こんな俺など愛せるわけがないと。言ってくれ。そうすれば俺は絶望を手に入れて、もうこれ以上君を傷つけずにすむ」
 薄氷色の瞳は、揺れていました。私をはっきりと映したまま、揺れていました。
「言ってくれアンジェリーク。…………言ってくれ! 俺なんか愛していないと!!」
 悲鳴、でした。助けを求め、泣き叫ぶ声でした。
「言ってくれ! 俺に絶望をくれ! 絶望をくれ!! そうでないと…………!!!」
 オスカー様を染める返り血は、そのままオスカー様の流した血のようでした。血を流して、叫んでいました。
「オスカー様……私は……私は……」
 そのとき、私は何と答えるべきだったのでしょう。
 オスカー様は絶望を望んでいました。絶望することで、私を諦めようとしていました。それを私は分かっていました。
 嘘を告げることも出来ました。彼が言った通り、愛してないと告げることもできました。
 けれど…………。
 それでも、私は、ただひとつの真実を選んでいました。
 今告げなければ、もう二度と伝えることも出来ないかもしれないから。そして、私を諦めてなんて欲しくないから。ただそれだけの理由で、私はその言葉を彼に伝えました。


「…………愛しています、オスカー様」


 それは、たったひとつの真実でした。
「……アンジェリーク……」
 その言葉に、オスカー様はゆっくりと微笑みました。泣きたくなるほど哀しげな笑みでした。
 私は、間違っていたのでしょうか?
 彼は本当は何を望んでいたのでしょう?
 もしオスカー様に絶望を与えていたなら…………。
 いいえ、それはもう、考えても意味のないことです。
 オスカー様は音もなく歩み寄ると私を腕の中に抱き寄せました。まるで、私が最後の育成を頼みに行ったときのように。
「……俺は、君を諦められない。でももう、君を手に入れる方法は、これしかないんだ」
 愛を囁くにも似た響きが、私の耳をかすめました。
 いいえ、それは間違いなく、愛を告げる言葉でした。
「……ええ」
 私も小さく答えました。それも、確かな愛の言葉でした。
 一瞬の背中にめり込むような感覚と、焼け付く熱さのような痛みと共に、私は背中からオスカー様の剣に貫かれていました。
 剣はそのまま私を抱きしめていたオスカー様の胸を貫き、彼の背中からその血にまみれた刀身を現わしました。
 私は痛みに泣き叫ぶこともなく、ただふたりが離れることがないようにと、その背中に腕を回して強く強く抱きしめていました。
 最後に私の視界に焼きついたのは鮮やかな一面の赤でした。それが血の色だったのか、それともオスカー様の髪の色だったのか、それとも私が見た幻だったのか、それは分かりません。


 私が語れるのは、ここまでです。
 それから先のことを、私が知る術もありません。
 私達は愚かでした。許されることがないくらい愚かで、そして許されることのない罪を犯しました。
 人はそんな私達の想いを否定するかもしれません。そんなもの本当の愛ではないと。私達の想いは、ただの愚かなエゴと狂気だと。
 もしかしたら、その通りかもしれません。それを否定することは出来ません。
 けれど私は、オスカー様を愛していました。そして彼も、私を愛していました。
 誰に分かってもらえることがなくても、それが本当はエゴと狂気だったのだとしても、私達は愛し合っていました。愛し合っていたのです。
 ……だから、覚えておいて欲しいのです。
 私達は愛し合っていたと。
 ただ…………覚えておいて欲しいのです。


 これが、私が語れる、私の恋のすべてです。


 To be continued.

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