霧に消える(5)


 二日後に、先日中断された教官達と女王陛下の謁見がもう一度行なわれた。
「皆さんの学習が、女王候補の成長に大きく反映されます。頑張ってくださいね」
 今度の謁見は何も滞りなく進んだ。
 玉座に立つまばゆい女王は教官達に言葉をかけ、ティムカなどは圧倒されたようにその笑顔にみとれていた。ヴィクトールも、伝説とも言われていた女王を目の前に、緊張した面持ちで固まっていた。
 ただひとり、セイランは、凝視するように玉座に立つその人を見つめていた。
 玉座に立つ金の髪に翡翠の瞳の少女。
 何もない振りをして玉座に立つ彼女の中にある、その哀しみをセイランは知ってる。玉座で微笑むその瞳の奥で揺れる哀しみに気づいてる。
 霧雨の降るの惑星で赤い髪の男と一緒にいたとき、追っ手に追われ続け行く先も持たずつらい逃避行を続けながら、けれど彼女は幸せそうだった。
(彼女を助けたい)
 罪滅ぼしとか、そんなことではなくて。ただ、彼女のために何かしたいのだ。
 ただひとり、手を伸ばしてくれた彼女のために。
 セイランを許し、微笑んでくれた彼女のために。
(彼女を……助けたい)
 それだけが、セイランの中に渦巻いていた。



 女王候補達も聖地へ招かれ、試験が始まってしばらくしたころ、セイランは王立研究院で、中枢にあるコンピュータールームを目指して進んでいた。
 女王候補達は宇宙の状態を王立研究院で調べてもらうため、よくそこに出入りしているが、彼女らの話によると、研究院のコンピュータールームは聖地やそこに関わる人々のデータなども管理しているという。
 それはトップシークレットにも値する機密だが、無邪気というよりは事の重大さを理解していない女王候補達は気軽におしゃべりの中でそのことをセイランに漏らした。
(そこに入れれば……あの元炎の守護聖の居場所の情報も入っているかもしれない)
 もし分かれば、彼女を助ける手掛かりになることは間違いなかった。彼女を逃がすにしても、あの赤い髪の男がいなければ意味がないのだ。
 セイランは一応教官という立場のため、調べ物の名目で研究院の中に入ることは出来る。けれど、もちろん重要機密もあるメインコンピュータールームにまで入れるような権限はない。だから、途中までは大手を振って入れたが、途中からは人に見つからないようにと、隠れながら奥へと進んでいった。
 思いのほか警備は軽く、セイランは途中何度か人に出くわしそうになって身を隠すことはあっても、誰にも見つからずにコンピュータールームまで来れた。
 問題はそこからだった。ドアにはもちろんロックがかかっていて、暗証番号と指紋チェック、その他いくつかの段階を踏まなければ中に入れない仕組みになっている。
 これでは入れない。ロックシステムをどうにかして壊せないかと思案していたとき。
「何するつもり? 感性の教官さん?」
 不意に後ろから声が投げ掛けられた。
 一瞬見つかってしまったかと驚きながらも、その特徴的な声と口調にそれが誰かはすぐに分かった。夢の守護聖だ。
 セイランはゆっくりと振り返った。
「そこはメインコンピュータールームで、一般人はもちろん、あたし達ですら気軽には入れないような場所なんだよね。そこで、何してんの?」
 いつも通りからかうような口調でオリヴィエは言ったが、セイランがやろうとしていることの重大さくらい分かっていた。
「……貴方には関係のないことです」
 セイランは冷たく言い放った。口調と視線に、止めても無駄だという決意がみなぎっている。
「関係ない? あたしも、これでも一応聖地を守る守護聖なのよね。……黙っててあげるから、あんたは大人しくさっさと学芸館に戻んなさい」
 その口調にセイランはかっとなった。この人は、セイランが何をしようとしているのか知っていて、それでも追い払っているのだ。
「貴方達はなんとも思わないんですか!」
 思わず叫んでいた。
「あんな風に無理矢理玉座に立たされている彼女を見て、なんとも思わないんですか! それとも、世界が一番大事で、彼女のことなんて……」
「うるさい!!」
 オリヴィエは苛立つように、壁に拳を打ち付けた。セイランはその激しさに言葉を遮られる。
「思うわよ! 思うに決まってるでしょう! あんたがアンジェにどれほど思い入れがあるのか知らないけど、私達の方がずっと長くあのこを知っているのよ。あのふたりのことを見守ってきたのよ!!」
 オリヴィエの手が伸ばされ、セイランの首元を掴んで引き寄せる。怖いくらい真剣な眼差しが間近でセイランを睨み付ける。
「だからこそ、あんたには手を出して欲しくないのよ」
 普段の夢の守護聖からは想像も出来ないような、低い、地を這うような声だった。
 その声に脅えるよりも、胃袋の底がすっと冷えてゆくような気がする。
「……僕のせいで、ふたりが、捕まったから……?」
 それを一番後悔しているのはセイラン自身だ。考えると自分自身に吐き気がするほど、後悔している。
 オリヴィエはそっとセイランから手を離す。
「違うよ。確かにあんたのしたことはむかつくし、許せないけどね、……あんたは何にも知らなかったんだ。仕方のないことだよ」
「それなら、どうして……」
「コネも人脈もない人間が下手に動いて失敗したら、こっちも動けなくなる。だからあんたは手を出さないで」
「そーゆーこった」
 突然振ってきたもうひとつの声に、セイランははっと振り向く。いつのまに来たのか、鋼の守護聖がいた。
「あ……」
 瞬時に夢の守護聖の言葉を理解する。
 夢の守護聖と鋼の守護聖がここにいるのは、やはりセイランと同じく、コンピューターにハッキングして、オスカーの居所を探すためなのだ。
 そしてもしここでセイランが下手に動いてセキュリティに引っ掛かったら、セイランが責任を問われるだけではない。警戒は更に強められるだろう。いくらこの二人が守護聖という地位と技術を駆使しても、適わなくなるかもしれない。だから手出しをするなと言ってるのだ。
 セイランがここに来るまでほとんど人影を見ず、見つからずに来れたのも、おそらくは夢の守護聖が根回ししていたからだろう。
 夢の守護聖が言う通り、ここでセイランは動かないほうがいい。むしろ動いてはいけないのだ。
 けれど、ただ黙って待っていることなんて出来なかった。何かしたい。何かしなければ、いられない。
「僕は……僕はどうしたら……」
「おい」
 ゼフェルがセイランの胸倉を掴んで引き寄せた。
「おまえが本当にアンジェとオスカーのことを思うなら、今は試験に集中しろ」
 鋼の守護聖の赤い瞳が、真っ向から睨み付けてくる。
「あの二人の女王候補は、新宇宙のための候補だ。どちらかが新宇宙の女王になる。でも、もしふたりともが女王の素質を伸ばして、どちらもが女王になれるほどだったら……」
 はっと、セイランもその可能性に気づく。
 ひとりはどうしても新宇宙の女王にならなければいけないが、もうひとりにも力があれば、彼女の代わりにこの宇宙の女王の座を引き継ぐことも出来るかもしれない。
 そうすれば……女王でなくなったなら、彼女は自由だ。
 だがそれは、並大抵のことではない。この宇宙は移転したばかりで不安定で、あの補佐官ロザリアですら、宇宙を支えるにはサクリアが足りないのだ。女王にはそれほど強いサクリアが必要なのだ。
 あの女王候補二人をそれほどまでに成長させることなんて、できるのだろうか。
 ……けれど、希望がないわけじゃない。もし、それができたなら。
「分かったら……こっちは俺らに任せてお前は試験に全力で取り組め。いいな」
 セイランは熱に浮かされたように無言でうなずいた。
 ゼフェルはセイランから手を放すと、ドアロックのコンソールパネルに何か入力し、すると扉はやすやすと開いた。鋼の守護聖は振り向きもせず中に入る。
「女王候補の方は、頼んだわよ」
 ゼフェルに続いてオリヴィエもコンピュータールームに入っていくとき、擦れ違いざまセイランに言った。
 守護聖二人を入れて、ドアはセイランの目の前で音もなく閉じられた。
 それを見届けて、セイランはコンピュータールームを後にした。
(もしも……女王候補二人共を、女王にすることが出来たなら……)
 うわごとのように、心の中でずっとそれを繰り返しながら。



