未来の想い出 2


 新たなる女王試験が始まって、しばらく経った。
 はじめのころは、慣れない土地での生活や、手際の分からない試験に、女王候補達は戸惑ってばかりだった。守護聖たちも、何人かは女王試験を経験したことがあるとはいえ、ほとんどものは経験がなく、その対応に戸惑っているようだった。
 けれど、守護聖も女王候補も、やっと飛空都市での生活に慣れてきて、余裕もできてきた。
 だから、守護聖は女王候補をお茶や散歩に誘ったり、女王候補も、育成ではなく話をしに執務室を訪れることも、あるようになっていた。
「こんにちわ、失礼します、ジュリアス様!」
 元気な声と明るい笑顔と共に、アンジェリークがジュリアスの執務室へ入ってきた。
 その姿を、ジュリアスはまぶしげに見つめる。
 少女は、ジュリアスにとって、太陽のようにまぶしい存在だった。その笑顔は、彼さえも明るく照らし、和ませてくれる。こんな感情ははじめてだった。いや、あるいは昔にもあったことを、忘れてしまっているだけなのだろうか。
「アンジェリークか。今日は育成か? 妨害か?」
「いいえ、今日は、お話しに来ました」
 アンジェリークは明るく答える。
 それはつまり、育成という必要に迫られてではなく、彼女の意志で、ここに来てくれたということだ。多少でも、アンジェリークが彼に興味と好意を持ってくれているということだ。ジュリアスはとても嬉しくなる。
 けれどジュリアスは、それを素直に表に出すことが出来ない。もともとの性格と、見知らぬ感情への戸惑いが、なかなかしかめ面を崩してはくれないのだ。
「それで、今日はなんの話をするのだ?」
 促されて、アンジェリークは何を尋こうか少しだけ考えた。そして、ふと思い付いたことを口にする。
「ジュリアス様のご家族って、どんな方なんですか?」
 アンジェリークとしては、他意のない質問だった。ただ、この飛空都市に来てちょっとホームシックになりかけていて、よく両親のことを思い出す。だから他の方々の家族はどんな方だろうと、ふと思っただけなのだ。
 けれどその質問はジュリアスにとって、意外であると同時に、ひどく答えにくい質問だった。家族といわれても、ここに来たときまだ5歳だったからか、まったくと言っていいほど覚えていなかった。ジュリアスの持つ一番古い記憶は、すでに聖地でのものだ。
 だから、記憶ではなく、データとして頭に入っている家族のことを話そうとした。
「私の両親は主星の……」

     一面の緑。一面の青。
     何処までも続く、澄みきった世界。

 見知らぬ記憶が、ふとジュリアスの頭をかすめる。

     この景色を、ずっと覚えておくんだぞ……
     髪をなでる、大きな手。

 見知らぬ記憶、見知らぬ景色。
 あれは誰? 知らない人。
 いや、知っている。あれは……。

 あれは…………。

「ジュリアス様?」
「えっ?」
 アンジェリークに肩を揺さぶられ、ジュリアスは不意に現実に引き戻された。
「大丈夫ですか、具合でもお悪いんですか?」
 突然黙り込み、放心状態になってしまったジュリアスを、アンジェリークは具合が悪いと思ったようだ。心配そうな顔でのぞき込んでくる。
「いや、大丈夫だ」
 ジュリアスはアンジェリークを安心させるように答えた。実際、具合が悪いわけではない。ふと心に浮かんだ映像に、心を取られていただけだ。
 さっき、ふと心に浮かんだ映像。見知らぬ景色。見知らぬ声。見知らぬ人。いや、知っているような気がした、何か思い出せそうな気がした。けれど、一度こうして現実に返ってしまえば、何も思い出せそうもない。あの見知らぬ映像さえ、ただの白昼夢だったのではないかと思えてくる。
 いや、きっと、白昼夢なのだ。ジュリアスの記憶にあんな風景はないのだから。そう思おうとした。
「……私の両親のことだったな。私の両親は主星の貴族だったそうだ。といっても、幼いころに聖地に来てしまったので、ほとんど覚えてはおらぬのだがな」
 アンジェリークが、その言葉に、一瞬驚いた顔をして、すぐに、申し訳なさそうな顔になる。
「ごめんなさい、私、知らなくて……」
 悪いことを聞いてしまったと、ひどく後悔しているようだった。ともすれば、泣きそうな顔で謝ってくる。
「いや、お前が気にすることではない」
 両親を覚えていないことは、ジュリアスにとってそう苦痛でもないのだ。この少女にそんな顔をさせてしまうことのほうが、よっぽどつらい。
「他に何か聞きたいことはないのか?」
 少女に明るい顔を戻させたくて、ジュリアスは必死に話題をそらそうとする。
「じゃあ、ジュリアス様のお好きなものはなんですか?」
「そうだな……コーヒーではエスプレッソなどが好みだが……」
「えすぷれっそ? どんなものなんですか?」
「コーヒーをさらに深いりし、濃縮したもので……」
 ジュリアスの話にアンジェリークは興味を惹かれたようで、熱心に聞き入っている。翡翠の瞳が、きらきらと輝いてジュリアスを見ている。
 なんだか、恥ずかしいような、誇らしいような、くすぐったいような気持ちになってくる。甘い砂糖菓子をかじっているようだった。同時にもっと彼女の興味を引いておきたくて、必死に話を続ける。
(アンジェリーク……)
 それは、ひどく不思議な感情だった。
 その感情の名前も理由も、ジュリアスはまだ知らなかった。
 ……なんにも、しらなかった。


 To be continued.

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