いばらの涙 -1-


 無数の光が、まるで流星群のように光の尾を描きながら、深淵の闇の中を走ってゆく。それらは皆、かつて旧宇宙にあった星々だ。今、新女王の力を受けて、新宇宙へ向かって移動していくところなのだ。
 光の向かう先には、真っ暗な宇宙に、そこだけ穴が開いたかのように、まばゆい光の漏れている場所がある。いや、それは実際『穴』なのだ。旧宇宙と新宇宙をつなぐためにあけられた、時空のゆがみ。その隙間を通って、星々は新宇宙へと移動する。
 前代未聞の大仕事のため、多少の失敗や不慮の事故も考えられていたが、この大移動は思いのほかつつがなく行われていた。それだけ、新女王の力が強いということだろう。
 闇を走る光の線は徐々に数がすくなくなってきていた。ほとんどの星は無事に移動を終えて、この大移動も終盤に向かっているのだ。あと、半刻もしないうちに、すべての星が向こうの世界へと消え、この宇宙には虚無だけになるだろう。
 開いた次元の穴をふさぐために、前女王とともに旧宇宙にとどまって、それらを見つめていたディアは、おおきなためいきをもらした。
「……これでやっと、私達の役目も終わるのね」
 隣に立ち、同じように去ってゆく星を見つめている無二の親友に向かって、ディアは、感慨深げにつぶやいた。
 そう。これでやっと、自分達の役目は終わる。
 自分達の時間でいうなら4年。そう長くはない。けれど、世界の時間軸で見れば、数百年、数千年に及ぶ在位期間だった。
 いや、期間の長さよりも、その密度の濃さが、『長かった』と思わせるのだ。世界のすべてをこの手に握って。世界のすべてのいのちをこの手に握って。20数年しか生きていない、在任当時はまだ10代だった身には、重すぎるほどのものだった。
 けれど、それも、もうすぐ、終わる。
 女王候補達は、試験を終え、ひとりが女王に、もうひとりが女王補佐官になることが決まっている。実質的には彼女らはすでにその役割を負っているし、この宇宙の移動が終われば、戴冠式が行われ、名実ともにその役職を背負うことになる。
 彼女らの肩にも、重い重責がかかるだろう。時には苦しみ悩み、泣くこともあるだろう。
 けれど、彼女達なら大丈夫だ。
 自分と女王がそうであったように、親友同士である彼女らは、お互いを支え、励ましあいながら、この宇宙を立派に支えてゆくだろう。
 なにより…………彼女は、自分達とは違う。自分の恋をあきらめ泣き暮らした、自分達とは違う。
 宇宙も愛する者も、その手にしっかりと抱きしめ、歩いてゆくだろう。
 だから何も心配することはない。ディアは安心して、この地を去ってゆける。大切な大切な、ずっとともに歩んできた、大親友とともに。
「さあアンジェリーク。私達もいきましょう」
 ディアは、久しく使われなかった親友の名を呼んで、その手を彼女へと伸ばした。
 このあと、時空の穴をふさげば、ふたりはもう女王でも女王補佐官でもない。何に縛られることもない。自由な、ただのアンジェリークとディアになる。
 このあとの身の振り方をはっきり決めているわけではなかった。それでも、彼女とふたり、地上で穏かに暮らせればそれでいいと思っていた。約束していたわけではないが、彼女もそれを望んでくれると思っていた。
 けれど。
「ディア……」
 女王は、差し出された手をとることをためらうように、それを凝視したまま、つぶやいた。
「ディア。あなたは何故、カティスと一緒に下界へ降りなかったの?」
「えっ?」
 突然言われた名前に、ディアは戸惑う。
 その名前を聞くのも、ずいぶんと久しぶりだ。カティスは、前任の緑の守護聖だった。そして……ディアの、想い人であった。
「何を言うの? そんな突然。そんな……昔のことを」
 彼はもうだいぶ前に、サクリアをなくして下界へと降りていた。きっと、下界の時間の中で、彼はもう生きてはいないだろう。それに、ディアの記憶の中からも霞んで消えかけるほどには、聖地でも時間が過ぎている。
 たしかに、サクリアが尽き下界に戻るとき、カティスはディアに、付いてきてくれるよう頼んだ。そのとき、その話を聞いた女王は、とめるどころか、それをディアに強く勧めた。ディアも、彼にほのかな想いがなかったわけではないが、それでも、彼女にとっては、親友である女王のほうが大切だった。だから彼の申し出を断り補佐官であり続けた。
 そのときに、ディアの恋は終わった。そして、それすらもう忘れかけていたのに。すべては終わったことなのに。
 何故、今ごろに、再びその名前が出てくるのだろう。
「ディア。私はあなたに言ったのに。彼と一緒に行きなさいって」
「アンジェリーク……それはもう昔のことよ。私はあなたと一緒にいることを選んだのよ。あなたとずっと一緒にいたかったの」
 そう、それはもう、ディアにとっては過去のことだった。
 カティスとともに行かなかったことを、微塵も後悔していない。自分の選択は間違っていなかったと自信を持ってはっきり言える。
 結局のところ、ディアにとって、カティスへの恋心が本物だったとしても、それは、この大切な親友を想うほどには強い想いではなかったのだ。ディアにとっては、彼女のほうが大切だったのだ。
 万一、そうではなかったとしても、すべてはもう遅すぎる。いまさら何かを言ったところで、どうにもならない。だったら、そんなことは忘れて、もう口にすることさえないほうが、よっぽどいいだろう。
 それなのに、彼女は何故今ごろそんなことを蒸し返すのか。
「何故……あのとき、カティスと一緒に下界へ降りてくれなかったの?」
「アンジェリーク? どうしたの? 何故そんなことにいまさらこだわるの?」
 ディアの言葉など届いていないかのように、女王は何かをこらえるように、ヴェールの上から両手で顔を覆った。こぼれる涙を抑えようとしているようにも見えた。
「あなたがあのとき下界へ降りていてくれれば…………!!」
「アンジェリーク? いったいどうしたと言うの? 何故? 私がとどまったことは、迷惑だったの?」
 思っても見なかった親友の拒絶とも取れる言葉に、ディアは泣きそうになりながら不安げに哀しげに言い募る。
 女王はゆっくりと顔をあげた。白く細い腕がゆっくりと顔を隠すヴェールに手をかけ、そっとそれをはずしてゆく。久しく隠されていたその素顔が、さえぎるものも何もなく、ディアの前に現われる。
 彼女はその瞳に、まっすぐにディアの姿を捕らえる。
 瞳に涙をためたディアも、まっすぐに女王を見つめた。
 そして、その眼差しは、凍り付く。驚愕と、恐怖に。
「ア、アンジェリーク…………!!」
「ディア……どうして、私の傍になど、いたの?」


