未来の想い出 0-0


(………………?)
 オスカーは、ぼんやりと目を開いた。
 ぼやけた視界に入ってくるのは、見慣れた自室の天井でもなく、執務室の壁でもなかった。
 細い冬枯れの枝と、鈍い灰色の空。自分はどうやら、外で地面に寝転がってるようだった。
(……なんで、こんなところに)
 何故自分がそんなところにいるのか分からなかった。
 頭がひどく重たい。身体を起こすと、軽い眩暈がした。額をおさえる。
(確か……俺は、聖地で……、…………、…………!!)
 一瞬にして、自分の身に起きたことを思い出す。
 そうだ。宇宙の移転が終わった瞬間、よりにもよって、『星の間』に時空のゆがみが現れた。あの場所こそが、いちばん力の集まった場所だから、そこにゆがみが現れたのだろう。
 ゆがみに飲み込まれるアンジェリークを、自分も飲み込まれることを覚悟で、力の限り抱きしめた。そのあと気を失ったのか、そこから先の記憶がなかった。
(!? アンジェリークは!?)
 急いで周囲を見回す。
 アンジェリークは、オスカーに寄り添うようにして、隣に倒れていた。
「アンジェリーク!!」
 急いで傍らの少女を抱き起こす。アンジェリークが息をしていることを確かめる。
「ん…………」
 アンジェリークは身じろいで、それからゆっくりと目を開けた。変わらない、きれいな翡翠色の瞳がのぞく。
 とりあえずは、アンジェリークも無事のようだった。オスカーは胸をなで下ろす。
「オスカー様……? あれ……私……、…………あっ」
 アンジェリークも、自分に起きた事態を思いだしたらしい。急に身を起こそうとして、やはり眩暈でもしたのだろう、倒れかけた身体をオスカーが支える。
「何処か怪我は……痛いところとかないか」
「大丈夫、みたいです……」
 まだアンジェリークは何処か茫然としているようだった。当然だ。時空のひずみに巻き込まれたのだ。五体満足で助かったなど、奇跡に等しい。
 とりあえずお互いが無事であることを確認すると、やっとすこし落ちついて、まわりの状況へ目を向けた。
「……ここは……何処だ?」
 まわりを見渡す。ふたりは何処かの林の中にいた。
 聖地でも飛空都市でもないことはすぐに分かった。
 まわりは、秋というよりも初冬の様相だったからだ。立ち並ぶ木々の枝には、赤や黄色に色づいた葉が数えるほどついているだけで、下にはたくさんの落ち葉が落ちていた。かすかに肌寒さを感じる。
 あの時空のひずみに巻き込まれ、聖地や主星以外の惑星かどこかに放りだされてしまったらしい。
 極寒の惑星でなかったのは幸運だろう。それなら、目を覚ます前に凍死していたかもしれない。
「あ……オスカー様、サクリアが……!」
 不意に、アンジェリークが言った。
「え?」
 言われた意味が一瞬分からず、オスカーは自分の手のひらを見つめた。そしてやっと気付く。
 自分の中にいつも満ち溢れていた、炎のサクリアをほとんど感じない。かすかに名残のように残ってはいるが、ほとんど消えかかっているといってもいい。サクリアが、消えている。
「どういうことだ……?」
 時空のひずみを通り抜けるさいに、サクリアが消えてしまったのだろうか。あるいは、すべてを吸い取られでもしたのだろうか。
 消えてしまった炎のサクリアが、次の誰かに移ったのか、それともこの世界から消えてしまったのか、まったく分からなかった。時空のゆがみを通ったのだ。何が起きていても、おかしくはなかった。
「とにかく、一度聖地に戻らなければ……」
 サクリアのない今の状態のオスカーは、正式な炎の守護聖ではない。けれど、皆も心配しているだろうし、宇宙の移転がどうなったのかも気になる。もう守護聖の役目が終わりだとしても、とりあえず一度は聖地に戻らねばならなかった。
 林をしばらくさまようと、細い林道を見つけた。
 道があるということは、それをたどってゆけば、人のいるところに出られるはずだ。
 しばらく歩くと林を抜けた。林を抜けたところには、ちいさな村があった。
 村人は、何処からともなく現れた、豪華な衣装をまとったふたりを不審げに見つめていたが、盗賊か何かに襲われたところを逃げ出してきたとでも思ったのか、親切にしてくれた。
 村人に話を聞くと、ここは、ある惑星の田舎町だった。
 ふたりは、ちょうど身につけていた宝飾品を売って金に変え、その惑星の首都に行った。どの惑星の首都にも、大抵主星への交通手段がある。こんなところで守護聖と女王候補だと名乗っても、信じてもらえないか、大騒ぎになる可能性があったので、とりあえずそれは言わないまま、主星まで渡った。
 主星には、聖地につながる回廊もあるし、女王直属の王立研究院もある。そこまでいけば、多少怪しまれてもすぐに身分の照会もできるし、もしかしたら知り合いがいるかもしれない。向こうだって、こちらを捜索しているだろう。
 そう思ってたどりついた主星の王立研究院で、オスカーとアンジェリークは衝撃的な事実に直面した。
 聖地の時間と下界の時間の流れは違うからと、あまり暦を気にしていなかったため、主星にたどりつくまで分からなかった。