「あの、今度の日曜、お暇ですか?」
 わずかに頬を染めて、照れたようにうつ向きながら茶の髪の女王候補が言った。
 媚を売るようなその態度に、セイランは吐き気がするほどのむかつきを覚える。ここは学芸館で、女王候補は学習に来たはずなのに、学習そっちのけで無駄話を始めたかと思うとそんなことを尋いてくる。
 セイランは少しでも早く、そして少しでも多く彼女達を女王として成長させようとしているのに、本人達はセイランの意志に反して、デートやらショッピングやらにばかり精を出しているのだ。
 何も事情を知らない彼女らは、試験よりも、聖地という夢の場所で繰り広げられる夢物語に酔っている。
 女王というものがどれほどつらいものかも知らずに……いや、知っていたとしても、自分達が女王になるのは新宇宙、絶対即位しなければならないこともない、と気軽に考えているのかもしれない。
 確かにそれも、ひとつの道だろう。女王にならず、好きな男を見つけて、そいつと一生幸せに生きて行くのも……いや、きっとその方が幸せなのだ。女王になれば、たとえ新宇宙の女王とはいえ、引き離されることに変わりはない。
 ……でも。
 茶の髪の女王候補アンジェリーク、そしてもうひとりの女王候補レイチェル、二人ともが女王にならなければ、現女王アンジェリークは自由になれない。


 金の髪のアンジェリークの姿を思い出す。
『セイラン』
 優しく名前を呼ばれて、差し伸べられた腕。
 そっと髪を撫でるあたたかな手。
 ずっとずっと望んでいたもの、与えてくれたひと。


 すべての人が幸せな世界なんて存在しない。
 誰かが犠牲にならなければ成り立たない世界。
 犠牲になる人間を、もし自分が選べるのなら…………。
 その瞬間、自分の中にすっと黒い影が横切ったのを自覚した。
 汚くて、醜くて、どす黒い感情……。
 セイランは茶の髪の少女に微笑みかけた。その笑顔に少女がみとれて、そして頬を染める。予想通りのその反応に、腹の中でせせら笑う。好きではない自分の美貌も、今は有り難く思えた。
「……いいよ、今度の日曜だね。寮まで、迎えに行くよ」


 誰もが幸せな世界なんて存在しない。
 誰かが犠牲にならなくちゃいけない。
 それなら。
 犠牲になるのは、彼女でなくていい。
 金の髪に翡翠の瞳を持つ、この世界の女王。はじめて僕に手を差し伸べてくれたひと。
 彼女のためなら、僕は、なんだってする…………。


 To be continued.

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