 あのとき、あなたが下界へ降りていてくれたら。
 あなたは何も知らないまま、しあわせに生きられたかもしれないのに。
 あなたは、私の元へとどまってしまった。
 そして、今日、私が女王でなくなるこの日が来てしまった。
 だから。私は。

 あなたを消さなくてはならない。


「あなたを愛しているわ、ディア。それは決して嘘ではないの」




 だから私は、あなたを殺さなくてはならない。








「いやああああああああああ!!!!」
















 旧宇宙にあった星々は、すべて無事に新宇宙へと移動を終えた。その後、新宇宙と旧宇宙をつなぐためにあけられていた時空の『穴』は、前女王と前女王補佐官によってふさがれ、大移動は完了した。
 この宇宙に、新しい女王が誕生した。
 彼女の力はあふれんばかりに満ちあふれ、それは、彼女のまわりに満ちあふれる光となって民の目にも感じることができた。そんな神々しく美しいい金の髪と翡翠の瞳の新女王に、人々は尊敬と崇拝の念を惜しみなく捧げた。
 新女王の即位式は、盛大に行われた。各星々でも盛大な祝祭が行われたが、主星と聖地で行われる式典はそれを上回る規模だった。女王の御世を祝う人々が皆詰め掛け、星じゅうが人で埋め尽くされるのではないかと思うほどだった。
 そのなかに、前女王、前女王補佐官の姿はどこにもなかった。
 彼女らを知る者達は、おそらくふたりでひっそりと聖地を出て、何処かでともにしあわせに暮らしているだろうと、遠く彼女らの未来に想いをはせた。
 その本当の行方を、まだ誰も知ることはなかった…………。


 To be continued.

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