 今、この宇宙を治めている女王は、248代目女王だという────。

 オスカー達の知る前女王は255代目。そして、ロザリアが256代目女王のはずである。
 ……どう考えても、ここは、オスカーとアンジェリークのいた時代の世界ではなかった。
 時空のゆがみは、時間軸をねじ曲げ、ふたりを、過去の世界へ放り出していた……。



 宮殿の、謁見の間に通されたオスカーとアンジェリークは、女王と守護聖達のまえに立った。
 女王と守護聖、といっても、知った顔は当然ない。彼らは、自分達が知る守護聖の、数代前の者達なのだから。
 ここは自分達が生きていたときよりももっと過去の世界だった。聖地の時間ですら、30年近く前になる。下界ではどれほどの時間になるのか、考えもつかない。かつての知り合いは誰もいない。まだこの世界には存在していないのだ。もちろん、自分達自身も。
「炎の守護聖オスカーと、女王補佐官アンジェリーク、ですね……」
 女王は、玉座から優しく微笑んで言った。
「はい。……信じてもらえないかもしれませんが」
 オスカー自身も戸惑いながら答えた。
 宮殿も、聖地の様子も、だいたいオスカーが知っているままだ。だがここは、自分達がいた時代よりもかなり前の時代だと言うのだ。
「いいえ、信じますよ」
 あまりにあっさりと女王は答えるので、アンジェリークとオスカーのほうが戸惑ってしまう。
 自分達は、未来から来た炎の守護聖と女王候補です、などと言われたって、普通は信じないだろう。冗談か、頭がおかしいのか、さもなくば、下手な手で近づいてきたテロリストと思われかねない。
 実際、ほんの数日前、主星の王立研究院に行って、自分達の身分を明かして聖地への入地許可を申し出たとき、最初はいたずらだと思われ相手にされなかった。そこで、現在の女王は自分達が知るより数代前の女王とわかり、ここが過去の世界だと知ってパニックになった。そんな姿を怪しまれ、一時は王立軍に拘束されたりもした。
 そんな状況でどうすればいいのか途方にくれているとき、急に聖地への入地許可が出た。許可が出た、というよりは、招かれた、らしい。
 わけも分からぬままふたりは聖地へ連れてこられ、こうして、女王や守護聖達に会うことになった。
 いったい何が起きているのだか、自分のことなのによく分からない。ここに居並ぶ女王や守護聖達は、何が起きているの分かっているのだろうか。
 その様子に、オスカーの考えていることを悟ったのだろう。女王はすっときれいな指先を一人の男に向けた。
「そこにいる闇の守護聖は、とても占いが得意なのですけれど、彼が言っていたんです。今日あたりに、不思議な客人が現われると。そして、主星のほうでかすかにですが不思議なサクリアを感じたので、迎えを出したんです」
 女王が示したほうを見れば、闇の守護聖とおもわれる人物が微笑みながら立っていた。
 同じ闇の守護聖とはいえ、クラヴィスとは違い、彼はどちらかと言えばリュミエールのようなやわらかい物腰の雰囲気をまとって微笑をたたえていた。
「私が想像した以上の、不思議なお客様でしたが」
 笑顔と同じ優しい口調で、闇の守護聖が言った。
「それに、あなたに今サクリアがないといっても、サクリアの名残は感じます。かつて確かにあなたは炎のサクリアを持っていたのだと分かります。それに、アンジェリークには、女王の資質……完全には育ちきっていない女王のサクリアを感じます。これだけでも十分あなた方を信じる理由になるでしょう?」
 確かにそうだった。オスカーとアンジェリークは、不審者ともいえる自分達が、思いのほか簡単に聖地に来ることができたわけを納得する。
「貴方達に何が起きたのか、くわしく教えてくださいませんか?」
 微笑んだまま、女王がそう言った。
 アンジェリークとオスカーで、起こった出来事をできるかぎり正確にくわしく伝えようとした。
 自分達が、守護聖であり、女王候補であったこと。試験によって、アンジェリークは補佐官となることが決まったこと。
 そして、宇宙の移転のこと。宇宙を移転しようとしたとき歪みが現れ、それにふたりで巻き込まれてしまったこと。気付いたら、ある惑星にいたこと。そして、そこは、自分達が生きていたのよりも過去の世界だったことを。
「まあ……」
 話を聞きおえたあと、何処かおっとりした感じのある女王は、感心したように溜息をついた。
「皆様は、どう思われます?」
 まわりに控えていた守護聖達に視線を投げ掛け、問いかける。
「どうって言われてもなあ……」
「嘘を言っているとは思えませんね」
