傷跡(SIDE O)1


 いつも彼女を見ていた。
 初めて彼女を見た日、自分の中に生まれたその気持ちの名前も意味も、ずっと気付けずにいた。
 そしてやっと自分の気持ちに気付いたときには、彼女の隣にはもう彼がいた。
(アンジェリーク)
 オスカーはその姿をそっと遠くから見つめ、その名を呼ぶ。
 金の髪に翡翠の瞳、愛らしい笑顔で見た者すべてを虜にする天使。
 彼女の隣に同じ金の髪を持つジュリアスが並ぶと、それはいっそ目を逸らしたくなるほど美しい光景だった。
 いや、二人をさらに輝かせているのは容姿だけではなく、二人の表情、そして雰囲気だろう。
 恋する少女は美しいというけれど、アンジェリークはまさにその通りで、ジュリアスの隣で彼を見つめる笑顔はさらに美しかった。そのアンジェリークに微笑み返すジュリアスも、今までにないほど穏やかで、光に満ちていた。
(どうして……)
 そんな二人を見つめながら、オスカーは思う。
 どうして今彼女の隣にいるのは自分ではないのだろう。
 どうして彼女が微笑みかけるのは自分ではないのだろう。
 今まで、遊びの恋なら数えきれないほど重ねた。多くの女がオスカーの虜になった。自分から求めなくても、相手がオスカーを求めた。
 それなのに、どうしてただひとり愛した少女だけ、自分が求めた少女だけ、自分を見つめてはくれないのだろう。
(アンジェリーク……!)
 胸を焦がす想い。恋心なんて、綺麗でなまやさしいものじゃない。
 その想いのために、どんどん醜くなっていく自分を認識していた。どんどんずるく、どんどん卑怯になっていく自分。
 だけど、この想いを消すことなんてできなかった。
 どうしても、アンジェリークが欲しかった。



 ジュリアスの執務室で、オスカーはジュリアスに女王試験の定期報告をしていた。
 表面上は何も変わらない日々。けれど、見えない心の中は以前とは違っていた。
 ジュリアスを尊敬し、守護聖首座としての力を認め、仕える気持ちは変わらない。けれど、それを上回る大きな気持ちがオスカーの中に渦巻いていた。
 アンジェリークの心を掴んでいる者に対する嫉妬、羨望。
 そして、アンジェリークを求めるずるい自分。
「女王試験は順調に進んでいますね」
 オスカーは何気なさを装ってそう言った。
「ああ……そうだな」
 ジュリアスらしくない、覇気のない返事。その理由を、オスカーはちゃんと知っていた。
 女王候補のひとりとしてこの地に招かれた、金の髪に翡翠の瞳の天使、アンジェリーク。今ジュリアスの心に住み着いている少女。
 もし彼女が女王に選ばれたら……。そう思い、ジュリアスは戸惑っているのだ。
(俺なら……戸惑ったりしない)
 もしアンジェリークが自分を選んでくれるなら、彼女が女王に選ばれたとしても、オスカーはためらいなくこの宇宙を犠牲にするだろう。
 けれど、今あの金の髪の天使が想いを寄せているのはオスカーではない。
(俺は……)
 頭の何処かで、心の片隅で、もうひとりの自分がやめろと叫んでいた。けれどその抵抗は弱すぎて、彼女への想いには到底かなわなかった。
「ジュリアス様。今の処アンジェリークとロザリア、どちらが女王になってもおかしくない状況です。我々は守護聖としてこの試験を最後まで立派に遂行しなければなりませんね。安易な女王選出は、この宇宙の崩壊にもつながるのですから……」
「……そうだな。その通りだ」
 ジュリアスの返事は短かった。けれど、これでたとえアンジェリークに告白されたとしても、ジュリアスがそれを拒むだろうことを、オスカーは確信していた。
 ジュリアスがどれほど守護聖として、世界を想っているか知っている。知っていて、だからオスカーはそれを利用したのだ。
 アンジェリークはきっと、恋愛の許されない女王になる前にと、近いうちにジュリアスに告白するだろう。けれど、どんなにアンジェリークを想っていても、守護聖としてジュリアスは宇宙を危機にさらすような真似はできず、きっとアンジェリークを拒絶する。
 それが分かっていて、オスカーはわざと言った。
 ジュリアスを慕う自分が、醜い自分を罵る声も聞こえたけれど、もう誰もオスカーをとめることはできなかった。



