未来の想い出 3


 女王試験が始まってから、ジュリアスは変わったというのが、近しい者達の言葉だった。
 あまり親しくない者、近しくない者には分からないほどの、微妙な変化ではあったが、分かる者には分かる変化だった。
 たとえば、報告をしてきた部下にねぎらいの言葉をかけるとき、以前はただ言葉だけであったのが、今は微笑みと共に言葉をかけたり。
 そんな、些細ではあるが、大きな変化が、ジュリアスにあった。
 その原因……理由は、やはり、分かる者には分かった。
 金の髪の女王候補、アンジェリーク・リモージュ。
 彼女の存在がジュリアスに大きな影響を与えていた。

 けれど……彼女によって変わった者は、ジュリアスだけではなかった。



「ジュリアス様、昨日はエリューシオンに力を贈ってくださって、ありがとうございました!」
 朝一番に、ジュリアスの執務室に駆け込んできたアンジェリークは、そう言った。
 大陸が力を必要としていても、アンジェリークのほうに、それを十分に送る力がまだなかった。だから、どんなにアンジェリークが育成にだけ励んでも、とかく大陸はサクリアが不足がちになった。
 そこを補うように、力を『贈って』もらえることは、とても助かるし、嬉しいことだった。
 公平な女王試験のためには、そんなに不用意に力を贈ることは、よいことではなかった。守護聖とうまく付き合うことも女王の資質のひとつであるし、その現われが贈り物であるとも言えるが、それでも、候補自身の力を競う女王試験において、大量の贈り物は、公正な競争ではなくなってしまう。
 ジュリアスも、そのことはよく分かっていた。今はまだ平気だが、こうして頼まれもしてないサクリアを贈り続けることは、試験の妨げになると。
 分かっていて、それでも、ジュリアスはエリューシオンにサクリアを贈っていた。
「ジュリアス様がたくさん力を贈ってくださったおかげで、また人口が増えたんです。子供達も元気に育っていて……」
 アンジェリークは嬉しそうに、大陸がジュリアスのおかげでどれほど発展したかを話す。その微笑みは、光の粒となって全身からあふれてゆくような錯覚さえおこさせる。
(私は……そなたのその笑顔が見られるだけで満足なのだ)
 アンジェリークはジュリアスに微笑んでくれる。きれいなきれいな笑顔を向けてくれる。それだけで、ジュリアスの心は満たされるようにあたたかくなった。
「アンジェリーク。もしよければ、共に散歩でもしないか?」
 その笑顔をもっと見ていたくて、ジュリアスはそうアンジェリークに言った。
「えっ……」
 アンジェリークは一瞬驚いたような顔をしたあと、すぐに困ったような、すまなそうな顔になる。
「ごめんなさい、ジュリアス様……。今日は、他の方の処にも、育成のお願いに行かなくちゃいけなくて……」
「そうか、それなら仕方ないな……」
 そんなふうにすまなそうな顔をされると、それ以上無理に誘うこともできなくなる。そんな顔をさせたいわけではないのだ。ただ、その笑顔を見ていたいだけなのだ。
「でも、また誘ってくださいね、ジュリアス様!」
「ああ。育成、頑張るように」
「はい!」
 一礼して、アンジェリークは部屋を出て行く。
 その途端に、ジュリアスの中に、取り残されたような気持ちが沸き起こる。寂しさ、というのだろうか。

    ソバ ニ イテ
    オイテ イカナイデ

 訳もなく沸き起こる自分の感情に、自分でおかしくなって、苦笑する。
 守護聖首座であり、誇りを司る光の守護聖である自分が、一体何というザマだろう。
(もっと、しっかりしなくてはな)
 そしてジュリアスはまた、執務に取り掛かった。



 ジュリアスは、ひとり、聖殿の長い廊下を歩いていた。
 試験に関し、女王陛下に報告するための書類を、ディアに届けた帰りなのだ。
 そうして、廊下の角を曲がりかけたところで、ふと、知った話し声に気付いた。アンジェリークの、楽しそうな笑い声が聞こえた。彼女の声だけは、何故かすぐに聞き分けられた。

 廊下の先を見ると、そこには、やはり、金の髪の女王候補がいた。それと、もうひとり。同じく、よく知った人物。
 アンジェリークは、何やら楽しそうに、オスカーと談笑していた。
 ただ、それだけのこと。
 でも。

    アンジェリーク ガ ワラッテイル

 オスカーを見つめて。楽しそうに。しあわせそうに。
 とてもとても、きれいに。
 自分が、いつも見るものよりも、もっともっと、きれいな笑顔。

    ドウシテ?
    ドウシテ ソノ エガオ ヲ ジブン ニ ムケテハ クレナイノ?

(そりゃあ、俺を愛しているからさ)

 誰かの声が、頭の中で響く。
 自信に満ちた、それが当たり前だという、声。
 これは、誰の声だろう。自分の中の自分? それとも、別の誰か?
 分からないけれど、それは、ひどく、オスカーの声に似ている気がした。
 だから、その声が、まるで、オスカー自身のもののように、聞こえる。

(アンジェリークは、俺を、愛しているからさ)

 だから、彼女は、自分には、あの笑顔を向けてはくれない。
 それが、夢、なのに。
 ちいさな、ささやかな、夢、なのに。

 叶わない。

 どうして、どうして願いはいつも叶わないのだろう。
 どうして、どうしてしあわせはいつも自分の傍から消えてしまうのだろう。
 あのときも。

(…………あのとき?)
 ふと、頭をかすめた自分の言葉に、自分で違和感を感じる。
 あのときとは、いつだろう?
 ジュリアスは、過去に、そんな経験をした覚えはない。覚えはないのに。
(………………?)
 自分の額を強く押さえる。何かを思い出しかけたような、最初から何もなかったような…………。最近、そんなことが多い。訳の分からない感情や記憶が、頭をかすめては消えるのだ。
 疲れているのだろうか。試験が始まって以来、なにかと庶務が増えて忙しかったから、そのせいなのだろう、きっと。
 そう自分を納得させて、ジュリアスは、無駄なすべてを頭の中から振り払った。
 そして、オスカーの姿からも、それを見つめるアンジェリークの姿からも逃げるように、二人の傍を通らないよう遠回りして自分の執務室へと向かった。


 To be continued.

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