傷跡(SIDE A)2


 中央の島にロザリアの建物が建つのを、アンジェリークはオスカーのベッドの中で見ていた。
「中央の島に建物が建ったな。女王ロザリアの誕生だ」
 隣に寝そべるアンジェリークの髪を撫でながらオスカーが言った。
「そうですね……。ロザリアなら、きっといい女王になる……」
 アンジェリークはぼんやりとそれに答えた。アンジェリークの建物も、あとふたつという処だった。手を抜いた訳ではないけれど、けれど結局、ロザリアの方が中央の島にたどりついた。
(これで、もうおしまい……)
 この瞬間に、アンジェリークから女王候補という肩書きは消えた。
 肩の重荷が降りたような、自分を支えていたもののひとつを失くしてしまったような、複雑な気持ちだった。
 女王になりたかった訳じゃない。はっきり言うなら、女王になるのは怖かった。女王は、世界のために自分を犠牲にしなくてはいけない。そんなこと、アンジェリークにはできないから。
 でも、女王になれなかったなら、アンジェリークが今までしてきたことは一体なんだったというのだろう。女王候補ということで、アンジェリークは多くのものを犠牲にした。家族も、友人も、普通の生活も、そして……ジュリアスへの想いも。その犠牲さえ、無駄だったことになる。
「アンジェリーク……」
 オスカーがそっと頬に手を伸ばしてきて、アンジェリークは自分が泣いていることに気づいた。
 オスカーはそっとアンジェリークのまぶたにくちづけた。涙を拭うように、そっと。
(あたたかい……)
 オスカーの少し高めの体温に触れていると、暗闇で小さな蝋燭にひとつ火を灯すように心が慰められる。
 このぬくもりに、優しさに、アンジェリークはどれほど慰められてきただろう。
 あれ以来ずっと避け続けてきたジュリアスとも、やっと普通に話せるようになった。
 もしもオスカーがいなければ、アンジェリークはあのまま心を閉ざしてしまったかもしれない。
(でも、オスカー様とも、もうお別れ……)
 女王になれなかったアンジェリークは、下界へ降りることになるだろう。そうすれば、それが永遠の別れだ。
 下界にオスカーはいない。下界に降りて、こうして誰も慰めてくれない処でひとりで泣いたら、あまりの哀しさに、涙に溶けてしまうかもしれない。
 アンジェリークはオスカーの首に腕を回して自分からくちづけた。吐息が熱い。
 このままこの熱に溶けてしまいたい。いつか涙に溶けてしまう前に。
「アンジェリーク」
 くちびるを離したオスカーがアンジェリークの頬をそっと両手で包んだ。薄氷色の瞳がまっすぐにアンジェリークを映す。
「アンジェリーク、俺と結婚してくれ」
「オスカー様!?」
 思いもかけない言葉にアンジェリークは驚く。オスカーが遊びで自分を抱いていたとはもちろん思っていなかったけれど、結婚なんて考えたこともなかった。
「……本気ですか?」
「冗談でこんなこと言えるか。まあ、きっと君は補佐官に指名されるだろうから、実際に結婚するのは宇宙の移転が落ち着いてからになるだろうけどな」
 激しい鼓動に身体が揺れそうな感覚を感じながら、アンジェリークはオスカーを見つめた。
「返事は? アンジェリーク?」
 返事の代わりに、アンジェリークはずっと尋きたかったことを口にした。
「オスカー様、もしも私が女王に選ばれていたら、どうしました?」
 オスカーは一瞬さえ戸惑わずに答える。
「そうだな、君をさらって逃げるのと、夜ごと君の部屋に忍んでいくのと、どっちがいい?」
 望んでいたとおりの答。どんなことになっても、この人は私を愛してくれる。……ジュリアス様とは違う。
 それが、私の望んでいたもの。
「どちらでもいいです。私を離さずにいてくれるなら」
 アンジェリークは微笑んで、もう一度オスカーに自分から深くくちづけた。オスカーがそれに応える。
 ぬくもりが伝わる。あたたかくて、優しくて。
 ずっと、ここにいたい。この腕の中に。このぬくもりを感じられる場所に。
「……オスカー様……」
 呟いた言葉は、夜に溶けた。


 To be continued.

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