『異変』はすぐに分かった。
 あれほど元気で明るい笑顔を振りまいていたアンジェリークが、まるで心を失くしてしまったかのように、無機的になってしまったのだ。
 何があったかなんて、推測するまでもなかった。アンジェリークがジュリアスを避けている処を見ても、一目瞭然だった。
 つまりオスカーのもくろんだ通りになったのだ。
 オスカーはアンジェリークの部屋を訪れた。
「お嬢ちゃん、いるんだろう。ここを開けてくれないか?」
 しばらくして現われた少女は瞳に覇気もなく、柔らかな金の髪も耳元のあたりでもつれていた。
「オスカー様……お仕事はどうなさったんですか?」
「それはこっちの台詞だな。君こそ育成も頼みに来ないで、こんなところで何をやっているんだ?」
 アンジェリークは何も答えずにうつむいてしまう。
 愛する少女の哀しむ姿。それはオスカーの胸をかきむしる。けれど、彼女が他の誰かのものになってしまうのは、もっと耐えられない。
 相手の幸せが一番の幸せなんて、そんな優しい気持ちは持てなかった。アンジェリークの不幸を願う訳じゃない。彼女には幸せでいて欲しい、いつも笑っていて欲しい。そう思う気持ちも確かにあるのに。
 ジュリアスがアンジェリークを拒絶したことを、喜びそして安堵している自分がいる。
「今日はお嬢ちゃんをデートにでも誘おうと思っていたんだが、やめておいた方がよさそうだな。代わりに部屋で話でもさせてくれないか?」
「……どうぞ」
 アンジェリークはオスカーを部屋へ招き入れた。閉ざされた彼女の心を表わすように、部屋の窓にはカーテンがぴったりと閉じられていた。
「お嬢ちゃんはこの頃、元気がないな。他の奴も皆心配しているぜ」
 伏せ目がちにうつむくアンジェリークは儚げで、硝子細工の美しさを思わせる。
 オスカーはそっとアンジェリークの頬に手を伸ばした。指に、柔らかな金の髪が触れる。
「何かあったのか?」
 本当は、何があったかなんて全部分かっていた。それが、自分の仕組んだことであることも。自分のずるさに嫌気がさす。それでも。
「お嬢ちゃん……アンジェリーク。俺では力になれないか?」
 瞬間、引き寄せてくちびるを重ねた。
「!?」
 アンジェリークはオスカーの腕を払いのけて身を引いた。翡翠の瞳に、驚きとも脅えともつかぬ色が宿っている。そういう反応をされるだろうことは分かっていたけれど、それが現実となると胸が痛い。
「……私はっ……」
 その次に出てくる拒絶の言葉なんか聞きたくなくて、オスカーはアンジェリークに無理にくちづけた。
「やっ……ん……」
 逃げようとする頭を両手で押さえ付けて、柔らかなくちびるを何度も貧る。ずっと求め続けたもの。何度この柔らかさを夢見たことか。
「アンジェリーク……愛してる……」
「……や……、……、…………」
 やがてアンジェリークは抗う力を抜いた。されるがままにくちづけを受ける。
 抵抗しなくなったアンジェリークをオスカーはそっと抱き寄せた。人形のように無気力な身体。瞳はオスカーを映しても、オスカーを見てはいない。
(それでもいい)
 オスカーはアンジェリークの体を抱き上げて、ベッドの上にそっと横たえた。その肌に触れてもアンジェリークは抗わなかった。
 今までいろんな女を相手にしてきたオスカーは知っていた。こうすれば、アンジェリークが自分のものになると。心に傷を抱え、自暴自棄になりかけている少女は、こうすれば自分に身を任せるだろうと。
 分かっていて、くちづけた。分かっていて、抱いた。
 すべて計算ずくの行為だった。
 自分がどれほど卑怯な人間か知ってる。
 地獄があるなら真っ先に落ちるだろう。
 だけどそれでも、どんなことをしてもアンジェリークが欲しかった。手に入れたかった。たとえ、身体だけでも。
「愛してる。愛してるんだ、アンジェリーク」
 行為だけでは伝えきれずに、言葉があふれ出る。けれどきっと、アンジェリークの心までは届いていないだろう。
(…………様)
 共に果てる最後の瞬間、アンジェリークが誰の名を呼ぶか聞きたくなくて、オスカーはアンジェリークにずっとくちづけていた。


 To be continued.

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