「私は最初から、ふたりが嘘をついているとは思っていません。今お尋ねしているのは、ふたりの話を信じているかではなくて、おふたりの今後の処遇です」
 さっきのおっとりした様子とは違う、ぴしりとした物言いとその威厳に、なるほど彼女もたしかに女王なのだと、オスカーは内心感心した。
「とりあえず、ふたりはどうしたいんだ?」
 守護聖のうちのひとりが、オスカーとアンジェリークに問いかけた。ゼフェルのように多少乱暴な物言いだったが、ふたりを心配してくれていることがわかる優しい口調だった。
「できれば、元の時間に帰りたいのですが……」
 それが、あたりまえで正直な願いだった。
 けれどその答に、女王は困ったような、哀れむような顔をした。
「お気持ちはよく分かるのですが……、それは、無理です」
「どうしてですか!?」
「確かに女王は時間に干渉することはできますけれど、それは、この聖地や飛空都市の時間の流れを遅くする程度です。未来へ帰してあげるような力は私にもないのです」
 それはそうだった。女王の力といっても、万能ではないのだ。
 本当に万能であるなら、宇宙が崩壊の危機にさらされることも、移転の時にゆがみを作ってしまうこともなかっただろう。
「もういちど時空のひずみを作ることは、危険すぎて許可できません。第一、貴方達は運よく五体満足でここまで辿り着いたけれど、また無事だとも、望んだ時間に帰れるとも限りません」
「そんな……」
 女王の言葉に、アンジェリークはきつく胸元で手を握りしめた。
「それじゃあ俺達は、ここで、この時代で生きていくしかないんですか?」
「……そうなります」
 アンジェリークは、がっくりとうなだれてしまった。なぐさめるように、その肩をオスカーは抱き寄せるけれど、彼も同じようにショックで、うまくなぐさめることができなかった。
「貴方達のために、いくらでも便宜は計りましょう。望んだ星で、望んだ暮らしができるよう、取り計らいますから、そんなに気を落とさないで」
 元気づけるように女王は声をかけてくれるが、沈む気持ちをとめることはできなかった。
 そんなふたりの傍に、闇の守護聖がそっと近づいてきた。それに気付いて、オスカーとアンジェリークは顔をあげる。
「……運命、という言葉を、ご存じですか?」
 闇の守護聖は、やわらかな微笑みをたたえたまま、話し掛けてきた。
「私は未来がすべて分かるわけではありません。けれど、物事には、すべて意味があるのではないかと、私は思うのですよ」
 微笑む闇の守護聖の瞳は、とても綺麗に澄んでいる。それはさながら、彼らの知っている闇の守護聖クラヴィスの水晶のように。
「貴方達がここへ来たのも、何か意味があるのでしょう」
「意味、ですか……?」
「ええ。それに、あなたたちは、いちばんたいせつなひとは、失わずにすんだ。こうして、ふたりで共にいる。それだけでも、素晴らしいことじゃありませんか」
 闇の守護聖のその言葉に、アンジェリークとオスカーは顔をあげた。お互いの顔を見つめあう。
 確かにそうだった。時空のゆがみに飲み込まれ、助かる確率など奇跡に等しい。飲み込まれたとき、死を覚悟した。ひとり生き残ることなど意味がないと思ったから、あのとき強く抱きしめた。
 見知らぬ世界に放り出されてしまったけれど、いちばんたいせつなひとは、こうして傍にいる。生きて、無事で、隣にいる。
 どちらからともなく、そっと、手を握った。強く。
 見知らぬ世界で生きてゆくことも、ふたりでなら、大丈夫だろう。
 女王と守護聖達は、未来から来たというそんなふたりを、優しく見守っていた。ふたりの、不思議な運命を想いながら。



 オスカーとアンジェリークは、オスカーの生まれ育った草原の星に住むことにした。もちろん、そこはまだオスカーが生まれるずっとずっと昔の星ではあるが。
 そこで、オスカーとアンジェリークはささやかな暮らしをはじめた。
 もともと、オスカーのサクリアが尽きたら、草原の惑星で暮らすはずだった。そのときも、知り合いなど誰もいなかっただろう。そう思えば、そこでの暮らしも、そんなに悪くもなかった。お互いがいれば、しあわせだった。

 それから数年後、ふたりに、子供が生まれる。

 アンジェリークの金の髪と、オスカーの蒼い瞳を受け継いだ男の子に、ふたりは、敬愛する人物の名を付けた。

 ジュリアス、と。





 そしてまた、時は流れて。



 To be continued.

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